『日刊ゲンダイ』「後世に遺るべき哲学と覚悟を見た」

 私には夢が有ります。役所が企画した、丸で金太郎飴の様な街ではなく、地域の特色に合った街作りの中で、お年寄りも小さな子供達も近所の人も、お互いが絆で結ばれて助け合う社会。青空や広い海、野山に囲まれた田園と大勢の人達が集う都市が調和を保ち、何処でも一家団欒(だんらん)の姿が見られる日本。その一方で個人個人が自らの意見を持ち、諸外国とも堂々と渡り合う自律した国家日本。そのような日本に創り直したいというのが、私の夢であります。
――小沢一郎民主党代表選演説」『日刊ゲンダイ』2010年9月16日7面、田中康夫氏のコラム「にっぽん改国」「後世に遺るべき哲学と覚悟を見た」より

 ネット中で絶望と悲嘆が満ちあふれた民主党代表選結果を受けて、今日発売の『日刊ゲンダイ』で、田中康夫氏が上の小沢氏の演説を引用していました。
 大マスコミに踊らされて最悪の選択をした過半数民主党サポーター、地方議員、国会議員、そして特に演説を直接聞いた民主党国会議員は、これを聞いて何とも思わなかったのでしょうか。
 菅の代理人として動きまわった江田五月衆院議長は、父親の故江田三郎が見たなら、あの世から現われてぶん殴るような恥ずかしい姿であったように私には思えます。これは自分自身が大学改革に向けて動いていた50年前を完全に忘れ去った姿です。丸山真男から直接受けた教えも、権力にボケた頭には、もう少しも残っていなかったのかもしれません。そこには裏切り者の醜い容貌しか見いだせません。
 そもそも田中康夫氏が引用した小沢一郎氏の哲学とは、自民党時代に官僚主導+政治利権で動いてきた自民党が「国民は自分の頭で考える必要はない。我々エリートの言う通りにしていれば幸福なのだ」という姿勢を教え込んだ、文部省教育に端を発しています。高度成長という恩恵を受けた国民は、実際に、その通りになりました。
 しかし、小沢氏の演説は、この姿勢を変えなければならないことを強調したものです。国家や経済の難局に対して、自己の権力と利益しか考えないマスコミ・官僚に独占された大メディアの意見ではなく、日本に住む一人ひとりが自分の頭で考えなければ解決できないという事実を示したのです。
 思い返せば昨年夏の参院選挙における政権交代とは、自民党+官僚というエリートのやり方では自分たちの生活が守れないという有権者の意思表示でした。その意味で、小沢氏がめざす目的にかなったものです。
 しかし、いま、菅・仙谷一派は、再び過去の自民党と同じ衆愚政治を目指そうとしています。権力をもつ者にとっては、それが自民党であれ、民主党であれ、最も都合のいいのが自分たちの言うことを疑いもせずに信じる有権者なのですから。
 その意味で代表選の最後に小沢氏がこの言葉を語ったのは非常に重要です。「個人個人が自らの意見を持ち、諸外国とも堂々と渡り合う自律した国家日本」とは、支配のための教育ではなく、政治家をコントロールできるだけの能力を持つ市民を作る教育の姿です。
 これは、国の軍拡政策やその主張を肯定するだけのおよそ何も考えていない「愛国」、自国民だけを愛して他国民を平気で殺せるような獣の「愛国心」ではなく、何が自分たちにとって必要なのか、それが他国民にどのような影響を及ぼすのかを一人ひとりが自分の意見として考えることのできる民衆の姿です。
 この小沢氏の根本にある理想は、彼が代表選期間に表明した政策にもよく表れていました。単純なアイデアであれば菅・仙谷もまねできる。しかしそれが国家官僚の権力をそぐものであれば、菅・仙谷はまねができない。だから強力な政策案として力をもつものでした。
 しかし、とりあえず民主党代表選の幕は下りました。

 昨日書いた「最悪のシナリオ」は、今日の『日刊ゲンダイ』の別の記事を読んで、より悪く書きな直さなければならなくなりました。
 日本の最大の権力たる政財官報複合体は、それに歯向かう者に容赦はしない。大マスコミと仙谷は検察審議会を操作し、10月半ばに小沢氏を強制起訴する。強制起訴された小沢氏を仙谷は離党させる。離党させられた小沢についてくる民主党議員はいない。そして小沢氏の政治生命は終わるというシナリオです。
 かつての独裁者は、皆、自らを脅かすナンバー2を警戒していました。プーチンしかり、金正日しかり、スターリンしかりです。
 仙谷は、このままの官僚依存政策がもたらす経済不況・雇用危機をすでに予知しているように思えます。そして、その時立ち現われるのは、自分たちを今回ぎりぎりまで追い詰めた小沢氏であることをよく知っている。だから、完全にその政治生命を終わらせることをもくろんでいるように思われます。
 そして、マスコミにいいように操作された国民は、今回の代表選でも示されたように、小沢氏=悪と認識し強制起訴を歓迎する。ここには小沢氏の政治生命を救うための何の障害もありません。そして、小沢氏に復活の機会を与えることの危険性を最も意識している者が、現代日本スターリンである仙谷です。
 「不況下での緊縮財政と消費税増税は自殺行為である」とアメリカの経済学者クルーグマンも指摘しています。しかしこの政策しか、仙谷=民主党首脳部はとれない。
 ブログ『世に倦む日日』の著者も指摘するように、企業減税に対して赤字国債の発行は財務省役人の想定外であり、必ず消費税アップと同時に行われる政策であるからです。つまり他の政策はとれないということを意味します。企業減税を引っ込めて消費税アップを先延ばしすることも考えられますが、企業減税がなくても財務省役人は財政赤字を理由に消費税アップを志向します。最大野党の自民党も同じ政策を主張しています。小沢氏なら取れた他のオプション、例えば公明党との連携といった策は、菅・仙谷にはできない。
 つまり、スターリン・仙谷は危機に際して自らの権力を守るためには、最も危険な男を粛正するしか道が残されていないわけです。
 そして、国民の希望は、小沢氏と共に粛清される。
 これらはすべて、民主党反小沢系政治家と、自らの省益しか考えない高級国家官僚と、危なくなったらいつでも海外移転できる大企業と、メディアをほぼ独占しているTV・新聞といった大マスコミが、自らの利益のためだけに行う行為です。

 理念によってつくりだされた世界像は、しばしば、転轍手(注:鉄道の分岐器操作手)として軌道を定め、その上で利害の動力が行為を推進しつづけた。
――マックス・ウェーバー世界宗教の経済倫理 序論』より

 反小沢派が担う理念とは何か。それは、政官財報の癒着によるエリート支配です。小沢氏が担う理念とは、それでは立ち行かなくなる日本の姿、特に地方の姿に対する憤慨でした。そうした理念の違いによって、それぞれが持つ利害は、大きくかけ離れました。
 日本に住む民衆、有権者の大半が本当のことに気づくまで、こうしたファッショ政策は続くことになります。
 スターリンが死んだ時、ソ連の小学生はその死を嘆き悲しみました。なぜなら、公式の報道は、同士スターリンの業績を報道するだけだったからです。真実を告げようとした人々は皆シベリアの強制収容所送りになるか、銃殺されまていました。
 今の日本にはプラウダという大手新聞しかありません。TVもその系列の新聞の論調を繰り返すだけです。NHKですら、視聴者ではなく、現政府の方を向いています。
 ここで暗くならずしていつ暗くなるかといった様相を呈したいまの日本ですが、それでも、民衆の不幸は残る。矛盾がある限り、その解決策もあり、いつか必ず民衆がその主導権を握る日が来ると信じます。実際、昨年、我々はその主導権をもった、そして今年春には菅の公務員改革抜きの消費税増税に反対したのですから。
 今となっては小沢氏の演説は夢のまた夢のように思えます。しかし、「I have a Dream……」です。正当な主張は必ず実現せずにはおられないものだと信じます。