戦後史の正体

戦後史の正体 (「戦後再発見」双書1)

戦後史の正体 (「戦後再発見」双書1)

 この本は、以前ブックメーターに紹介したのだけれど、そこで書かなかったことを書きたい。
 まず、はてなダイアリーの他の紹介では、保守派の人が反米的なことを書くのはおかしいといった感想があったが、これはすぐ的外れとわかる。そもそも前大戦で対米開戦をしたのは、ガリガリの保守派、軍部だった。つまり対米依存に反対する立場と保守革新といった政治的区分は、それほど一致するわけではない。
 著者は、戦後歴代の首相を対米従属派と独立派に区分し、それぞれ記述していく。その際に最も重要なのは、戦後史を3区分する視点である。占領期から独立までの第1期、独立から冷戦終了までの第2期、そして現代までの第3期である。
 簡単にまとめれば、第1期は、日本を完全に叩き潰すために、経済力はかつての日本被占領国以下にするというアメリカ政府の方針の期間であり、第2期は朝鮮戦争に始まるアジアにおける冷戦を背景に、対米支援できる経済力を持った国として日本を育てようとする期間である。そして、第3期に至って、ソ連亡き後、日本がメインの敵として浮上する時期が現在である。
 こうした米国の対日政策を反映して、日本の国内政治は動いていく。そのメインアクターの1人である日本国首相の行動がこの本の考察対象となる。
 興味深いのは、TVなどで英雄として描かれる吉田茂首相が、第1期の時代において、アメリカにとって奴隷頭でしかなく、アメリカ政府の真の奴隷である日本人に対して奴隷頭としてえばっていたにすぎないという描写である。それが証拠に、彼が米軍に対してとった報道されない日常での卑屈な行動は、まさに奴隷頭の行動であったとする点だ。
 逆に、孫崎氏は、世間で評判の悪い岸元首相を、安保改定後に地位協定を見直そうとしていた独立派として描いているのだが、この点は、私はあまり同意できない。
 最近では、福田康夫元首相が「あなたとは違うんです」と切れて、辞任したのだが、その背景には、アフガンへの自衛隊ヘリコプター出撃要請があったというのが興味深い。彼はそれを断るため、職を辞して抵抗したというのである。福田氏の政治姿勢を見ると、それもありそうな話である。
 さてここから若干の考察に入る。対米従属、対米独立といった区分は重要なのだが、それに加えて、タカ派的、ハト派的の区分を加えたい。在日米軍基地問題に象徴されるように、我々にとって、対米独立、特に地位協定NATO並みの改善は急務だし、もっと先には、米軍基地なき日米安保条約やむしろ安保廃棄による永世中立国としての非武装中立、もしくは軽武装中立が、求められている。
 なぜなら、安倍流の、自分で周辺国との間に摩擦を作り、それに対する世間のリアクションを悪用し、自民流の改憲へ向けた策謀、デマゴギーが氾濫する現在、冷静に将来を見つめた外交戦略が必要となるからだ。それは、安倍内閣在特会的妄想とは対極をなすものである。
 こうした新しい分析枠を加えるなら、安倍の姿勢が対米独立という究極の目的のためにより対米依存してしまうというジレンマを抱えていることがわかるだろう。これがタカ派的対米独立の姿勢である。核武装のための原発再稼働や、対中軍事同盟のためのTPP参加も同様の志向から出る政策だろう。
 原発に対しては、火山列島原発を作るのはクレージーであるというプーチン大統領の指摘を待つまでもなく愚策だし、対外的恐怖によってTPPに加わり、国家主権=主権在民を放棄するTPPも、日本における民主主義の未来を崩壊させるものである。その意味で、日本を滅ぼすのは原発と戦争と言った、福島原発被害救済活動をしている弁護士の発言は的を得ている。ここで出てくる戦争は、内閣による9条の解釈改憲から出た、集団的自衛権のことである。愚策というのは、歴史的に常に理性ではなく感情によって導き出されるものである。
 その弁護士は『日刊ゲンダイ』のインタビューで、国家財政破綻でも日本は滅びない。でも原発事故と戦争なら日本は滅びるからこそ、反対しなければならないと発言していた。まさにその通りだ。
 さて、タカ派的対米独立(安倍の場合、その独立への道筋は、基本が在特会的妄想に基づいているため、はなはなだ支離滅裂なものだが)がこのようなものであるのなら、鳩山内閣における小沢幹事長が主張していた、米軍基地なき日米安保条約という構想はハト派的対米独立の第3期における最も優れた表現であったように思う。そのための環境整備こそ、中米二等辺三角形外交であった。安倍とは対照的な冷静な外交分析である。
 この孫崎氏の本を読むことを通して、我々はデマゴギーに支配された現状から、冷静な日本の未来へ向けた構想を持つことができるし、また持たなければならないと思う。それこそが、未来に対して責任を持つ我々の、唯一幻想から離れた視点である。
 日本の一般市民の場合、TVで放送されないこと、新聞で書かれないことは、なかったことになる。しかし、外国の事例を見れば、報道されないことの他に真実があることは、冷静に分析すればおのずと明らかだ。我々が将来も平和に繁栄するために取るべき道は、そうした思考プロセスからしか導き出せない。
 外国の悪口を読んで憂さを晴らすのは、子どもすることである。問題があるのなら、その解決に何が必要かを冷静に、政治学的に、外国の事例に学びながら考えること、それこそが大人の取るべき責務であろう。