映画『三度目の殺人』『誘拐の掟』『クライムダウン』『帰ってきたヒトラー』感想

『三度目の殺人』(2017日) ※ネタばれあり
 たった今TVで見たばかりで、録画の二回目が今、横で流れているのだが、この結末には納得できない。
 犯人が明示されないのは、主人公の弁護士が抱えるモヤモヤの描写としては理解できるのだが、司法が真実にたどり着けないという明確な監督の主張と、物語のストーリーラインでの真実を明確に比較することを困難にしているのではないかと思うからだ。また今書いた、弁護士のモヤモヤにしても、弁護士は容疑者の作戦に乗るかたちで、被害者の娘をかばっているのだから、そして最後に「それが本当だとしたらいい話ですね」という容疑者の言葉を受けているわけで、本当にモヤモヤしているのかはあいまいである。
 映画の物語からすれば、被害者の娘と容疑者の共犯であり、実行犯は容疑者であるということになると思うのだが、それは映画のなかでは明示されない。そして、加害者と弁護士の物語での行動は、被害者の娘の、被害者による性的暴行というつらい告白を回避する、もしは、加えて殺人の共犯であることを隠す目的で行われ、それは成功する。しかし、この結末こそ、逆に被害者の娘に非常に大きなモヤモヤを残すことになったではないかと考える。事実、娘は「裁判では誰も真実を語らない」と話すのである。一度は真実を語る決意を勇気を持ってする娘にたいして「被疑者を救うためには真実を語らない方がいい」と説得したのは弁護士であり、そう仕向けたのは被疑者であったのだ。
 なぜこのようなことを書くかといえば、法学部の学生であれば皆知っている判例、刑法における尊属殺人規定(つまり通常の殺人より、親殺しを重くする。無期→死刑、禁固→無期といったように、数年の禁固という判決がなかった)の事件に対する違憲判決とそれによる刑法典からの削除を思い出すからである。この事件は、父親によって子供のころからレイプされてきた娘が彼氏ができて、思い余って父親を殺したというものだが、最高裁判所尊属殺人という刑法規定そのものが憲法の保障する法の下の平等に反するとして無効を宣言した。刑法はこの判決を受けて議会で改正された。
 娘のような存在をかばおうとする被疑者、弁護人が合意した、そして、監督すら是認したこの結論に対しては、非常な違和感を感じる。
 裁判が真実を暴かないということは、法学部の学生であれば皆知っていることなのだが、それを一般人に暴いたのはそれなりに意味があるのかもしれない。しかし、その点にしても、僕からすれば、真実があり、しかもそれが暴かれないといった描き方の方が、より説得力があるように思われる。そして、暴かれないからこそ、真実がどこにあるかを示す必要があったようにも思われる。たとえ裁判の判決に反映されないとしても。
 そのほかの論点は、みんな書いているの省略します。

『誘拐の掟』(2014米)
 これは偶然TVで見た映画なのだが、すごくよくできたハードボイルド探偵もの。アクションが過剰にならないのも西部劇の名作『シェーン』同様リアルだし、映像も美しい。おすすめ。

『クライムダウン』(2011英)
 スコットランドアルピニスト達を主人公にした、珍しいサスペンス。国際的誘拐犯と、その娘の父親であるユーゴ内戦の戦犯の3つどもえの戦いを描く。舞台にちりばめられたスコットランドの祭りとか珍しいものがたくさん見られる。面白かった。

帰ってきたヒトラー』(2015独) ※ネタばれあり。
 これは久々に見た面白い映画らしい映画。
 今回の感想は、見たものと逆順に書いているのだが、BSで途中から見て、おもわず配信レンタルで字幕版を頭から見なおした。
 1944年に自殺し、死体がガソリンで燃やされる直前のヒトラーが、2014年のベルリンにタイムスリップして蘇る。それを見い出したのは売れないフリーのTVドキュメンタリー作家。彼はヒトラーをそっくりさん芸人として売り出し、そのフィルムを買うのが、左前になっているTV局。TV局は本物以上に本物らしい(本物だから当然だが)ヒトラーが観客に受けるのを見て、全面的に売り出すことになる。
 この映画のポイントは、戦後、ずっとヒトラーの犯罪性を教育し続けてきた点で、また憲法にも人間とは何かの哲学的な議論を盛り込んだドイツにおいて、この「ヒトラーのそっくりさん」がどう扱われるかを描いた点にある。
 まず、主人公が本当にヒトラー自身だみんなに認識されたとしたら、彼はユダヤ人殺しをふくむ大量殺人によって断罪されるだろう。しかし、そんなタイムスリップしたうえに、生き返るなんてことは常識では考えられないから、この第一の仮定は映画では否定される。
 そこで第二の問題になるのだが、ヒトラーの差別的言動が、現代のドイツ人にどう受け入れられるのか、どう受け入れられないかという問題である。この点が最も興味深いこの映画のテーマとなる。そして、ネタばれすれば、本物のヒトラーはそっくりさん芸人でないことを証明するのである。ヒトラーはその演説によって、戦争の記憶の薄れたドイツ人の心を見事つかんでしまう。まさに、そっくりさん芸人として、実は本物の悪魔を現代ドイツ人は解き放ってしまったのであった。ヒトラーがかつてそうであったように、現代でもファシズムを生み出す悪魔的力を発揮する。まさに彼自身の売り出すときのセリフ、「自分の主張を聞いてもられるのなら、道化にもなろう」から始まるのである。拒否反応を示す者もいるが、多くは感激の涙を流したり、そこまで行かなくても共感を示すのだ。
 これはしばらくしてから思いついたのだが、あれだけ徹底しているドイツですらそうなのだ。日本だったらどうだろうと考えた。その意味で、安倍首相こそ蘇ったヒトラーなんだと思った。
 しかし条件の違いもある。ドイツはナチズムを否定したけれど、国防軍を否定はしなかった。逆に日本は天皇ファシズムを否定する点で弱かったが、9条を贖罪として世界、特に、侵略したアジア諸国に示してきた。
 安倍は9条を否定することに積極的だが、僕らが今生きていること自体が、9条の有効性の最大の証拠になるのではないかと思う。もし、終戦直後に、安倍のいう安保法制や改憲が実現していたら、僕らの父や祖父が戦死し、あるいは僕ら自身が戦死し、今ここに生きていないかもしれないのだから。朝鮮戦争ベトナム戦争湾岸戦争イラク・アフガン戦争。日本人の戦死者が出る機会は無数にあったのだ。
 それにしても、ヒトラーほど口のうまくない安倍の口車に、戦争の悲惨さを忘れた日本人が付和雷同してしまうとしたら、それこそ、政治コメディでもあるこの映画以上の喜劇だろう。
 このように、非常によくできた映画だと思う。