古田武彦『真実の東北王朝』(1990・駸々堂出版)

真実の東北王朝

真実の東北王朝

 この古田氏の本は、仙台市にある多賀城碑文の偽作説をさまざまな角度から検討し、これが真作であると確認し、その金石文の解釈をおこなっています。その中から、単に日本国内にとどまらない、日本海をまたいだ大陸の地名「靺輵国」とその距離「三千里」があることを示し、この碑を作った藤原恵美朝臣朝獦(あさかり)が、後に逆臣として大和朝廷によって滅ぼされるという記述が続日本記にあるように、単なる大和朝廷の臣下ではなく独自の東北王朝世界の世界観をもっていたことを説明します。
 次に古田氏は、日本中央碑を壺の石ぶみと考える説を説明し、古代世界においてこの地を中央と考えることの正当性を主張します。
 第4章からは、問題の東日流(つがる)三郡史の紹介になるのですが、上に書いた多賀城碑、日本中央の碑、壺の石ぶみの3つについては、ほぼ古田氏の意見を肯定するウィキペディアが、急に、この古文書については「偽作」説に立って解説をしている点が気になりました。
 この東日流三郡史に関しては、最高裁判所が「原告の主張する点において偽作とは言えない」という判決をしているのですが、ウィキの挙げるこの裁判に関する資料は、その判決に対する反論のみで、判決文自体へのへのリンクもない。古田氏が真作派であることは記載されていますが、その主張については全く取り上げていません。
 それどころか、社会に与えた影響として、オーム真理教まで取り上げて、これを真作とする人はオームみたいなものと決め付けたような文章になっています。
 これらの点から、ウィキの記述は、あくまで偽作派の人が、自分たちに都合の良い点のみを書き連ねた極めて恣意的なものと、僕は考えました。
 東日流三郡史のような、さまざまな時代のさまざまな地方の記録を複写した本の内容をいちいち検討するよりも、大和朝廷に反逆したからこれウソの本と言いきった方が、これまで海外の文献を、古事記日本書紀にあっていないから書き間違いとしつづけて来た、粗雑な古代史学者(東大学派、京都学派を問わず)の意に沿うものであることは事実です。しかしそれは、歴史の真実に目を閉じるものと言わざるをえません。
 古田氏の反論はウエッブ上で見れるので、そちらを参照してほしいところです。
 この本はつづけて、アイヌとその先行する民族の地名に関する問題、東北に散在するストーンサークルの問題、御神楽岳と鉄鉱脈の問題などを説明し、古代エジプトの華麗な31王朝と比較すれば、ゴマ粒のような大和王朝のみを王朝と呼ぶ日本人の身勝手さを考えれば、東北地域にあったかつての政治組織を王朝と呼ぶことも可能だろうという結論に至ります。蝦夷という呼び名も、日本書紀の神武記では「愛瀰詩」と佳字をあてていたように、大和朝廷の権力が拡張するにつれて、地方権力を卑下する「夷」という卑字を当てるようになったことを指摘します。
 反権力=反中央=悪といった、ウィキの東日流三郡史=偽書説の解説とは、明らかに異なった思想です。でも、問題は科学的に証明されなければなりません。
 しかしネット上には、ウィキも含めて、科学的論証ではなく、罵詈雑言で事を解決しようとする人々がいます。このような態度には、極力注意する必要があると思います。ウィキ=真実では、かならずしもないということは、このような問題をまじめに考える人の通則であると思います。ま、冷静に学術的に行きましょうという話です。