L change the World

L change the WorLd [通常版] [DVD]

L change the WorLd [通常版] [DVD]

 CSのチャンネルNecoで放送した、映画『L change the World』(2008)を見ました。
 この映画に先行する『デスノート』2部作の映画、そして原作である漫画版を含めて、当時さまざまな議論が行なわれた話題作です。原作も含めて、Lに感情移入するか、夜神月(やがみ ライト)に感情移入するのかによって、評価の仕方の分かれる作品であると言えます。ライトであれば、この狂った世の中を変える力としての天才を支持し、Lであれば、超常現象を操るデスノートを軸にした頭脳戦といったおもしろさにひかれ、ライトという悪の天才と対決する善の天才たるLを支持するといったような楽しみ方があるのだと思います。
 ただ、Lにしても、いわゆるヒーロー像を体現した人物ではなく、孤独な変人として描かれていた点が、いわゆるヒーローのステレオタイプ化を排していて、意外性があって面白いといえます。僕自身、Lがライトに近づいて、一緒に踊るシーン(漫画版)を見て、彼は演技しているのではなく、本当は楽しんでいるのではないか、みたいな印象をもちました。善悪を越えた、好敵手を求める、姿勢のような。
 このところ初夏の猛暑が続いていて、昨日も歳を取った父が、子供を箱に詰めて放置して殺した親が逮捕されたニュースを見て、「死刑にすればいいんだ。刑務所で税金使って養う必要はない。」と言うのを聞きました。年寄りの言うことだから、無視すればいいのですが、こう云い捨てたくなる気持ちもわかります。何しろ暑いし。
 初犯であれば、こうした犯罪を犯しても、死刑といった極刑にはならない。しかしやったことは残虐無比である。だから、誰かが法に代わって正義の代行をしてほしいという感情が浮かぶのは分かりやすいところです。これは、若者に支持されるライトと違って、年寄りのよく言いそうなことですが、同じ感情だと思います。
 この映画『L change the World』とは、デスノートによる世界の変革をめざした前2作に対する、製作者サイドの応え、Lによる世界変革の方法を描いたものなのかと思いました。何しろ、世界を変えろ(命令形)ですから。
 そして、そのLのとった方法とは、「どんな人間でも生きていれば反省できる」というものでした。非常にシンプルです。
 しかし、恐怖によって強制された平和な社会より、自発的に他者を尊重する方向性をもった不完全な社会の方がよりいいものだと思います。核兵器においては相互確証破壊といった死の均衡があり、それは恐怖による均衡です。法の社会も、極刑を頂点とした報復の体系があり、それも恐怖による安定状態の創出と言えるかもしれません。でも、人から反省の機会を奪うのは、近代の法の精神ではない。多くの国で死刑制度が廃止されているのも、こうした近代法の考え方によるものだと思います。
 私は、人を殺すことがすべて悪であるとは考えません。自分や周りの者の命が危ない時、自分や周りの者を助けるために人を殺すことは、正当防衛であり、何ら罪を感じる必要はない行動です。しかし、戦場のように、人為的に殺しあう環境が作られる時、その戦争自体の判断をした正しさは、常に問われるべきでしょう。
 無情な世の中だとしても、僕らが一緒になって無情を目指す必要はない。映画『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』でも、シリウス・ブラックがハリーに言います。「人は生まれながら善とか悪であることはない。生まれてからどちらを選ぶかによって、その人の価値が生まれるのだ。」と。
 「善」とか「悪」も、人によって内容が異なるのかもしれません。何をよいことと考えるのかも、上に描いた映画において、Lとライトでは大きく違うようにです。
 人はその一生を通して、自分に一番しっくりくる「よいこと」を探さなければならないのだと思います。そうした問題を忘れるか、自分なりに決着をつけることによってしか、人は心の安心を得ることができないからです。
 この映画『L change the World』や『デスノート』2部作などは、そうしたものを考えさせる、いい素材になているのだと思います。そうした意味で、映画自体の出来はともかくとして、いい作品だと思います。
 でも、それはさておき、松山ケンイチがいい演技してたことは、言えると思います。