朝日新聞・奴隷の社説

 もう、社説を読まなくなってどれくらいたつだろうか? なぜなら、社説を読むと馬鹿になるからである。今朝の朝日新聞社説も、そうしたものだった。
 東京第1検察審査会が、担当した小沢前民主党幹事長の資金団体である陸山会2007年分の虚偽記載問題について「不起訴不当」という判断をした。これに対して、社説はその判断理由を評価するとともに、もっとこの内容を考慮して、検察は捜査した方がいいという内容だった。
 「不起訴不当」は法的拘束力がないため、検察が再調査すれば、それで終結する。2回目の審査もない。朝日は、この判断からもっと踏み込んで、小沢を追求すべしという論旨だった。
 しかし、こんな社説、読めば読むだけ馬鹿になる内容だ。なぜなら、この第1検察審査会の「不起訴不当」の理由が、小沢に対する3回の事情聴取は不徹底、もっと調査すべきだというものだったからだ。
 秘書の逮捕から続く検察の捜査は、他の政治家と比べて、異常な経緯をたどった違法捜査だった。そして、結果として、小沢を有罪とする証拠は見つからなかった。検察審査会は、「証拠はないけれど、なんかあやしいから起訴しろ」という内容だ。こんなものをどう評価しろというのか?
 朝日新聞の社説は、これまで様々な重要な局面で、自民党に利する内容を報じて来た。 僕の記憶にあるだけでも、過去に2回ある。
 1つは、小泉郵政選挙の3日前、「それでも郵政民営化は必要だ」という社説を打って、小泉を支援した。
 そして、2つめは、香田さんがイラクで捕虜になり、犯人が、その釈放条件に自衛隊の撤退を要求した時、朝日はこれまでイラク戦争への自衛隊派遣に反対していた立場をかなぐり捨て、社説で「テロリストの要求に屈するな」の論陣を張った。常識的に考えて、人質救出のために交渉する用意があるという態度が優先され、それによって時間を稼ぎながら人質救出に専念するというのが常套手段であるにもかかわらず、小泉は「自衛隊は撤退しない」とすぐに明言することによって、香田さん救出の退路を断った。
 これは、アメリカに対しては誠を尽くし、日本人はその救出できるか細い作戦すら拒否するという、民主主義ならぬ棄民主義の判断だった。そして、朝日はその片棒を担いだのである。
 そして、今回である。
 だから、こんな社説は読むに値しない。そして、読者がこれに納得すると判断しているとしたら、それこそ読者を侮っているというべきだ。
 朝日新聞の目的は明確である。自分たちの利権を侵しそうな民主党を、できるだけ早く政権から追いやる。その最大の障害である小沢の政治生命を断つこと、である。
 「国民の生活が第一」を掲げ、天下り官僚廃止に最大限の努力をしたのは誰か? 子供は社会が育てるという原則を立て、これまで無策だった旧自公政権少子化対策に画期をもたらす、こども手当を作ったのは誰か? 教育も親の貧困で差別があってはならないとして、高校無料化を実施したのは誰か? コンクリートから人へと税金の配分を変えたのは誰か? 嘘をつき続け料金を取りつづけた高速道路の無料化を実施したのは誰か? すべて小沢である。
 総務省の官僚とつるんだ朝日新聞テレビ朝日、そしてすべてのマスメディアは、こうした政策変更で、自分たちの不当な取り分が減らされることを恐れ、不当捜査をした検察を批判するのではなく、ただ検察のリークをそのまま紙面に載せ、「小沢は怪しい」という雰囲気を醸造し、民主党を葬る最大の障害である小沢排除を、今も継続している。
 そして、検察が、東京第5検察審査会の2回目の結論を10月以降にしたのも、「不起訴不当」以下の判断によって、小沢を自由にすることを嫌ったとみるべきだろう。
 小沢を法廷に引き出し、判決のいかんではなく、引き出したその事実そのものによって政治的に葬るための手段である「起訴相当」という結論を、保留したわけだ。つまり、この結論が出ない限り、小沢を牽制できると検察は考え、自分の自由になる検察審査会をその担保とした。
 もちろん検察審査会を監督するのは弁護士である。起訴した場合も、その弁護士が法廷で検事の代わりをする。しかし、前回「起訴相当」の判断をした審査会を担当した弁護士は、検察とのつながりだけによって法廷を支配しようとする、「辞め検」の弁護士(検察をやめてなった弁護士)だった。小沢問題でよく発言していた郷原氏も「辞め検」だが、法科大学院で収入を得ているため、彼の発言は自由だ。その内容を見ればわかる。しかし、こうした弁護士以外の収入をもたない、低能の彼らは、常に検察の意向を配慮し、こうした局面で、常に検察の意向に沿った行動をする。資料を提供するのも検察だから、こうした検察審査会制度は、とんだ泥縄なのである。
 昨日の『日刊ゲンダイ』は「不起訴不当」判断を受けて、小沢の行動の自由が確保されたと報道していた。しかし、検察は、直接自らがコントロールできる、第5検察審査会の判断を先延ばしすることによって、小沢を牽制できると考えているだろう。
 そこで今日の『日刊ゲンダイ』の1、2面の記事となる。「菅は死に体だが、小沢は動かず」となるのである。
 代表選を前にして野党の援助を期待できない菅は野たれ死ぬ。小沢は連立の援助をしない。そして、本当に民主党を昨年衆院選の原点に戻し、小沢待望論が起きた時、小沢は動きだすという記事であった。
 ここで、野党に政局を動かすだけの力量のある政治家がいれば、事態は小沢の思惑通りには進まないかもしれない。しかし、これがいないのである。だから、結局、小沢の読みのとおりになる、と僕は思う。
 結局、今回の参院選での自民の勝利は予想外であったが、ブログ『世を倦む日日』の著者の作戦は実現することになるのだ。
 自民党がいくら自らの勝利をもって「消費税が正当化された」と言っても、有権者はしらけたままだろう。マスコミがIMFまで持ち出して消費税アップを主張しても、そんなの自分たちの生活実感にあわないことを、誰もが知っている。だから、菅民主党は拒否されたのだし。
 国の財政が危機的であれば、その負担は、貧乏人だけでなく、金持ちも負担すべきと考えるのは、当然すぎるほど当然なのだ。それなのに、企業減税とか、金持ちの所得税の累進税率を以前の高水準戻さないのは、誰が見てもおかしいだろう。
 前回のブログ「おたけび」で書いたのは、いわば「政財官報の鉄の四角形」の馬鹿連中の勝手な思惑である。そんな思惑が、有権者の生活実感にあわないのは、当然なのである。
 だから、9月まで、日本の政治はぐちゃぐちゃになる。経済も同様である。そして、その後に来るのが、小沢の復活と民主党の復活である、と僕は考えている。
 「我々は、遠くから来て、遠くまで行く者である。」旧イタリア共産党書記長トリアッティの言葉である。この言葉は、社会的矛盾がある限り、それに抵抗する者はなくならないという意味の言葉であると、僕は思う。
 それにしても、日本のこうした将来が、検察の特捜という、民意を反映しない一機関が握っている現状、そしてそれをマスコミが支えるというメディア・ファシズムは、何とかしないといけないだろう。それすら、小沢の復活によって、同時に復活する民主党によってしか、変えることはできない。
 朝日のバカ社説はもう誰も読まないし、誰も信じない。ネットに流れる政局系の新聞社記事も同様だ。そこから、日本の民主化は始まるのだ。そして、そこからしか、始まらない。