共産主義の補足

 本論に入る前に、前回の日記を少し補足します。
 まず前回の最後に書いた、日本のような累進課税制と所得再分配があれば、についてですが、現在の日本の制度が十分ものであるという意味ではありません。むしろ日本程度のものでも意味があるという意味です。
 日記の途中にも出てきますが、最近話題の年金制度について、日本の制度は「アメリカを典型とする最低限保障責任政府」でも、「ドイツ、フランスを典型とする補完的責任政府」でも、「北欧諸国を典型とする最大限保障責任政府」でもなく、むしろ「無責任政府」であるとされます(神野直彦「政府は生活保障責任を明確にせよ」世界2004年3月号126-135頁)。これらの国で国民負担率がアメリカ並みに低い日本ですが、その内訳をみると個人所得課税の負担率の低さはアメリカ以下である点から、所得再分配機能はアメリカ以下と結論づけられています。
 最後にもう一つ付け加えますと、自分の考える左翼のあるべき姿を前回の日記に書いたのですが、この日記の左上にある僕のサイトの日本語部分の論考に「論考1:共産主義社会実現のための試論(1999/4/18)」を載せています。というのは、フランスの歴史家、ミシュレは『フランス革命史』序論の中で、王権神授説が死んだあとに精神の王国を形成したものとして、モンテスキューヴォルテール、ルソーの3人の名前を挙げ、特に後者の「ふたりが死んだとき、革命は、精神の高い領域においてすでに成しとげられていた」と書いているからです(中央公論世界の名著48、48頁)。同じことは共産主義革命においてもいえるのではないか。逆にいえば、理想社会の形がある程度明確にならなければそれを目指すことは困難ではないかという思いから載せたものです。その意味で、ぜひ興味ある方でお読みになられたら、上記サイトのBBSにでもご意見いただけたらと思っています。この日記もそうなのですが、あたりまえですが、自分の意見を絶対化する立場はとりません。むしろ開かれた方法たるべきと思っています。
 お断りしておくと、この論考には、革命論の最も重要な要素の一つである革命を担う主体に関する組織論が書かれていません。普通、党、労働組合ネグリ&ハートのいうマルティチュードあたりがその主体になるわけですが、『帝国』(ISBN:4753102246)を途中まで読んだときは、第三の主体はあんまりぴんとこなかった。ですが、いまはこのはてなダイアリーでほかの人の日記などを読むと、結構ありなのかもと思っています。