左翼と歴史法則

 左翼の基礎知識がない方に解説させていただきます。
 左翼というと、親旧ソ連親北朝鮮、親中国派ではないかと誤解されがちですが、この点に関しては、僕はむしろ新左翼に近くて、反帝国主義、反スターリニズムの立場です。
 そしてまた、ドイツの社会学者ユルゲン・ハーバマスの言葉を借りるなら「私はソ連があったから社会主義者になったのではない。あったにもかかわらず社会主義者になったのだ」とも説明できます。
 このように資本主義の矛盾を糾弾する社会主義共産主義の歴史は、いわゆる社会主義諸国の歴史よりも古く、また、現在の北朝鮮、中国のように人民が政治的権利を制限されている諸国の体制には、普通の左翼は、むしろ反発を覚えている気がします。左翼のスローガンとは「すべては人民のために」ですから。
 そして、現在のような資本主義全盛の時代に社会主義者たることの意味とは何かを書きます。
 それは現在の資本主義は、決して純粋な資本主義ではないことから説明できます。独占禁止法による消費者保護や累進課税制による所得の再分配などは、純粋な資本主義の(逆説的に聞こえますが)脆弱性を補強するために存在するといえます。つまり、政治制度を含む文化が資本主義経済を支えている。
 そして、政治体制で言えば、欧州の社会民主主義政党による政策や福祉国家政策、アメリカ流の最貧層救済制度など、いろいろな政治体制が現在あるわけですが、社会主義者共産主義者)は、そうした既存のシステム以上に、より民主的で自由な(加えると、よりエコロジーな)社会を目指すのだと思います。これが左翼(社会主義者共産主義者アナーキストなど)の立場といえます。未来の理想社会を想定し、それに至る道筋を考えるのですから、その思考方法は純粋にプラグマティックだし、教条主義とはまったく反対の、方法として開かれた思考方法を取ることになるのだと思います。このあたりが、僕の立場です。

 前の日記に書いた、マルクス、マックスウェーバー、カールマンハイムの関係も簡単に説明したいと思います。誰でも歴史はどのように動くのかについて関心を持つことがあると思います。アイザック・アシモフのSF『銀河帝国衰亡史』(現、『ファウンデーション』早川文庫)には、そのもずばりの心理歴史学なる学問が登場します。これは歴史の流れを数式で理解し、未来予測を可能とする学問でした。
 この心理歴史学はフィクションですが、実際の学問でも、過去の歴史的変化の原因が理解できれば、ある程度未来を予測できるのではないかと考えた人たちがいます。上にあげた3人はそうした人々です。
 マルクスは生産関係と生産力の矛盾によって歴史は変化してきたと考えました。原始的採取時代から農耕の時代に、そして近代産業社会への変化は、すべて、生産力の発展が、旧来の生産関係を打ち破りながら生み出されてきたと考えたのです。富の蓄積欲求が採取制経済から農耕文明を生み出し、産業社会の発展にたどり着く。そして、そうした経済体制の変化は、それにふさわしい政治社会システムを生み出すと考えました。
 かたやマックスウェーバーは、経済関係だけでなく、人間の心と行動を支配する文化こそが、経済関係や生産力に大きな影響を与えることを説明しました。
 マンハイムはこの2人の統合といっていいのですが、人々がいだくイデオロギーやそれに規定されて目指す、実現可能なものとしてのユートピアを説明しました(『イデオロギーユートピア』参照)。イデオロギーは、人間が生活において長時間を過ごす職場集団(学生、専業主婦集団、失業者集団と言い換えても可)の利害関係によって生み出される。そして、その集団はそうした利害関係によって、それぞれのユートピアを政治的手段を使って追求する(マルクス的にいえば、「下部構造=経済」が「上部構造=文化、心理」を規定するわけですし、マックスウェーバー的にいえば、そうした心理が自律的に活動し社会を動かすわけです。そこでマンハイムは両者の考え方の統合といえると僕は思っているわけです)。
 マンハイムはこうした知識社会学的分析によって、第二次世界大戦直前のドイツを分析し、エリートから落ちこぼれた失業者集団のなかにナチズム(全体主義)を指向するエートス(文化的原型)を発見します。そしてそれは不幸にも実際の政治を動かす強力な政治勢力になったことは、歴史の教えるところでした。日本の政治学でも、こうした考えは丸山真男ファシズム研究に受け継がれています。
 僕個人としては、こうしたマンハイムイデオロギー政治学を参考にして、歴史を動かす動因を考えたいと思っています。
 マンハイムは同時に、上記書籍の中で、こうした利害関係から比較的自由な階層として「自由浮動的知識人層」を見出し、国際連盟を通した世界平和に希望を託すことを語っています。
 ドグマにとらわれず、ネットで地道に正しいこととは何かを考えるネット市民に近い考え方かもしれませんね。
 左翼的には、マルクスは生産力の拡大が資本主義という生産関係すら破壊する時代が来ることを語り、その先に来るのは社会主義共産主義の時代であることをことを書いていますが、本当は、今の日本には、確信を持ってこれが社会主義社会だと語れる人間は、ほとんどいません。そして、それを大衆レベルで説得力あるかたちで説明できる人はもっと少ないと思います。僕も未だ語れないひとりですが、左翼を表明する障害にはなってません。ま、目標や生活態度ですから。
 ただ、それでもいえるのは、マルクスが想定した資本主義をブレイクスルーする生産力水準を現在の世界はすでに超えているのではないか、ということです。それでも世界から貧困はなくなっていない。だから僕は、世界の富を、日本にあるような累進課税制度と社会福祉制度を使って再分配すれば、今すぐにでも、すべての人類の機会の平等は果たせるのではないかと考えています。要はそれを保障する政治制度がないことが問題なのでしょう。政治家はどんな民主国家でも、基本的に有権者たる自国民を最優先に考えますから。
 それを越えるのは、国境を越える想像力や生活実感を伴った優しさ、共感などなのだと思います。