日常+橋下大阪市長の評価など

福島第一原発事故関係URL
武田邦彦(中部大学)ホームページ
http://takedanet.com/
実現させよう原発国民投票
http://kokumintohyo.com/
板橋区子どもを被曝から守る会
http://itabashi-kodomo.jimdo.com/
グリンピース
http://www.greenpeace.org/japan/ja/
都健康安全研究センター
都内の環境放射線測定結果 測定場所:東京都新宿区百人町
http://ftp.jaist.ac.jp/pub/emergency/monitoring.tokyo-eiken.go.jp/monitoring/
東京都ホームページ
http://www.metro.tokyo.jp/

 3月いっぱいで仕事が終わり、現在、就職活動をしているのですが、今日はそれも一段落したのでブログを書きます。
 また、自分が登録しているネットゲーム「トリックスター☆ラブ」が、昨晩6時15分から緊急メンテナンスに入っていて、まだ回復していないのも理由の一つです。最長27時間の記録があるそうなので、のんびり待ちたいと思います。入りたいのに入れない状態ですね。このゲームはいいですよ(笑)。

橋下大阪市長について
 では、まず、以前コメントに書いて補足が必要だと思っていた「橋下と小沢は水と油」について書こうと思います。
 半分は僕の願望です。残り半分は、以下の根拠があります。
 小沢が以前、TVトークショーカンブリア宮殿」に出演した時の言葉を、僕はわりと信じています。政権獲得前の小沢は言った。「今のように野党にまったく情報が提供されない状態は、健全な2大政党制の前提を欠いている。それを正さなければ、日本の政治の未来は危うい。」全く同感です。
 結局、橋下大阪市長と国会議員の小沢一郎の政治的資質の違いはあまりにも大きすぎると僕は考えます。
 小沢は単なる権力獲得だけでなく、将来にわたった日本の政治全体を見ている。しかし橋下は、ガリガリに権力獲得だけを志向しているように見えるということです。この違いが本質的に「水と油」、つまり非常に大きいと考えています。つまり、あの小泉を理想とすると公言する橋本は、いかに薄っぺらい人間であるかということです。
 ライフヒストリーから考えてみましょう。橋下は司法試験に受かって弁護士になり、TV出演で人気者となった。彼の人となりにはこうした成功体験しかない。つまり、彼の心を支配するのは、自分以外の人間は、すべて利用したのち捨て去ってもいいような道具でしかないということです。つまり、人として他者を尊重しなければならないという発想が、まったくないように思えます。それが、彼の弁護士にあるまじき人権無視の政策に表れている。大阪市職員に対する人権無視のアンケートもそうだし、憲法9条改憲の姿勢にも、それが現われているように思えます。
 「9条改憲」について説明すると、「日本国憲法9条は究極の人権保障である」と僕は考えます。「国際紛争解決の手段としての戦争を放棄する」という9条の言葉は、国益と称して、自国民とそれ以上の多数の外国人を殺してきた現在のアメリカ、そして戦前の日本を見れば、いかに人権を無視した誤った政策であるかが理解できると思います。
 僕は基本的に「戦争より腐敗」と考えています。腐敗で死ぬことはない(実際には、小泉時代以来続く社会不安と自殺者の急激な増加があるから、それでも福祉増強は必要です)。しかし、戦争はいやおうなく人が死ぬし、人を殺すための戦いです。これを防いだ9条を「究極の人権保障」と僕は考えます。
 また、機密保護法といったこうした「戦争」に関連する法案も、同質ものと考えます。
 話を戻します。たしかに、小沢と橋本には、右翼的体質といった重なる部分はある。しかし、小沢は2009年の選挙前に「生活が一番」と言って、その右翼的体質を自ら封印する良識を見せた。つまり「生活が一番」であれば、小沢の改憲志向などの政策は、遥か彼方の背景に押しやることができるからです。そこで前面に出るのは、旧経世会がその特質とした、国民に利益配分する経済中心主義になると僕は見ました。そこには当然、政治家による官僚の統制もあれば、米国の植民地状態から抜け出そうとする自主独立の外交政策もあります。
 しかし、かたや橋下には、こういった発想はまったくありません。対米関係の重視とか9条改憲とか大阪都構想とか教育委員会の解体とか、国家統制の大好きな自民党がこれまで主張してきたことばかりです。
 そう、たしかに参院廃止や道州制は主張していて、これ自体は正しい政策なのですが、後者に対しては財政的均衡がなければ、沖縄、福島といった国内植民地を新たに作るだけの政策です。
 日本はアメリカの植民地状態にある。そして沖縄、福島は同様に東京の国内植民地にある(高橋哲也『犠牲のシステム−福島・沖縄』集英社新書・2012参照)。こうした状態を変えようとする発想は、橋下には皆無です。

犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書)

犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書)

 小沢の「日本に必要な米軍は第7艦隊だけ」という発言は、後の「対等な日米関係」という民主党の2009マニュフェストにつながりますが、橋下にこうした発想はない。むしろ、師と仰ぐ小泉同様、これを主張しないことによって、アメリカの歓心を買い、権力を手に入れようとしているように僕には見えます。
 大阪都構想を見る限り、地方分権論者としての橋下にも疑問符が付きます。
 東京特別区制度は、戦時下の中央統制のために作られた制度で、東京市の権限を大幅に削減し東京都の直轄課下に置くための制度として作られた。現在では、特別区に議会も首長も置かれ、自治体の体をなしているのですが、それでも、いまだ東京23区の主張は「市並みの権限の獲得」です。これを大阪の人は知っているのだろうか? つまり橋下は、大阪市などを解体し、そのちに府知事に帰り咲き、石原慎太郎東京都知事のように権力を振るいたいということなのだと思います。
 むしろ、その頃は総理大臣になっていると思っているのかもしれません。だとしたら、これはかつて都知事選に立候補したNHKアナウンサーの磯村の政策のように「23区以外にも03の局番を使えるようにします」といったバカ丸出しのプライドをくすぐるだけの政策なのかもしれません。当時の美濃部都政は東京という一自治体の中で、欧米並みの福祉制度を実現しようとしてました。もちろんそれだけでなく様々な先進的政策を取っていたものです。だから、磯村は簡単に破れた。しかし、もしそれを見抜けないとしたら、今の大阪の有権者の頭脳レベルの底が知れるというものです。
 この条例に自公議員が賛成し、国会でも同様なのは、内容が地方分権ではなく、中央集権だからにほかなりません。現在の民主党案も同様です。小沢を排除した民主党の現執行部はほとんど自民党と変わらないのですから。
 教育委員会改革も、橋下や石原を見ていると、いかに誤った政策であるかがわかります。教育はすべての国民・市民にとって平等なものでなければならない。選挙で一部の有権者によって支持された首長が独占的に介入すべきものではないと僕は考えます。こうした弊害は、教科書問題や国歌・国旗の強制に表れているように思えます。
 目指すべき改革は、終戦直後のように、教育委員会の独立を維持する為に教育委員の公選制を復活すること。教育委員会の決定は全員一致を条件とすること。財政的法的権限を与えること。教科書の決定権は学校の教師に与えることであると考えます。教科書決定には教員と学生の親との協議会、つまりPTAが公開の場で関与することも必要です。
 これが、旧来のアメリカ型の教育制度でした。こうした仕組みなしに、教育における民主主義は成立しえないし、民主的な教育、つまり、自分の頭で考えて付和雷同しない日本国民・市民を育てることはできないと考えるからです。
 教育は権力者の思うままにさせてはいけない。何故ならすべての人々に関わる問題だからです。
 戦後自民党はこうした制度を、日教組の組織票に対抗する為として、教育委員長の議会の同意に基づく首長の任命制に替え、教科書無償配布と引き換えに、教員による教科書の選定権の剥奪と地域同一教科書の決定に変えてきました。これは、地域独立の民主的な制度から中央集権的な戦前の制度に戻そうとする動きでした。そして、それに賛成している橋下が、そもそも地方分権論者であるはずはない。だから自民・公明は橋下が中央集権的な政治制度を主張する限り彼を支持するわけです。ただし、公明は自民の尻を追いかけているだけだから、明確な主張があるわけではありません。自民にくっついての政権返り咲きや、橋下にくっついての議員当選を目指しているだけです。その意味で、右翼政党としての自民は首尾一貫しているというわけです。
 ですから、小沢は判決前の流動的な政治状況のなかで、「橋下の政策は評価できる」などと言っていますが、これは政治的リップサービスのように僕には見えるし、そう信じたいというのが、僕の偽らざる心境です。
 本当に僕が望むのは、月末の裁判における公訴棄却なのですが、これが高裁最高裁へと控訴され裁判が続くとしたら、小沢の政治力はそがれ復権が難しくなるように思えます。そして、それこそが、米国政府や日本の官僚層の望むこと、自民・公明の望むこと、そして旧体制で得た権益の保存に汲々とする連合のボス幹連中やマスコミの望むことだとしたら、法的に圧倒的に有利な小沢だとしても、楽観は許されません。
 ともかく、橋下はファシストなのですが、ヒットラー並みの危険度があるかどうかというと、遥かに小物のように思えます。しかし、小泉流の多少の風見鶏特性があればまだいいのですが、橋下は小泉よりはるかに低能で馬鹿な政策を打ち出したりするから危険とも言えます。小泉ですら改憲と消費税増税教育基本法改悪は行わなかったのですから。
 教育基本法改悪を行ったのは、小泉の選挙大勝という遺産を継承した安倍でした。
 以上長々と書きましたが、あるいは大阪の有権者連中は、毒を以て毒を制するといった力づくの大阪復権を目指しているのかもしれません。それこそ東京の有権者が石原東京都知事に求めていることです。
 しかし、僕は考えます。毒は毒でしかないということです。対外的に強く出ることはできるかもしれません。しかし、尖閣諸島買い取りといった外交センスのない、都税を自分のポケットマネーのように考える老人、死後にトラブルしか残さないような老人は、所詮それだけのものです。有権者のためにはならない。橋下は少なくとも若くはあるのですが、若いバカは未来があるから始末に負えないように思えます。デマゴーグの正体が早く割れることを望みます。

恕の人−孔子

恕の人-孔子伝- DVD-BOX1

恕の人-孔子伝- DVD-BOX1

孔子暗黒伝 (ジャンプスーパーコミックス)

孔子暗黒伝 (ジャンプスーパーコミックス)

孔子伝 (中公文庫BIBLIO)

孔子伝 (中公文庫BIBLIO)

 『トリックスター☆ラブ』以外に、はまっているのがBS日テレで放送中の『恕の人−孔子伝』(http://www.bs4.jp/drama/koushiden/)です。サンデルを読んで、アリストテレスを読んで、ちょっと倫理に関心がでたところで見ているドラマなのですが、これまで関心を持ってこなかった孔子の生涯をドラマで見ると、面白いですね。僕の基礎知識は諸星大二郎孔子暗黒伝』くらいだったのですが、陽虎や顔回子路、それに老子まで諸星先生の漫画のイメージそのものとして登場するので、ちょっとしたエンターテインメント、オールスターゲームといった趣です。まだ11話まで(全35話)しか見ていないのですが、最後まで楽しみです。
 また、単線的にこの物語だけ信じ込まないように名著の誉れ高い白川静孔子伝』(中公文庫・1991)も買って読み始めました。こちらも面白いです。

北朝鮮のロケット
 これはばかばかしい話です。ワイドショーのネタになっても、真面目に取り上げる必要はありません。なぜなら、日本に届くミサイルは、すでに実験に成功しているからです。核も搭載可能だという。かたやそれを撃ち落とすとする迎撃ミサイルは、いまだ精度不足で信頼できないと言います。
 唯一今回のミサイルで問題なのは、日本がアメリカ防衛の前線基地化することです。そっちのほうがよっぽど問題だと思います。迎撃ミサイルの精度不足は、問題じゃないんですね。だって、精度があると日本人が信じて、高い金出して買ってくれれば、アメリカさんは大安心なのですから。

政府の新食品放射性安全基準
 まだ高い。これに関してNHK『ドキュメンタリー現代』で特集していました。つまりは事故前から日本の法律で定めれらている年間1ミリシーベルトの被曝に近づけようとする考え方で、トータル1ミリシーベルト以上になるのだから、新基準でもまだ高いというべきです。環境による汚染も加算して、そのうえで年間1ミリシーベルト以下を目指すべきだからです。そして重要なのは、それに反する行為は違法であるということです。
 真面目な顔して『ドキュメンタリー現代』で議論していたけれど、年間19ミリシーベルトの環境で暮らす人々はどうなってしまったのでしょうか? 年間7.44ミリシーベルト(数値は今日現在のネットの値、http://www.naver.jp/radiation)の環境で暮らす福島市の人々は? これを僕は、高橋哲也氏同様、国内植民地と呼びたいと思います。「帰還を早める。それが住民の希望だ。」と述べる民主党現執行部は、総じて頭がおかしいと言わざるをえません。帰還や住み続けるという行為は、安全が前提だからです。
 旧ソ連ではチェルノブイリ原発事故のとき、年間5ミリシーベルト以上の放射能汚染地域住民を強制避難させました。それでも住みたい人は住んでもいいのです。危険性の伝達は済んでいるので、後は個人の判断に任されるからです。しかし、それすらないのが、日本の現状である点に注意が必要です。これは何度でも言わなければならないことです。

君が代、日の丸に関する補足
 いまだ「公務員だから職命令に従うのは当然」といった意見を聞くので補足します。君が代・日の丸は確かに日本の国歌と国旗です。でも、もしこれがナチス党の旗や旧ソ連国旗だったとしたら、みんなは「従うのは当然」と言うでしょうか? むしろ従わないのが当然と答えるでしょう。
 戦前日本はこの歌と旗の下、侵略を行い、おおぜいのアジア人、外国人を殺した。もうそんなことをしないというのが日本国憲法や戦後政治の原点でした。そして今でも、僕を含めて、日の丸君が代を、こうしたナチ党の旗と同じようにイメージする人々が厳然として存在します。だから国会で国旗国歌法が成立した時も当時の自民党有馬文部大臣が「この法律は使用を強制するものではない」と明確に答弁しました。
 ところがそれを忘れたどこかのアホが強制を始めた。だから現天皇をはじめとする良識派は「強制することのないように」と考えています。
 もしこの問題をおろそかにするなら、それこそ「思想・信条の自由やその表明」といった基本的人権を全く理解していないことになります。これはワールドカップで旗を振るとのは全く違った問題です。