プロテストソング、市民運動

福島第一原発事故関係URL(放射性物質被曝問題が未解決なので、いましばらくURL掲載を続けます)
武田邦彦(中部大学)ホームページ
http://takedanet.com/
「くれぐれも「暫定基準値内だから大丈夫」という言葉にごまかされないでください。
今の食品の汚染に関する暫定基準は、1年17ミリシーベルトから22ミリシーベルトの被曝を基準にしていますから、子供はもちろん、大人でダメです。
簡単に言うと、原子炉で働いている作業員が白血病になったとき、その白血病が「原子炉で働いて被曝したのが原因」という認定を労働災害で受けるのが5ミリシーベルトの被曝です。」−武田邦彦ホームページ「食品の暫定基準値は1年20ミリシーベルト内部被曝を想定している」から引用
都健康安全研究センター
都内の環境放射線測定結果 測定場所:東京都新宿区百人町
http://ftp.jaist.ac.jp/pub/emergency/monitoring.tokyo-eiken.go.jp/monitoring/
東京都ホームページ
http://www.metro.tokyo.jp/

プロテストソングとしての「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」
 先日紹介した制服向上委員会の「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」(http://www.idol-japan-records.net/live/index.html)ですが、何で僕がこんなに惹かれたのかがわかりました。これは久しく聞いていなかったプロテストソングだったからでした。アイドルがプロテストソングを歌うこと自体まれなことなので、つい気がつかなかった。プロテストソングは僕にとって、革命歌、労働歌と同じく、非常に懐かしいものです。
 また、「若年の子供たちに歌わせることはよくない」「操られてる」などとネットでこの歌が批判されていますが、プロテストソングは、だいたいが若い世代から生まれるものです。大人は不正に対する感度が鈍いから、それは当然といえるでしょう。
 また、売名行為だといういう意見もあります。もしそうなら、むしろその勇気をたたえるべきだと思います。彼女たちは、音楽産業からこの歌によって強烈な弾圧を受けている。そんな「売名行為」をあえて行うとしたら、その勇気こそ賞賛すべきでしょう。
 同じグループによる「TVにさようなら」(http://www.youtube.com/watch?v=yJrPNdb1-DU)も橋本美香&制服向上委員会の「原発さえなければ」(http://www.youtube.com/watch?v=DnNed1RryIs&feature=player_embedded#at=71)も、同様にプロテストソングと言えると思います。
 プロテストソングは、1970年頃に、主に若いフォークのシンガーソングライターによって作られた曲なので、今の若い人は知らないかもしれません。RCサクセションの「サマータイムブルース」1988(http://www.youtube.com/watch?v=aJdMa1VI0do)やTHE BLUE HEARTSの「チェルノブイリ」1988(http://www.youtube.com/watch?v=co43b5vq1d0&feature=related)は比較的最近ですが、それでも、10代、20歳前後の人は、初めて聞く人も多いと思います。これはフォークではなくロックですね。
 ここで大切なのは、こうした歌に共通するのが、あまりにひどい現実に、それがCDやレコードの流通に載らないというハンデを負うにしても、彼らは歌わずにいられなかったという事実だと思います。
 ジョン・レノンの「イマジン」がアメリカのアフガン・イラク戦争当時マスコミからシャットアウトされたのも、そうした事情を物語っています。しかし、ジョンは「イマジン」や反戦歌「パワーツーザピープル(人民に権力を)」を歌わざるを得なかった。それは、現実(例えばベトナム戦争)が、あまりにひどすぎたからにほかなりません。
 ここで、少し振り返ってみれば、20歳を超えた僕らは、当然のことながら、1人1票の選挙権を持っています。それは、金持ちも貧乏人も平等に政治を作る権利を持っているからです(不当に参政権を剥奪されている日本在住外国人の参政権問題はここでは論じません)。そして、何が自分にとって大切な政策かは、当然のことですが、自分で自由に決める権利がある。しかし、もしその判断をするための材料である様々な意見を聞く機会が阻害されていたとしたらどうでしょう? 我々は正確な判断が不可能となる。
 そうした事態をもたらすのが、こうしたプロテストソングに対する流通・メディア側の妨害であると言えます。上に掲げた曲はすべて、流通・メディアから阻害された曲です。そして、いま最もホットな話題である福島第一原発事故にかんして、制服向上委員会「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」はCDショップから締め出されている。ポスターを張ることすらできない。
 実際の発売は8月15日なので、まだ先行予約の状態ですが、その予約が行なわれていないことからも、締め出そうという意図は明確と思います。ためしにアマゾンで検索をかければ一目瞭然です。この件は、制服向上委員会の公式サイトにも言及されており、それに対応する為に、当サイトではこの曲の直販を始めています。
 流通やマスメディアにおける自主規制とは、このように民主主義を大きく損なう行為です。反原発デモ報道に新聞・TVともに消極的なことも同様です。こうした一連の動きは、昔からのものとはいえ、以上の理由から犯罪的行為と言えるものです。
 また、枝葉末節ですが、「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」のユーチューブ・コメントに、「こんなにあっけらかんと歌うのは忌野清志郎を汚すものだ」みたいな書き込みがありましたが、僕は逆に、彼がもし生きていたら、絶対に制服向上委員会を称賛しただろうし、支援を惜しまないだろうとも思います。彼が大切にするのは歌の「魂」であって「形式」ではないと思うからです。ここだけは思い違いをしてはいけない。悲惨に歌えばプロテストソングとしてOKというものでは、まったくないのです。
 プロテストソングで大切なのは、民衆のプロテストの精神を大きく高めることなのですから。その意味を反映して、英語版字幕付きの「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」に寄せられた海外のコメントは、おおむね好意的なものでした。

脱原発市民運動
 3月11日以降、各地で行われている反原発デモは、まさに典型的な市民運動であると言えると思います。こうした運動を左翼的と考える人がいるとしたら、その時点で、その人は終わっていると言っていいと思います。もし、放射線被害が左翼支持者だけに出るのであれば、その見方も正しいのかもしれませんが、保守派も含めてすべての人間に平等に放射線障害は現われる。だから、この事実だけを見ても、反原発運動は左翼だけのものじゃないですね。実際にデモで日の丸が振られていたりもするわけです。
 むしろ、北方領土にこだわる右翼の側こそ、原発事故によって立ち入ることもできなくなった日本国領土に対してなにも感じないのかと言いたい。でも、右翼の人は、多少領土が無くなくなっても、核兵器を作るための原発は必要だと思っているのかもしれません。それとも放射能は目に見えないから、政府の言う通りにしていれば安心だと思っているのかもしれません。
 以前、終戦直後にヤミ米を摘発する立場だった検事が配給米だけを食べて餓死したという話を聞いたことがあります。それだけの覚悟があるのならいいけど、そうした右翼的意見を言う人に限って、福島周辺にも住まず、あやしい食品を避けているのなら、原発容認派がいかに無責任なものわかるというものです。
 また、TVなどで、いまでも「原発の即時全面停止はエネルギー事情を考えると不可能」という解説者がいます。しかし、彼らは、原発事故で避難している人々の前で同じことを言えるのでしょうか? 多分言えないと思う。そしてもしそれを言ったなら、「じゃ、お前の家と仕事を俺らに渡して、お前はここで難民暮らしをしてみろ!」と言われるでしょう。そんな覚悟もないのに「原発の即時停止=非現実的」と言うとしたら、それはとんでもない恥知らずだと思います。
 考えてみれば、僕らが1979年の米国スリーマイル島原発事故の直後、原発は危険だから停止すべきだといった時、多くの人が日本の原発は大丈夫だと言って取り合わなかった。そして、その時すべての原発を止めていれば、福島原発の事故はなかったのは事実です。
 今また、福島は事故が起きたが、他の原発は大丈夫だというのなら、それは何も学んでいない全くの非合理的発想だと思います。玄海が事故れば福岡市が汚染され、富山が事故れば関西は飲料水や食料の供給が断たれる。そして、そうした事故が明日、もしくは今日起こるかもしれないのに、何も手を打たないとすれば、それこそ狂気の沙汰というべきだと思います。これは冷静に考えれば、ちっともヒステリーじゃないですよね。
 かつてベトナムに平和を市民連合(べ平連)という反戦市民運動を始めた小田実は「ベトナムの北爆は本当にひどかった。自分たちへの空襲を思い出した。だから、やむにやまれずみんなデモに出たのだ」と語りました。それは革命を模索した共産主義者同盟やその分派による学生運動とは一線を画していたし、それゆえ広範な支持を得ることができました。
 現在の脱原発デモも同じ構造をもっように思えます。福島の事故は本当にひどい。そして、いまもチェルノブイリ原発事故なら当然避難している放射線濃度のエリアである福島市郡山市、その周辺自治体に人が住まわされている。福島市には今も僕の友人が住んで働いています。それ以外の地域にも、政府の不当な暫定基準値のために汚染された食料を食べされてれている人々がいる。このように、原発事故という人災による放射線汚染によって人々は今日も不安に暮らしている。そして、他の原発もいつ事故を起こすかわからない。それではあまりにひどいじゃないか、というのが脱原発デモに関わる人々の思いだと思います。
 放射線は目に見えない。だから、政府は人々をだましやすいのでしょう。しかしながら、真実はネットの中にあります。政府が我々を守らないのなら自分たちで守るしかないとみんな考えています。そして、政府を動かすためにデモをするしかないというのが、今の人々の現状だと思います。
 まさに、「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」の歌のとおりなのです。「安全というのなら、お前が住め!」という歌詞は、端的な真理なのだと思います。