ネットVSテレビの行方とは

福島第一原発事故関係URL(放射性物質被曝問題が未解決なので、いましばらくURL掲載を続けます)
武田邦彦(中部大学)ホームページ
http://takedanet.com/
都健康安全研究センター
都内の環境放射線測定結果 測定場所:東京都新宿区百人町
http://ftp.jaist.ac.jp/pub/emergency/monitoring.tokyo-eiken.go.jp/monitoring/
東京都ホームページ
http://www.metro.tokyo.jp/

制服向上委員会
 先日紹介した制服向上委員会ですが、調べたらいろいろな曲を発表していました。「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」でポッと有名になったグループじゃないですね。不勉強でした。
 彼女たちの歌を聞いているうちに、テレビの存在意義って何だろうと思えてきました。
制服向上委員会/TVにさようなら
http://www.youtube.com/watch?v=yJrPNdb1-DU

 つまり、この歌を聴いて、僕は気づかされることが多かった。
 しかし、その話の前に、まず制服向上委員会の曲の良さを紹介すると、以下の歌があります。

原発さえなければ/橋本美香&制服向上委員会
http://www.youtube.com/watch?v=DnNed1RryIs&feature=player_embedded#at=71

 これは、maximum the hormoneが謳ってヒットした曲

小さな君の手〜maximum the hormone
http://www.youtube.com/watch?v=2YV6IJLoBv4

で、なぜ彼らがTVに向かってゲロを吐かなければならなかったのかを、直接言葉で説明しちゃってるんですね。今「信じる」とか「仲間」だとかいろいろ言っても、「誰を信じるのか」、「誰が仲間なのか」を言わなければ、それらの言葉は「むなしくなる」だけです。これは、いわゆる被災地応援ソングを聞いて、いつも僕も感じていたことです。
 いい歌なら売れるし、売れればチャリティになる、そして、そのお金で救われる人がいるのだから、全面的に否定することはできません。しかし、歌自体の価値としては、TVに載せるための自主規制だらけで、何も言っていないに等しい。だから、ゲロを吐くしかない歌になってしまうのだと思います。たぶん、「小さな君の手」のPVを見た人は、この歌に込められたそうした暗示がわかっているのでしょう。そして、そして、それでもTVに載せるために、maximum the hormoneは後半をメタルにそらしたのだということすら、ファンは理解しているのだと思います。
 もうひとつ、音楽のCS局を聞いていて

K DUB SHINE - 自主規制
http://www.youtube.com/watch?v=me7rOhscMec

を偶然聞きました。全然本音を言わない日本のラップを聞いて、何なのこれって思っていた自分には、このタイトルで歌を作るだけでも、ちょっと注目したのでした。でも、実際に聞いた感じでは、曲の内容が良い子すぎて、まだまだ全然本音を言っていないように聞こえました。「自主規制」というラップを歌いながら自分が自主規制してるんじゃないかとまで感じたわけです。
 でも、これも、いま再び聴き直せば、この曲がTVに載らなないことも覚悟して歌ってるのかなとも思いました。だとしたら、maximum the hormoneにしてもK DUB SHINEにしてもTVに載せることも踏まえて、頑張っているわけで、その努力は称えたいと思います(なにやら、えらそうですいません、何しろラップやロックは初心者なので、なにとぞお許しください)。
 しかし同時に、それほどTVは大切なのか、とも思ったわけです。

 もう1曲制服向上委員会の歌を引用します。

STOP!STOP!STOP!/制服向上委員会
http://www.youtube.com/watch?v=wI-rT95y2Ms

 これは自殺予防の歌だなと思いました。自殺とは自分で選び取っているように見えて、じつは社会に対する無理解によって引き起こされることが多い。つまり、社会に踊らされているうちに出口なしになりがちな問題であることも多いと思います。その意味で、自分の意志のように見えて、じつは踊らされているだけということが多い。自殺行為の自傷に対して、他者を傷つける犯罪行為も同様です。どうしょうもなく見えても、じつはそうじゃない別の道があることに気づいてというのが、この歌のテーマなのだと思いました。
 こんな若いかわいい女の子たちに言われたら、気付かないわけにいかないじゃないかというのが、この歌を聞いた男性である自分の心境です。

ネットVSテレビの現状
 このへんで、制服向上委員会の紹介は終えて、ネットとメディアの関係に移りたいと思います。
 自分がTVや新聞を読むときは、たくさんある番組や記事の中から、なるべく真実に近いものを探すという作業が伴います。雑誌やネットでも同様です。これがよくいうメディア・リテラシーなのですが、それにしてもTVや新聞はひどすぎる。
 1つ例をあげれば、福島原発事故に関して僕らの取るべき基本的スタンスは、まず第一に、東電も政府も「絶対安全」という言葉で、我々をだまし続けてきたということです。
 誰も見ないし報道もされない政府文書や法律に「これ以上のマグニチュード地震が起きたら原発は壊れます。そして住民は被曝します」と書かれていたとしても、僕らは知らされていなかったのだから責任はありません。つまり、僕らは、全員が一方的被害者であるということを忘れてはならないのだと強く思います。
 だから、この事故で我々はすでに被害を被っているわけで、これ以上の、電力値上げとか、公共施設での利用者に犠牲を強いる節電などの被害を受ける必要は、まったくない。これ以上我慢する必要もまったくないという点です。
 再度言えば、僕らは政府や東電にただ怒りをぶつけ、賠償を請求するだけでいい。これ以上、何かを我慢する必要はまったくないということです。
 また、原発事故による放射性物質汚染問題は、公害とまったく同じ性質を持っています。その対象地域はかつての公害問題と比べても格段に広い。そして将来の放射能汚染被害は、それが予測される以上、早急に除染という対策を取ることができる。そして、もしそれに対して政府や地方政府(都道府県)が及び腰であるのなら、彼らも批判の対象とされるべきです。
 外部環境においては1時間0.11ミリシーベルトが上限(先日放送の「情熱大陸」で武田邦彦氏が言っていました)だし、食品については、政府規制値の10分の1が限度という目安があります(上掲、武田氏のホームページ参照)。この限度についても、それよりも低ければ低いほどいい値となります。すべて自分自身の体で合計されるわけだから、なるべく年間1ミリシーベルト以下、そして出来る限りゼロに近づけるのが被害を受けている我々にとって当然の行為となります。
 話がそれましたが、民放はこのように視聴者ではなくスポンサーを見ている。新聞も、その収益の4割に及ぶ広告宣伝費のためにスポンサーを見がちです。我々の視聴料によって支えられるNHKですら、払っている我々の方ではなく、その法律を所管する総務省(=国家官僚)の方を向いている。
 だとしたら、そんなTV・新聞が腐ってしまうのは当然です。最近のTV・新聞の反原発の風潮も、東電からの広告収入が今後しばらく見込めないことが明らかになったが故と言われています(CS朝日ニュースター「パクインジャーナル」内の発言)。これは報道としては最低なのですが、これまでの腐敗構造を知っている我々からすれば、良い変化と言えます。
 しかし、政府の官僚組織とのズブズブの関係はいまだ切れていないから、視聴者・読者の利益より官僚の肩をもって行おうとする組織存続の方がいまだ強いように思われます。

ネットVSテレビの未来
 ここで登場するのが、新しいメディアであるネットです。TVに光回線のセットトップボックスを設置すれば、地上波デジタル、BSデジタル、CS局以外のネット・メディアを高品質で流すことが可能となります。そして、ネットには検索機能もある。
 新聞・雑誌についてもタブレット端末で配信が始まっています。
 朝日新聞デジタルでは月間購読料+1000円でネット配信にも対応するようですが、これは朝夕刊の全記事が掲載されているわけではないので、情報としては紙版より劣化する可能性があります。
 新聞によっては夕刊紙「日刊ゲンダイ」のように、紙面をそのまま配信するものもあるので、これに付加価値を与える方向が望ましいと思います。
 つまり携帯端末もしくは卓上PC、もしくは家庭用TVの大画面で、ネットとシームレスな情報提供が行なわれるのなら、本来の意味でのTVとの娯楽や報道の競争が可能になるのではないかというのが僕の印象です。そうすれば、制服向上委員会も、反原発発言で干された山本太郎も、同じ媒体(装置)に登場し、内容によって勝負(競争)することが可能となります。
 じつはもうそんなTVも発売されているわけで、iPadなどのタブレット端末も同じ機能を持っています。あとは、これらの媒体に合わせたインフラソフト、つまりスムースな視聴を可能とする統合された仕組みさえできれば、意外と早くネットとTVが混然一体となって、健全に競争する時代が来るのではと思います。
 その時、TVはこれまでの役割を終え、放送禁止の歌や出演者が無くなる時代が来るのかもしれません。じつは、昨日引用した「サマータイムブルース」にしても、ほとんど事実上の発禁曲だったのです。ブルーハーツの「チェルノブイリ」にしもて自主制作だし。その当時はお金を出してCDやレコードを買うしか聴く方法がなかった。何しろテレビもラジオも全く流さない。そして、ネットもなかったから。
 その意味で、今はすごく恵まれていると思います。だけど、手軽さという意味で、ネットはまだ敷居が高い。よく言うデジタル・デバイドです。これが標準機能として、電話や光回線とつながり、融合し、一体となった時、本当の情報民主主義が確立されるように思います。そして、そうした時代も意外と近いのではないかと思います。逆に言えば、それだけ現在のTV・新聞・雑誌といったマスメディアの腐敗が進んでいるというべきなのかもしれません。