菅辞任に関するくだらない議論を正す

福島第一原発事故関係URL放射性物質被曝問題が未解決なため、日記内容に関わらず、URL掲載を続けます。)
武田邦彦(中部大学)ホームページ
http://takedanet.com/
都健康安全研究センター
都内の環境放射線測定結果 測定場所:東京都新宿区百人町
http://ftp.jaist.ac.jp/pub/emergency/monitoring.tokyo-eiken.go.jp/monitoring/
東京都ホームページ
http://www.metro.tokyo.jp/

基本状況
 先の内閣不信任案否決以後、ポスト菅をめぐる様々な議論が新聞・TVで行われています。しかし読者視聴者の反応はいまひとつです。その理由を僕は考えてみたいと思います。
 第一に、菅内閣への不信任案は可決すべきであったという点です。それは、菅内閣の震災以降の復旧支援の政策、特に福島第一原発事故に対する対応が全く間違っていたことがその理由です。
 第二に、新聞、TVなどのマスメディアが、政府同様に焦点のぼけた報道、ひどい場合には嘘の報道を繰り返すため、読者の支持を失っている点です。
 第二に取り上げた報道が適正になされているなら、政府や与野党に対する支持は失われたとしても、メディアに対する信頼はかろうじて残り、正当な世論形成が可能ですがそれがない。そうしたことがマスメディアに対する支持の喪失と、インターネットを通じた言論への支持の高まりをもたらしていると考えます。
 第三に、ポスト菅を考える場合、菅不信任案は可決されるべきだったとしても、次を狙う側に、原発政策の継続を望む勢力=自民党が大きく関わっている点です。
 また、与党時代の政策から、自民党が本当に狙っているのは、被災者救援ではなく、復興利権ではないかという疑念がはらされていません。それは、自民党の野党化以来、彼らが自己批判をまったくしてこなかったことからも明らかです。
 みんなの党は、菅内閣不信任案への賛成演説で、自民より明確に菅内閣の事故対応を批判していましたが、原発継続か否かに関してははっきりと発言していません。
 公明党に関しては、自民より反原発なのですが、自公連携を意識してか、その態度は明確ではありません。
 この2点、復興利権と反原発に関する態度表明が不明確である点は、小沢グループ鳩山グループも同様ですが、彼らには民主党の2009マニュフェストにおける自然エネルギーへの転換というバックボーンがあり、それへの復帰を明確にしているので、その意味ではある程度の予測は可能です。復興利権に関しても、2009マニュフェストの精神に反する政策であるから、ある程度は信頼できると考えます。
 共産党社民党に関しては、反原発、復興利権反対で統一されているのですが、自民の不信任案提出理由を理解しているが故に、採決欠席になったのだと思います。

分析
 さて、上記を踏まえて、内容を分析してみたいと思います。
 第一に書いた、菅内閣の震災復興支援の失政に関しては、新聞・TVのマスコミの報ずるとおりです。しかし、原発事故に対する評価は政府・マスコミとも、まったく誤っていると考えられます。
 まず、原発は安価なエネルギーなのかを検討しましょう。今回の事故に対する補償費用を計算すれば原発が安価なエネルギーでないことは明白です。そして「想定外」と強調される地震津波の自然災害ですが、今回の事故で、大規模地震があれば原発は必ず壊れる(原発ごとにその耐用震度は違いますが、マグニチュード3〜4が限度とされます)ことが明らかになりました。そして、その際に、送電設備が故障(これは必ず故障します)し、そうした大規模停電が継続すれば核燃料の熱暴走を防ぐことはできないという事実です。こうした点は、上記、武田邦彦氏のホームページに指摘されているとおりです。
 第2に、原発はコスト的に商業利用できるかの問題です。原子力発電に伴って排出される放射性廃棄物ですが、その安全化には10万年の月日がかかるといいます。これは科学的事実です。そして、現在の原発関係者は、この安全管理に関する費用をまったく計算していない。とすれば、原発はコスト的にも、安全管理的にも、まったくナンセンスな選択になります。ここから導かれる正解は、原発の全面的廃止は、早ければ早いほど、将来失うものが少ないという結論です。マスコミは電力需要うんぬんを繰り返して、こうした真実を報道していないことが、基本状況の2番目に書いたマスコミ不信をもたらしているように思います。政府は言わずもがないです。
 第3に、政府は本当の問題が、原子力発電所の事故の終息ではなく、すでに排出された放射性物質からの被曝に移っていることを、意図的に隠している点です。それは、マスコミも同様です。
 先日の朝日新聞記事には腰を抜かしました。お茶に含まれる放射性物質が政府基準以下であれば、年間飲んでも安全であるという記事です。しかし、政府が基準を設けているのはお茶だけではありません。そして、人はお茶だけを飲んで暮らしているわけでもないので、まったくいいかげんな記事というべきです。
 以下に武田邦彦教授の解説を引用します。これを見比べれば、どちらが正しいのか一目瞭然です。

「規制値以下なら安全」
という名の下に、どのぐらいの被曝を受ける事になるのでしょうか?
・・・・・・・・・
文部大臣からの被曝
(3.8マイクロシーベルト(毎時)×8(時間)+0.4(家の中)×3.8×16(時間))×365/1000=20ミリシーベルト
・・・
生協の食材からの被曝
(特に断らない限り、キログラムかリットルあたり)
お米  規制値 500ベクレル、 野菜  規制値 300ベクレルだから、約400ベクレル(ヨウ素
1日に食べる量         1.4キロ
(ベクレル)×(とる量)×0.0073=年間被曝(ミリシーベルト
実際には、セシウムストロンチウム(測定されていない)、プルトニウム(測定されていない)などが入るので、2倍にして、
4ミリシーベルト×2=8ミリ
・・・
水道局
事故後の新基準 300ベクレル
1日に飲んだり歯磨きしたりする量  2キロ
4.4ミリシーベルト×2=8.8ミリ
・・・
体内被曝計算
グラウンドで遊んだり、帰ってから外で遊ぶ時の被曝(文科省は子供が学校から帰ったら、家の中から一歩も出ないとしている)は、かなり高いが、これを校庭における外部被曝と同じとして、
3.8*8*365/1000=11.1ミリ
内部被曝を重視する学者の先生から見ると、この計算は甘いと言われそうですが、内部被曝を軽く見る人もいるので、一応、これで進みます。)
・・・
合計すると、
20+8+8.8+11.1=47.9ミリシーベルト
これが今、日本の大人が子供にしていることです。
法律では、1年1ミリシーベルト(一般人)、放射線作業者の上限1年20ミリシーベルト(実際の平均値は0.7ミリシーベルト)です。

武田邦彦ホームページ−特設2「たて割無責任社会:大人が強いる子供達の被曝」より引用

 このように菅内閣は不信任されるべき存在です。そして、その時期は、早ければ早いほどよいと判断できます。
 武田氏の議論を引き継げば、政府の食料品に関する規制値は高すぎるということ。被災地支援をと称して汚染された食物を販売することは、たとえそれが規制値以下であっても犯罪的行為であることが言えると思います。少なくとも規制値を、食品は10から20ベクレル、水道はせいぜい20ベクレルまでに下げるべきであると考えます(このことは上記武田氏のホームページ「新しい「信頼される」生産者・流通の時代に!」に記述されています)。
 つまりこれ以上の食物を販売することは、国民を違法に内部被曝させることであり、輸出などはとんでもないことなのです。そして、同時に、政府と地方自治体にはこうした基準を守らせるべく行動する責任があるということです。これは風評被害ではないからです。完全なモニタリングも必要です。
 菅内閣はこれらの政策を取りませんでした。だから、不信任されるべきなのです。
 しかし、次期政権は、逆に言えば、これらの政策を行う主張をもつ人々が担う必要がると言えます。
 こうした視点に立てば、TVを中心にしたマスコミの報道姿勢がいかにいいかげんなものかがわかります。「被災地がひどい目にあっているのに、中央は政局に明け暮れてあきれる」といった被災地の声がさんざん報道されました。しかし、何もしてこなかった菅政権を非難する声は巧みにかき消されています。そうした声はあるはずです。しかし表に出ない。マスコミの意図を感じさせる所以です。だからマスコミは信用されなくなりました。
 震災対策を理由とした菅政権の当面の継続を求める声も、こうした観点からは同様のものと言えます。つまり、これまで何もしてこなかったのだから、菅政権はこれからも何もしないであろう。しかし、被災地ではない自分たちからすれば、政権が自民に戻ってもっとひどくなるよりましと、被災地以外の人間は考えているように思えます。
 しかし、これも、マスコミ・政府同様に非常にエゴイスティックな考えです。つまり、被災地の未来、日本の未来に対して何も言っていないに等しいからです。

ポスト菅をめぐる現状と結論
 菅総理を生み出した仙谷はいま、菅を引きずり下ろすことによって、自民との大連立を模索しています。かけ声は「国難に対して与野党の垣根を外して対応する」です。しかし、この内容は、菅首相の登場以来続いてきた、マニュフェスト否定、自民へのすり寄り、政策のよりいっそうの自民化をもたらさらざるをえないものです。党内に十分な勢力を持たない彼らは、これまで「反小沢」というマスコミの援護射撃のみがその勢力を支える礎でした。そして彼らの政策は、2009民主党マニュエストという鳩山=小沢が生み出した、そして政権獲得を可能にした政策の否定でした。ですから、次に来る仙谷の構想する大連立は、誰が首相になっても民主党の自民化の最終的完成形態になることは必定です。
 これに対する対案とは、小沢=鳩山が民主党内でのリーダーシップを回復し、民主党自身が2009民主党マニュフェスト路線へ復帰すること。そのうえで、民主党同様に生活者重視を掲げる公明党を連立に組み込むこと。そのうえでの復興政策になるのだと思います。ここには官僚の不平等状態を維持したままの増税路線ではなく、合理的行政機構と合理的な負担が可能となります。
 生活者重視を視野に置く限り、公明党の支持は得られます。自民党の政策が生活者重視でないことを浮き彫りにすれば、なおさら可能です。
 2009年に政権交代を望んだとき、僕が重視したのは、究極には「合理的な政治」の1点でした。これまでの、特に末期の自公政権は、こうした合理性とはかけ離れた姿だったからです。合理性のないところに民主主義が成立可能なはずもないのです。合理的なマスコミも存在しえません。鳩山政権末期のマスコミの政権批判の集中砲火、昨年9月の民主党代表選における小沢氏に対するマスコミの集中砲火は、同じ紙面で検察特捜の犯罪を報じる姿とは、同一媒体とは思えないものでした。そして、それによってもたらされた現実が何であるのかは、いまなら、国民・有権者・市民が皆、徹底的に思い知らされていることです。
 政治の腐敗が、単にその国に住む市民の不利益だけではなく、生命すら脅かそうとしている崖っぷちに我々は立っていることに、僕は警鐘を鳴らしたいと思います。
 マスコミとそれを利用する政治家によって踊らされるのは、太平洋戦争突入だけで十分であると言わざるをえません。竹やりでB29を落とせないのは、今ならだれもが知っていることです。ですから、放射能汚染された野菜を被災地支援のために食べることは、玉砕にいたるチキン・ゲームの一種であることを、裸の王様の見える子供は、勇気を持って指摘すべきなのです。
 それは人間として冷たいことではありません。本当に命を守るのは誰なのか、そして被災地の食物の本当の信頼を回復するために、正しい規制値と完全な食品のモニタリングは絶対に避けられない、必要なことなのです。そしてそれは、品質管理で日本のブランドを作ってきた日本市民なら、必ず実現できるものだと信じます。それを阻害しているのは、われわれ市民ではなく、人の命をなんとも思わない腐敗した政治家・官僚なのですから。