ある菅政権擁護論者との議論

ある論争
 修了式に向かう中、もう1つ考えていたのは、ある友人とのミクシィのボイスでの議論でした。
 彼は、菅退陣反対、特に小沢氏による倒閣運動に反対する立場です。彼の発言は、途中で「釣り」であると自ら公言したので、議論を打ち切りました。「釣り」なら続ける意味はないからです。
 しかし、彼のように考える人は多いのだろうと思うので、ここで改めてこの議論に言及してみたいと思います。
 その友人の日記には以下のようなことが書いてあります。
 都会と田舎の対立といった内容です。こうした議論は、特に小泉改革の頃言われていたのもです。つまり、田舎の箱モノのために都会の人間は税金を取られ、無駄に使われてきた。これは震災復興に関しても同様である。
 つまり、これを僕らが行なった論争の文脈に沿って解説すると、彼の議論の中では、土建屋の代表格である小沢の復権は箱モノ行政の復活であり、断固阻止すべきものである、ということになります。
 彼は小沢氏の政治的力量も評価していません。菅より劣ると考えています。

論争の背景の解説
 小泉時代はすごかったわけです。都市住民の、こうした小泉以前の自公政権時代の箱モノ行政批判が、もっと先鋭化し「田舎に財政的援助は必要はない。田舎の生活がいやなら都会に出てくればいい」といった議論にまで進みました。ところが小泉政権では、それだけでも暴論なのに、都会の住民に対しては「中国など周辺アジア諸国の追い上げがあるのだから、都会の労働者も、もっと低賃金を我慢しなければならない、もっと合理化(これは体制的合理化と言った方が正確です)しなければならない」という方向にまで進みました。
 また、北朝鮮・中国の脅威があるから日本は米軍基地の負担をこれからも負わなければならないという議論も、続く安倍政権時代に強調された考え方です。
 これらの動きを受けて、2009年に民主党はマニュフェストに「コンクリートから人へ」という有名なスローガンを掲げ、体制的合理化ではなく「生活が一番」と主張しました。
 米軍基地に関しては「対等な日米関係」が謳われ、基地負担の軽減が主張されました。
 その背景には、日中の緊密な経済関係を反映した、外交政策における日米中二等辺三角形論がありました。これは、日本を頂点として、底辺にある米中という両極との距離を等しくしようという考えです。これは国際的な関係を図式化して示したものなので、図における上下は関係ありません。その具体的な形として、鳩山の「東アジア共同体」論がありました。
 ほかにも天下りに代表される産官癒着構造の解決策としての天下り禁止、政治主導といった主張もあったし、自公政権末期に行われた、マスコミによる反民主党キャンペーンに対抗するために、政官財と報道との癒着を解決しようとする、TV・新聞社間の株式持ち合いに対する規制、TV局のその利益に対して不当に安い電波使用料を改めるための電波帯域使用料のオークション制の導入といった政策もありました。これは多様な報道を確保し、それによって有権者が選択肢を確保し、結果的に社会が利益を得るという民主主義国家にとって当然の政策です。
 これら3点は先進国によって既に導入されている制度です。
 先にあげた「コンクリートから人へ」に関して言うと、日本が公共事業にかけてきた膨大な費用は、米国がこれまで国防費にかけてきた費用に匹敵し、もし、日本が公共事業をしていなければ世界支配すら可能であったという事実を反映してのことです。
 もちろんどちらがいいかといえば公共事業の方がいいし、そうした公共事業が国内インフラを支え、経済成長をもたらしたことも事実です。だから単純に比較することはできません。
 しかし、こうした公共事業への支出は無駄が多かった。特に、建設業者への天下りが膨大な数にのぼり、その無駄を助長してきた。だから「コンクリートから人へ」といった政策が生まれてきたのでした。
 対米従属関係からの脱却は、すでにNATO諸国が、自国内の米軍基地に関する管理権を取り戻していることなどを考えれば、この政策は当然の帰結です。すでにヨーロッパで実現している制度です。
 そして、もう一つ重要なのは、鳩山末期と続く菅政権ですら踏襲した「米軍基地は日本の防衛に寄与している」という考えは虚偽であるということを、2009民主党マニュフェストが謳っていたことでした。
 なぜなら、日本の領空を侵犯する飛行機の飛来に対してスクランブルをかけるのは米国軍ではなく、日本の航空自衛隊であるという事実、そして、島嶼防衛に関する責任は一義的に日本国にあるという米国との協定がある事実からそう言えるのでした。
 具体的に言えば、尖閣諸島がもし他国に侵略された時、米国は中立を保つ。そして、その奪回は自衛隊の責任であるという公式文書に記された日米の役割分担があるからです。
 その意味で、米国議会内に強力なロビーストを持つ、イスラエルと比較すると、米国の日本に対する地位は遥かに低いわけです。
 かたや在日米軍基地がやっていたこととは、イラクやアフガンへの出兵だけでした。そこから小沢氏による「日本の必要とする米軍力は第七艦隊だけ」という発言となり、それは非常に説得力ある話だったのです。
 これらの意味で「コンクリートから人へ」という箱モノ行政の否定も、対米従属からの脱却も至極当然な政策でした。

論争自体
 友人は最初に書いた考えに基づき、もし小沢に有効な政策があるのなら、なぜ菅民主党にそれを訴えないのかと疑問を持ちます。
 しかし、菅政権の全期間を通して菅=仙谷が行ってきたのは、小沢排除といった陰謀でした。それは、自公政権時代の、民主党攻撃としての検察を使った小沢攻撃と鳩山時代の検察を敵に回したくないといった検察保護、そして菅=仙谷、菅=岡田時代の再び小沢の影響力を排除するための権力闘争としての検察の利用として実際に表れました。それは、かたや小沢の民主党籍はく奪につながり、もう一方では、小沢排除の立役者であった前田検事の調書ねつ造の容疑での逮捕・有罪判決につながります。
 件の小沢氏に対する嫌疑とは、検察が立証不可能として起訴を取りやめ、同じ検察によって指導された不透明な検察審査会が強制起訴したものです。マスメディアは「小沢あやしい」の一大キャンペーンを張りました。しかしその起訴内容を厳密に検討すれば、言いがかりとしか言えないものです。しかし「起訴は起訴」ということで、党内ナンバー2である小沢氏の影響力を排除したい仙谷=菅は、この点で自民党公明党と利益を共有するがため、小沢氏の民主党からの排除を行った。そしてマスコミは味方です。だから、彼らはやすやすとこの行動を実行できた。
 友人のように『日刊ゲンダイ』を三流紙ととらえ、マスコミの考えをうのみにする人々にとっても、正義は仙谷=菅にあります。こうしたマスコミのキャンペーンは、震災以降もたびたび登場します(これにつては後述)。
 しかし、利害関係関係から考えれば、マスコミのこうした行動は、逆に至極わかりやすくなります。小沢派の主張するマスコミ規制故に、マスコミは小沢を排除したい。そして、福島原発関係に関していえば、東電からの莫大な広告料を今後も維持したいし、政府との良好な関係も維持したいが故に、原発事故の影響を過小に評価する。こうした視点は、「マスコミ=正義、夕刊紙・スポーツ紙=三流紙」と考える人たちには思いも及ばないことなのだと思います。
 そして、福島県や周辺諸県と比べて、比較的放射性物質に対して安全な東京に住む高級サラリーマンなどは、自らの地位に安住して、福島県などにおける放射性物質被害とその将来にわたる影響を軽く見たがる。それゆえ、同様の立場をとる菅首相の評価は甘くなる。菅首相の責任を重大なものと考え、即時もしくはできるだけ早い退陣を求める『日刊ゲンダイ』の読者とは、するどい政治に対する意見の対立を生み出すことになります。
 枝野官房長官の評価に関しても『日刊ゲンダイ』読者は、国旗に頭を下げても国民には絶対に頭を下げない姿勢や、菅首相が機能していない以上、各省の調節という本来の官房長官の職責を果たさずTVに出ずっぱりの姿勢を批判するけれど、マスコミしか見ない人々は、枝野官房長官の態度を立派だとする正反対の評価になります。
 友人の議論で、地政学を持ち出して、竹島領有権や尖閣諸島の外国からの軍事侵攻を懸念する話まで出ました。議論は中断しているので、ここでそれらに関する僕の考えを書いてみようと思います。
 しかし、震災・福島原発事故の議論で竹島尖閣諸島の議論が出るのは非常に興味深い現象です。なぜなら、僕はかつて「東京の住民の利益のために沖縄を犠牲にするな」と主張したし、現在は「東京の住民の利益のために福島を犠牲にするな」と主張しているからです。上に書いた「虚偽」とも関連しますが、尖閣を守るために米軍が必要だ。そしてそのためには沖縄住民は不利益を我慢すべきだという議論と、箱モノのよる税負担を恐れるがために福島の人間が放射線被害で死んでも、農産物が買われなくても仕方ないという議論は、非常に似かよっているからです。もちろん僕はこの両方に反対です。
 まず、竹島は韓国によって実効支配されている。それは日本が尖閣諸島を実効支配していることやロシアが北方領土を実効支配していることと同様の状態です。
 北方領土に関しては、小学生みたいに「返せ、返せ」と言っていただけで戻ってくると考えるのは、それこそ小学生レベルとの議論です。こうした行動が生み出すのは嫌ロシア感情であり、それが生み出すのは、やはり後ろ盾になってくれるアメリカ様には逆らえないという奴隷根性です。外交政策とは、そうしたレベルの低いものではない。しかし、事態を小学生レベルにとどめることによって、アメリカへの従属を求める人々は、確実に利益を得る。自民党町村などは、国会質問で、アメリカ抜きの日本はないと、奴隷根性を明言しています。奴隷根性というか、アメリカへの絶対服従を明言して、自民党の政権復帰を果たそうとしているのでしょう。この発言をみると、主権者たる国民はどこに行ったのかといった具合です。ですから、有権者はこうした議論にだまされてはいけないという結論になります。
 竹島は日本領土であるという議論があります。僕はそれは怪しいと思っている。こう明確に言い切る歴史背景・事実はないのではないかと思っています。
 ここに韓国が軍事基地を作るということを友人は「知政学」を利用して、懸念するわけですが、もし竹島を日本領として確保したいと思うのなら、それこそ外交交渉によるしかない。僕は国際司法裁判所で決着をつけて、国境線を画定した方が、勝っても負けても、得られる利益は大きいと思います。
 そして、尖閣諸島ですが、ここは歴史的に見て日本領でいいと思います。そして日本は実効支配している。最初の国境紛争は台湾との間のものでした。そして現在は油田利権が出現し、中国が急に領有権を主張し始めた。
 この件に関して、一見科学的な「地政学」を持ち出すのは、科学的に見えて非科学的な態度です。なぜなら状況は地政学だけでなく、経済関係との関連でみるべきだからです。現在のように日中経済が緊密化している状態での軍事進攻はありえない。もしあるとしたら、中国の軍事侵攻に対する日本国民の反発、そして中国からの日本企業の撤退、最後に来るのは、その間隙を埋める米国企業の中国進出であると思います。
 現在の民主党執行部は、その意味でも、対米従属をあらわにした対応をしています。枝野の「中国進出企業に対し日本政府は何かあった時、援助しない」と言った発言がその好例です。
 ともかく我々としては、こうした対米従属派、つまり、政権維持のためなら、日本の将来の利益は無視できると考える人々とは、別の発想に立つ必要があります。
 つまり、尖閣諸島の問題は、現在日本が実効支配しているのだから、これ以上中国を刺激する必要はない。もし根本的な解決を求めるのなら国際司法裁判所で決着をつける方がメリットがあるという考えです。
 実際、国際司法裁判所は両当事国の同意がなければ裁判に入れません。それゆえ、現在のように中国がその提訴を拒否する状態では、その拒否自体を外交カードとして日本政府は有利に利用できる立場にある。その意味で日本は外交的優位に立っているわけです。
 中国漁船の侵犯行為以来注目されている尖閣諸島地域ですが、仙谷はこの漁船船長の逮捕・起訴の結果に関して中国政府を甘く見た。そして、釈放責任を検察に押し付けるという無様な外交的失策を演じた。これらのリアクションとして、ロシア大統領の「北方領土は返さなくていいかも」という判断を導いた。これらは、地政学というよりも、菅政権の外交的失策・弱体化と見るべきです。事実、仙谷は尖閣事件対応の責任をとって官房長官の職を辞することになった。震災にまぎれて、こそくにも副官房長官に復帰したというおそまつな事実があったとしてもです。
 だから、僕の言いたいことは、菅首相を罷免して、外交をまともに行う能力のある政治家に替えることが何よりも肝要であるということになります。その具体的な名前は、小沢一郎だと思います。そして小沢派の民主党議員でしょう。

論争に関する反論
 東日本大震災に関しては。震災自体と福島第一原発事故の2つに分けるのが議論の整理に役立ちます。
 ここに原発事故対策に対してマスコミが正しいのか『日刊ゲンダイ』という「三流紙」が正しいのかを見極めるいいサンプルがあります。

2009年4月21日朝日新聞夕刊「東日本大新の衝撃 専門家に聞く」
「偏見排し長期ケアを■被曝」広島大学放射線医科学研究所長 神谷研二(かみやけんじ)さんインタビュー(聞き手・大岩ゆり)
 ……福島第一原発の事故は想定外だった。……
 しかし、わずかな被曝で健康に被害がでるわけではない。国際放射線防護委員会は、100ミリシーベルトに達しない被曝では、臨床的に意味のある健康被害はないとしている。現状では、周辺住民のがんが増えるリスクはない。
 がんによる死亡率は年100ミリシーベルト被曝すると0.5%増えるとされる。日本人は100人のうち約30人ががんで死ぬ。つまり、100ミリシーベルトの被曝で約30.5人に増えるリスクがあるということだ。

2009年4月22日『日刊ゲンダイ』5面「空き菅 福島小中学生見殺し」(前日発売)
「菅は福島の小中学生を殺すのか75.9%の学校が被曝量オーバーなのに放置のア然 直ちに集団疎開のレベル」
 福島県が小中学校など教育現場を対象に実施した放射線量調査で「驚愕(きょうがく)」の結果が出た。7割余りで、平常時なら立ち入りを制限される放射線量が観測されたのだ。国は勝手に基準を変更して「大丈夫」とか言っているが、地元住民は不安を通り越してカンカンだ。
 放射線の許容量は法令(労働安全衛生法に基づく電離放射線障害防止規則など)で定められている。不必要な被曝を防ぐために立ち入りを制限された区域を「管理区域」といい、毎時0・6〜2・2マイクロシーベルトが基準だ。この区域内では、放射線を扱う専門従事者一人一人が被曝量を管理するための「個別被曝管理」を義務付けられている。
 さて、福島県は5〜7日に県内1637の小中学校や幼稚園で大気中の放射線量のモニタリング調査を実施した。そうしたら、1242施設で、「管理区域」に相当する放射線が観測されたのである。実に全休の75.9%だ。福島市在住で、「原発震災復興・福島会議」の世話人、中手聖一氏はこう言う。
 「『管理区域』は本来、一般公衆の被曝防止の基準であって、放射線の感受性が高い子どもたちの場合はより厳しい基準で保護する必要があります。国際放射線防護委員会(ICRP)も、18歳までの生徒に対する放射線防護の考え方として『一般公衆の10分の1以下にすべき』と勧告している。少なくとも0.6マイクロシー・ベルト以上になった学校は授業を中止し、仮に再開が難しい場合は学童疎開などを進めるべきです」
 中手氏らはすでに、授業中止などを求める「進言書」を県内市町村長に郵送。近く県にも申し入れる方針だが、驚くのは国の対応だ。
 文科省はICRPの基準(年間20ミリシーベルト)を目安に、小中学校の屋外活動制限の基準値を毎時3.8マイクロシーベルトに設定。原子力安全委員会もこれを追認し、だから福島の子どもたちも「大丈夫」と言うのである。
 「今まで何ら基準が示されず、やっと出てきたと思ったら毎時3.8マイクロシーベルトです。しかも、この数値を超えたら直ちに除染作業するのかと尋ねると『待ってくれ』と言う。とんでもない話です」(中手氏)
 ちなみに東京では毎時0.1マイクロシーベルト以下だ。それでも雨が降るとイヤな気がする。
 国は復興会議だ、震災復興税だ、と騒ぐ前に真っ先にやることがあるはずだ。

 興味深い対比なので、『日刊ゲンダイ』は記事全文を引用しました。
 先日の東日本大震災でも、教室にいた教官が真っ先に逃げ出して、それからずっと学生に揶揄されるということがありました。僕なんかはおっさんの学生なので、先生も人間だからそんなこともあるよなぐらいに考えていたのですが、教務主任の意見は、学生が大人であろうと何であろうと、教壇に立った教師は最後まで学生を守らなければならないという意見でした。
 それはその通りなのです。地震に慣れていない留学生を心配させまいと、校長先生はあの大揺れの古いビルの中で、校内放送を使って、落ち着いた声で、しかもわかりやすく「大丈夫ですから、窓から離れて、机の下に入ってください」と伝えていたからです。信じられない勇気です。校長は厳しい人なので、僕などは内心怖がっていたのですが、評価がひっくり返りました。
 僕が冒頭にいつも引用している武田邦彦氏などは、原子力災害の専門家として、今政府が何をすべきなのかを明確に発信しています。しかし、政府は福島第一原発事故直後も誤った判断をして、事故を拡大させた。そして現在も、誤った判断をしつづけて、危険な農産物や海産物を出荷しつづけている。それを情報を持たない消費者が避けても、決して風評とは呼べません。なぜなら、現実にある危険だからです。
 だから、東北の農家の悲劇は政府によって生み出されたものです。同時に、住民、特に子供が危険にさらされ、しかもそれが政府の指示だとしたら、どうしてそうした政府を支持できるのでしょうか?
 僕の友人は言うでしょう。武田某といった三流学者の風説を信じることは、風評被害の一種であり、今は政府の言うことを信じればいいのだ。箱モノを作って我々東京の住民が増税の被害を受けるより、何人か3年後、5年後に放射性被害で発がんし、ひよっとして死んでもいいのだと。
 まさに信じる者は救われるといった塩梅です。そして、私が一番嫌いなのは、権力のもとに庇護されながら、ラディカルを気取る連中です。
 危険があるという主張があるのなら、なぜそれに対して万全な対策をとらないのか。今そうした対策を取れば将来の被害は最小限に抑えられるのに、なぜ放置するのかという怒りがあります。それに関する具体的方法は、武田氏のホームページにすでに書かれているのです。
 さて、『朝日新聞』というマスコミと『日刊ゲンダイ』という友人の言う「三流紙」の比較です。
 「がんによる死亡率は100ミリシーベルト被曝すると0.5%増えるとされる。日本人は100人のうち約30人ががんで死ぬ。つまり、100ミリシーベルトの被曝で約30.5人に増えるリスクがあるということだ。」という言葉に注目してください。100人なら0.5人です。1000人なら5人です。10000人なら50人です。十万人なら五百人、百万人なら五千人です。これは無視できる数値なのでしょうか。死ぬ人間の数ですよね。
 「国際放射線防護委員会は、100ミリシーベルトに達しない被曝では、臨床的に意味のある健康被害はないとしている。現状では、周辺住民のがんが増えるリスクはない。」とも言っています。なんか、これだけ聞くと安全そうですよね。
 でも、これまでの日本の基準は年間1ミリシーベルトでした。それ以上だと発がん率が増えるというリスクがあるから決められた数値です。これを簡単に動かしていいのかという問題があります。しかも、成人と比べて子供や妊婦はより被害が出ることは定説です。武田氏は、大気、グランドに蓄積された放射性物質の土煙、水、食料といったすべてのものの放射性物質を合計した数値を外部からと内部からの被曝として計算しています。そして、おおむねの数値として、大気中の一時間1.1マイクロシーベルトを避難基準としてます。子供や妊婦はもっと低い値です。詳しくは上に掲げた武田氏のホームページを参照してください。
 ともかく東京に住む人間が、福島のことは知らん、俺に関係するのは箱モノだけだと考えて、何も手を打たない菅政権を擁護するとしたら、それは無知では済まされない問題になるのだと思います。
 逆に僕は、事ここに至ったら、いち早く菅を退陣に追い込み、事態に責任を持てる政治家に変えるべきであると考えます。適任は昨年の党代表選挙で第2位だった小沢であろうと考えます。小沢氏は東北の岩手県選出だから、より適任だといえます。
 友人は、都会と田舎との対立として、箱モノ、箱モノと言いますが、震災対策は箱モノではありません。船を失った人に船を、仕事を失った人に震災復興という仕事を、工場を失った人に工場を取り戻させる資金です。家を失った人には家を取り戻すことです。それは今後、増大するであろう被災者の生活費給付を最小限にする政策でもあります。
 話を原発事故に戻すと、菅を退陣させなければ、3年後、5年後にがんによる小児の死亡者や成人の死者が増え、福島原発事故が原因と考えられますとニュースでアナウンスされる事態になることは確実です。これは科学的議論ですから。その時、「いやー、私はそれでも箱ものがいやだったんです」と語ることになるからです。本当にそれでいいのだろうか? 「自分が死ぬんじゃないからいいや」と言いきれる人ならいいのです。
 でも、僕には、そんな判断はできません。もし、この長文を最後まで読んでくれた人がいたとしたら、ぜひ、このことを考えてほしいと思います。