3.11以後の政治アクターとその政治力学的近未来予想

福島第一原発事故関係URL原発事故が終息していないので、日記の内容に関わらず、しばらくこのURL掲載は続けます。)
武田邦彦(中部大学)ホームページ
http://takedanet.com/
都健康安全研究センター
都内の環境放射線測定結果 測定場所:東京都新宿区百人町
http://ftp.jaist.ac.jp/pub/emergency/monitoring.tokyo-eiken.go.jp/monitoring/
東京都ホームページ
http://www.metro.tokyo.jp/
ドイツ気象庁放射性物質拡散シミュレーション動画
http://www.dwd.de/wundk/spezial/Sonderbericht_loop.gif
同ホームページ(ブラウザの翻訳機能を使って読んでください)
http://www.dwd.de/
フランス放射線防護原子力安全研究所(IRSN)のシミュレーション動画
日本周辺での拡散
http://www.irsn.fr/FR/popup/Pages/animation_dispersion_rejets_17mars.aspx
世界への拡散
http://www.irsn.fr/FR/popup/Pages/irsn-meteo-france_19mars.aspx
まったくやる気が感じられない日本気象庁のページ(IAEAにやらされてる感ありありの、見ずらい放射性物質拡散に関する報告書)誰に向かって書いてんだ、アホ!
http://www.jma.go.jp/jma/kokusai/kokusai_eer.html
*東電への原発抗議デモに参加しよう。
民主党に菅即時退陣と小沢代表選出を求めるメールを出そう。

パックインジャーナル』の結論に対する違和感
 昨日のCSアサヒニュースターの『パックインジャーナル』を見ていて、今週の結論に僕は腰を抜かしそうになるぐらい驚きました。
 話題は、震災や原発事故をめぐる菅首相の動きについてです。
 コメンテイターは、菅首相の震災以後の対応にさんざん疑問を投げかけたのち、全く逆に、菅を引きずり降ろそうとする自民党民主党内小沢派、鳩山派の政局の動きを批判しました。つまり、「この危機にあって、政局で騒ぐとは何事か!」という批判です。
 そして「周りは菅を支えるべし」という結論が出されました。司会の愛川欣也は、この結論に対して、どちらを支持するでもなく、最後まで沈黙したままでした。
 しかし、コメンティターである彼らも、菅首相を周りで支えて、このまま菅政権が続く先にある政治的現実については、最後まで語りませんでした。
 ここに、僕は、日本の有権者とマスコミの間にある大きな温度差を感じたのでした。
 今も毎日大勢の人間が二次災害で死んでいる。津波地震という一次災害と比べ、避難の遅れ、避難民救済の不手際による死者という二次災害は、あきらかに自治体および中央政府の責任に帰される人為的な死であり損害です。当然、自治体首長や内閣総理大臣はその責任を負う。
 人が死ねば、その対策に責任を持つ人間が負う罪は、業務上過失致死罪です。その有責性は、そうした死を避けられたか否かという客観的な法判断によります。これは法廷などで取られる法的考え方です。そして、これまでの災害において、それを引き起こした企業の責任者は、裁判をへてこのように処罰されてきました。東海村JOC臨界事故が典型例です。
 『パックインジャーナル』における前半の菅首相に対する批判とは、こうした理論によるものでした。しかし、後半の議論は、そうした責任をすっ飛ばして、緊急時なのだから、みんなで集まって知恵を絞れという、緊急避難的な超法措置を論じたように見えます。
 しかし、超法規的措置を論じるにしても、その結果もたらされる未来に対して、それを論じた論者は責任を免れることはできません。私は、ここで、そうした客観情勢の諸要因を考えてみたいと思います。

 論点は明白です。菅首相を周りで支えた場合と、菅首相を引きづりおろし新しい首相を据えた場合、どちらが現在から近未来における被災者と日本に住む住民の利益になるかです。
 私が感じた違和感とは、後者が正しいのではないかという、冒頭に引用した番組の結論に対する疑問から来ています。

都知事選挙
 先日の都議選の結果を見るまでもなく、予測は常に外れる可能性があります。しかしながら、石原が都知事なった場合と東国原が都知事になった場合における、今後4年間の東京の未来の違いは、ある程度予測できるものです。
 ですから、そこから得られる結論とは、先日の日記に書いたとおり、東国原を自公に対する反石原の候補として、すべての反石原の都民は選択すべきであったという事実がもたらされます。
 得票数を見れば、それは明白だった。都民の過半数は反石原に票を投じたのですから。それは今も変わらない事実です。

菅退陣に関する有権者の意思
 違和感に関するもうひとつの視点は、有権者は菅ではダメなのではないかと思っているという僕の印象です。そして、緊急に内閣入りした仙谷でもダメだろうという判断があるという僕の印象です。
 そして、そこには、枝野、岡田、野田、海江田といった、この2人の周辺にいる政治家に関しても、同様の判断があるように思われます。
 これは私の印象ですが、そうした焦燥感が、先日の首相記者会見における、ある記者の質問に表れているように思います。
 「自民党民主党内からも意見が出ているように、菅首相、あなた自身が、復興の最大の障害になっていると私は考えますが、あなたは出処進退を考えないのですか。」というのが、その記者の質問でした。
 これに対して菅首相はイライラしながら「私は、○○さん、あなたと考え方が違います。」と応えました。
 大手マスコミはこの質疑を全く取り上げませんでしたが、これが実は日本に住む大部分の住民の意思のように、私には思えました。

統一地方選結果
 統一地方地方選挙で民主党は大敗しました。でも僕自身は、負け方が少ないのではと思いました。それは、今回の福島原発事故の原因が、原発推進の立場をとった菅内閣の責任のみならず、これまでの原発行政を支えてきた自民党によるものでもあること、そして、いま再び自民党に政権を戻しても、今以上に生活は楽になるわけでもないという有権者の判断によるものと僕は考えました。
 有権者は今、このように大きなジレンマの中にいます。僕の以下の分析が、少しでもそのジレンマを解く一助になれば幸いです。

3.11以後の政治力学
 まず現在も300人になろうとする二次災害での死者が出ています。過去の大規模地震災害と比べて、被災民には現在に至るまで一円も払われていないし、仮設住宅の建設ペースも遅れに遅れています。二次災害に対する死者はこうした状況で生み出されているものです。
 政府はパニックを恐れるあまり、情報を小出しにし、外国からはその対応は非常識であるという烙印を押され、国内には風評被害をもたらしています。しかし、風評と簡単に言うけれど、危険があるのにそれに近づくのは、むしろ非常識です。問題なのは正確な情報をパニックを恐れて出さない政府の姿勢であることが導かれ、この点で、海外の反応と同じ結論になります。
 これが前提です。
 現在の国内政治におけるキーパーソンは、清水東電社長、菅内閣総理大臣、仙谷などの周辺政治家があげられるでしょう。
 清水東電社長は、いずれ業務上過失致死などの罪で立件されるはずです。それは、1999年の東海村JOCによる臨界事故の訴訟過程を見ると、十分予測できるものです。
 そして、このJOC事故の損害賠償額を単純比較した場合、今回東電が負う損害賠償額は24兆円に上り、当然、東電は支払いができない。結果、国営化される。
 つまり、東電清水社長の逮捕と、東電の国有化は不可避となる。
 以前の日記「原子力帝国」の項目で書いたように、菅首相はまずこの福島原子力発電所の事故の終息に全力を注ぐ。そして、終息したのちは、日本には原子力発電が必要であるという立場を堅持し、清水社長逮捕と東電国有化をへて、税金での賠償金支払いを目指す。これが五百旗頭のいう「復興税」の実態であり、菅の言う「消費税増税の時限立法」につながります。
 こうした菅のアイデアは、政策として必要な、必要だから支払うという発想ではなく、財務省の、必要があっても財政規律があるから、財源が確保できるまで支払わないといった硬直した姿勢を反映したものです。そこには、経済に与える打撃は全く考慮されません。なぜなら、日本経済がどうなろうとも、被災民がどれだけ死のうと、被災民がどれだけ苦労しようと、財務省内の不文律である財政規律さえ守られれれば、財務省の役人としての本分は保たれると彼らが考えるためです。そして、菅は、彼らの意見が正しいと判断しているし、今後もそう判断する。この予測は、現状を見る限り正しい見方だと思います。
 歴史を顧みると、日本の高度成長が、朝鮮戦争ベトナム戦争といったアメリカの大消費によって支えられ、飛躍する為の最初一撃を与えられた。このように、今回も、菅政権は東北という国内の被災民を捨てることによって、その他の人々の生き残りをもたらそうとしているように見えます。しかも今回は、国内の人々を犠牲にした勝利です。そして、これは適切な政策をとらないうえでの増税路線なのだから、未来に来るのは高度成長ではありえません。非常に高い確率によってもたらされるのは、国内経済の疲弊と失業率の増大であると考えます。
 このように考えると、今、菅を支える行為とは、こうした未来をもたらすものであると結論付けられます。

オルタナティブな未来
 かたや、国民新党新党日本が提案した、日銀引き受けの100兆円の無利子国債発行は、たとえ財務官僚が考えられないと批判したとしても、唯一、現在の経済にダメージを与えず、国全体に景気浮揚効果をもたらしながら被災地復興をなしうる政策だと考えます。今後予想される復興費用は、3年間でほぼ100兆円に上るという試算があります。
 そして、その政策を担うのは、財務官僚に籠絡された菅首相ではない。
 これに加えて、現在日本にある原発の全廃による、自然力エネルギーへの全面転換と、冒頭に最近引用している武田邦彦氏の、今回の福島原発事故対応の総責任者への任命が必要と考えます。
 以前の日記に書いたような「原子力帝国」の利益構造に関わった学者、官僚を、現在の有権者は全く信用していない。仮に信用していたとしても、数年後には、この放射能汚染による被害(=つまり癌による死者、特に子供の死者)が目に見えて表れるわけだから、その時、信用はゼロになるでしょう。
 つまり、未来を先取りして、武田氏による「考えうるすべての手を今打つ」必要があります。
 そして、いま国民は、東京電力による莫大な広告料金で二の足を踏んでいるマスコミを全く信用していない。だからこそ、原発を全廃してもやっていける日本を目指し、それによる不利益を分散型発電で補う方向への全面転換が求められるのだと思います。事実、企業は計画停電に備えて自家発電を始めた。神奈川は自然力エネルギーを求める新知事を生み出した。
 次の地震が来たらどの原発が事故を起こすかを、有権者は心配しています。それは原発神話が崩壊し、地震が来れば電力供給が途絶えることを有権者が知ってしまったのだから当然の反応です。こんな不安の中、未来の見えない状況に置かれるより、割り切った政策転換を図り、その未来に向けて国力を集中する方が、どれだけ日本の産業に未来に向けて明るい光をもたらすかは明白です。
 エイモリー・ロビンスが『ソフト・エネルギー・パス』を示し、日本国内で講演を行ったのは30年以上前でした。そのときは未来に起るべき原子力事故を批判する立場でした。しかし、それが今現実のものとなった。
 我々が取りうる未来とは、エイモリー・ロビンス氏による分散型自然力発電というソフト・エネルギー・パス政策=反原発であり、藻谷浩介氏に代表される社会政策と所得再分配による経済の浮揚という政策パック抜きにはあり得ないことが、明らかだと思います(藻谷氏に関しては依然の日記にまとめてありますから、右の検索で見てください)。
 武田邦彦氏の原発事故対策総責任者への任命と、藻谷浩介氏の不況対策総責任者への任命は、現状を打開する決定打となると思います。
 そしてそれをなしうるのは菅ではない。たぶん自民党でもないでしょう。だとしたら、菅を引きづりおろしたの後の、小沢首班指名しか道はないと考えます。

結論
 この期に及んで小沢アレルギーを表明する論者はいますが、彼らに代替案はあるのだろうか。もし代替案なしにアレルギーのみを強調するのなら、彼らは日本に住む市民の未来に対して責任を持つ資格はないと言わざるをえません。ちょっときつい言い方ですが、そのことを僕は強く主張したいいと思います。
 可能な未来に対する政治力学とは、物理法則のように様々なベクトルが作用して決まるものです。その中には、僕が批判する「小沢アレルギー」も、強い力として作用する。だから、未来は、僕の想う通りには進まないこともありうるでしょう。それは事実です。
 しかし、未来がどうあってほしいと思うかは別の問題です。我々が真剣にその未来を考えない限り、決して僕らの求める幸せな未来が来ないことも事実です。この点に関して我々は決して傍観者にはなりえない。なぜなら、未来は、我々に一様に影響を及ぼすからです。