原子力帝国

都民とすべての人のための福島第一原発事故関係URL
武田邦彦(中部大学)ホームページ
http://takedanet.com/

都健康安全研究センター
都内の環境放射線測定結果 測定場所:東京都新宿区百人町
http://ftp.jaist.ac.jp/pub/emergency/monitoring.tokyo-eiken.go.jp/monitoring/

東京都ホームページ
http://www.metro.tokyo.jp/

ドイツ気象庁放射性物質拡散シミュレーション動画
http://www.dwd.de/wundk/spezial/Sonderbericht_loop.gif
同ホームページ(ブラウザの翻訳機能を使って読んでください)
http://www.dwd.de/

フランス放射線防護原子力安全研究所(IRSN)のシミュレーション動画
日本周辺での拡散
http://www.irsn.fr/FR/popup/Pages/animation_dispersion_rejets_17mars.aspx
世界への拡散
http://www.irsn.fr/FR/popup/Pages/irsn-meteo-france_19mars.aspx

都知事選は、最も原発などの危機管理ができる、小池あきら氏に投票を。
*東電への原発抗議デモに参加しよう。<<

原子力帝国」とは何か?
 なんかSFじみたタイトルになりましたが、これは現在の日本のことです。
 今日放送した『パックインジャーナル』でAERAの山田氏がその構造をわかりやすく説明していました。
 東京電力は発電と送電を独占的に管理することによって利益をあげてきた会社です。その組織は、戦前の分散した小発電会社や小配電会社の混在から、第二次世界大戦中の戦時経済政策の中で、より管理しやすい組織を作ることを狙って作り変えられたものです。
 東電はその独占によって得た財力を使って、政治家に献金をし、TV・新聞といったマスコミに大口広告を出すことで圧力をかけ、また、大学などの研究機関に膨大な資金を供給してきました。官僚は東電の利益を守ることによって、安定した天下り先を確保してきました。
 東電にそうした独占事業体としての利益をもたらすために、官僚は自然力発電・スマートグリッドといった分散型発電やその供給システムに許可を与えず、政治家は許可を与えるための法整備を抑制・弾圧する方向で動いてきました。そして、東電は、家庭向けに高い電気料金を押し付けることが可能となり、それで得た利益を大口顧客である大企業に安く提供することが可能となりました。そして、研究者、マスコミはこうした腐敗構造を批判することができなくなりました。
 これが、僕が「原子力帝国」と感じた、今日の番組での、山田氏の説明でした。

 まるでSFXのような津波映像のあと、僕らが見たのは、福島第一原子力発電所の制御できない事故でした。そして、東電の一方的な計画停電でした。いま僕は、日本経済を守るためと称する東京23区の計画停電からの除外は、じつは、東電が戦後ずっと利益共同体としてきた大企業の利益を守るためというのが、より正しい把握になるのだ、と思い直しています。
 僕は23区内に住み、そうした計画停電のない電力でこの日記を書いています。しかし、これまでずっと原子力によってつくられた電気を使いたくないと思ってきたし、金さえあれば、東京ガスの発電システムを利用したい、太陽光発電をしたいと思ってきました。少しでも、ものを考える力のある人なら、皆そう思ってきたのだと思います。
 しかし、それには政府による資金援助などの誘導が必要でした。そして、それをしないことが、戦後一貫して利益共同体となってきた、電力会社と政官財学報の腐敗した癒着構造から生み出されたことが、今回の原発事故で、より明らかになったのだと思います。
 この構造には、じつは電力労組も一枚かんでいて、彼らも会社の利益を守るために団体献金と称して政治家に献金してきました。
 太陽光発電の電力買取りを法制化しても、風力発電の電力をいつまでも除外してきた菅内閣の姿勢、配電会社の設立に許可を出さないできた政治家と官僚の姿勢、これらは旧自公内閣に続く自民党政治の基本姿勢でした。それがまずいと思った有権者は、民主党2009マニュフェストに代表されるグリーンニューディールの政策パッケージを支持し、2009年0月に政権交代を実現したのだと思います。
 しかし、マスコミ財界の全面バックアップをうけた仙谷=菅を中心とする反小沢グループによる、菅=僭主内閣クーデターによって、有権者の意思は見事に葬られた。
 だって、昨年の民主党代表選挙において、僕らの信頼するTV、新聞は、文字通りすべて(!)「悪いのは小沢であって、今は、クリーンな菅を支持すべきだ」と、一大キャンペーンを張ったからでした。最初から異なった報道を続けたのは『日刊ゲンダイ』だけだったし、あとから『週刊朝日』らが追従したくらいです。
 いまでも、東電と同じく第二次世界大戦下の統制経済によって寡占化した新聞社と、その新聞社による株式支配を受けたTV局といったマスコミは、同様の報道を続け、無能な菅首相を批判することもせずに、結果として、排除することすらできません。
 「原子力帝国」とは、こうした事態すべてを指す言葉です。

共産党系左派の立場
 本来、現存する(した)社会主義国とは違った社会主義社会像の普及・実現を目指したこのブログも、現在のところ、至極まっとうな資本主義経済下の民主派としての立場から書いているだけです。
 それは、そうなのです。僕の考える社会主義像とは、今の社会より「より民主的で自由な社会」だからです。そして、当面の目標としては、高度福祉社会だったり、BIと呼ばれるベーシックインカム、つまりすべての市民への生活資金給付制度の実現であったりします。日本はまだそこにすら至っていないのですから、当然、資本主義社会下のラディカルな民主派が現在の僕の立場となります。
 その立場とは、西欧の社会民主主義者と同様、年金生活者、失業者、生活保護世帯を、アホのするように単なる社会のお荷物とは考えず、資本主義社会が必然的に生み出す負の側面の影響下にある人々と考えるからです。つまり一言でいえば、資本主義社会においては「失業者あっての就労者だ」という視点です。
 これは、小泉=竹中=菅といった新自由主義者に、決定的に欠ける視点です。
 彼ら新自由主義者は、基本的に「貧乏人は死んでしまえ」と思っています。そしてその証拠に、これは一例にすぎませんが、本当に医療が必要な人々の医療費を削減してきました。後期高齢者医療制度の法精神も同じです。やはり「お荷物は金をかけさせられる前に死んでしまえ」という発想で法が構成されています。
 こうした考え方は、「政治とは何のためにあるのか」、「税金は何で払わなければならないのか」、という疑問から導き出される答えからは、絶対にあってはならない考え方です。
 なぜなら、税は我々すべての市民から広く徴収されるものだし、お金持ちといっても、彼らの富は、彼らの会社や工場で働く人々の労働によって生みだされたものだからです。そして、彼らの工場・会社の製品を買う消費者の払う金によって生み出されているからです。
 官僚、政治家などは、もっとダイレクトに税金から給与が支払われているわけで、よりそういえると思います。
 つまり、社会の主人公とは、こうした平等の権利を持ったひとりひとりの市民であり、決して偉そうなお上でもなければ、東電の社長、会長といった偉そうにしている財界の雲上人でもないことが、もっとすべての人に「知られなければならない」のです。
 なぜここで「知られなければならない」と書いたのかというと、これを自覚しない限り、結局、「あきらめ」という日本人の美徳によって、雲上人たちの独裁がまかり通ってしまうからです。
 そして、もしこの自覚がなければ、それは、最も身近な例を使えば、今回の震災前に生じた、そしてこれからも積み重ねられるであろうおびただしい死者を発生させるとことになります。僕らは、こんな歴史を、いやというほど見せられてきました。
 1981年のフランス大統領選で大統領に選出されたフランソワ・ミッテランを支持する勢力が掲げたのが、がっちりと組織された共産党支持者以外の、広範な市民の緩やかな連合体である非共産党左派の立場でした。そこには、NGOや各種市民団体、新左翼活動家、反戦活動家、大学教授といった様々な立場の人々が集いました。そしてそれが政治を変える大きな力となり、フランスに「赤いバラ革命」を実現しました。
 たぶん、日本における民主党の勝利も、同じ構造によってもたらされたのだと、僕は思います。だとしたら、僕らはその勝利の変質を嘆くのではなく、なぜそうなったのかを見据えたうえで、対応することが必要になるのだと思います。
 上の議論ともつながりますが、「原子力帝国」と、そうした日本の現状を支えることしかしない菅内閣の打倒こそ、最も喫緊の課題だと言わざるをえないのだと思います。
 そのほかの僕の社会主義に関する考え方は、プロフィールや右のタグの「理論」をご参照ください。