Misty

いかさまの街に霧が降り
何もかも見えなくなる夜
瞳をとじてピュアな心に問えば
天使と悪魔を分けられるはずさ
……
霧の中まぎれこんだ悪
そいつらを打ち倒した時
日差しを浴びて君と共に語ろう
言葉にならない戦いの日々を
−−Misty(作詞:工藤哲雄 作曲/編曲:飯塚正明 Vocal:関智一)『ゲッターロボ・真ボーカルアルバム 聴け魂の声を!叫べ我らとともに!』(発売元:エアーズ 販売元:バンダイ・ミュージックエンタテインメント 発売年:1998、現在絶版)

スーパーロボットの系譜
 携帯機に筺体を移したゲーム『スーパーロボット大戦』シリーズは、その画面の小ささ故に高齢はつらいということで、やらなくなって久しいゲームです。しかし、このゲームを通して過去のロボットアニメを初めて見た人も多いと思います。
 そのゲームで分けられるリアルロボットとスーパーロボットの系譜のうち、リアルロボット系は、ほぼイコール、ガンダムの世界なのですが、スーパーロボットといえばその1つの代表がゲッターロボで、永井豪ダイナミックプロの手になる作品です。
 ガンダムなどの、疑似リアル形ロボットと好対照をなすのが、こうしたスーパーロボットの世界で、その精神を最も表しているのが、『真(チェンジ!!)ゲッターロボ−地球最後の日』(http://www.bandaivisual.co.jp/change_getter/index.html)というアニメシリーズであったように僕は思います。

 スーパーロボットのアニメ群は、そもそも『マジンガーZ』から始まるように、子供向けに始まったものです。その点、『機動戦士ガンダム』を始発点とするリアル系と比べて年齢層が低かった。それゆえリアル系と比べて、スーパー系は不当に低い評価を受けてきたように僕は思います。そして、そうした評価に対して、あえて否と答え、作品をもって示したのが『真ゲッターロボ−地球最後の日』だったように思います。
 スーパーロボットの世界を大人のアニメ視聴者向けに作るとは、まさにこの作品のようなものになるのだと思います。そして、その作品の最後は、我々人類を荒廃した地球に残しながら、異次元の世界で、人類を守りながら永遠に敵と戦い続ける姿でした。
 象徴主義的に解釈すれば、スパロボの主人公とは、そうした宿命を背をわされるものだし、もう少し現実世界に沿った解釈をするなら、リアルロボの主人公が、現実政治に翻弄されながらも、己のアイデンティティや信念をいかに保つか、そして世界をどう変えるかに焦点があてられるのに対して、スパロボは悪そのものを見分け、それを叩くことに代表されるようなダイレクトさがあるように思えます。
 やもすれば、どうしょうもない現実に対して、おのれの魂の安息をいかに見出すかに焦点が当てられがちなリアルロボットの世界(OVA『機動戦士ガンダム 第08MS小隊 ミラーズ・リポート』や『Zガンダム』シリーズ)に対して、スーパーロボットは、悪の存在が明確なだけに、敵を倒すために永遠に戦うことを宿命づけられているように思います。 ここにあげたリアル系アニメは、どちらも優れた作品ですが、今の時代に必要なのは、曖昧な悪の概念ではなく、悪を見つけるという明確な意志ではないかと僕は思います。
 その意味で『地球最後の日』の関連アルバムの1つ、『ゲッターロボ・真ボーカルアルバム 聴け魂の声を!叫べ我らとともに!』は、そうした究極のスーパー系精神をよくあらわしたもののように思います。そして、スーパーロボであるがゆえに、その主人公の戦いは永遠に続くものです。
 だからこそ、戦いの後に語られるのは、必ず「言葉にならない戦いの日々」となるわけです。

政治的反映
 僕は、今年1月13日に行われた民主党党大会やその前日の両院議員総会の様子を見て、非常な失望に駆られていました。これで民主党統一地方選挙での敗北は決定づけられた。ひょっとしたら菅代表に対する問責決議が成立し、菅代表の罷免、小沢代表の成立を期待し、それによる党勢の挽回を期待していただけに、現実は非常に大きな失望をもたらすものでした。
 民主党は、今、自滅への道を歩み始めた。なぜなら、与謝野入閣や枝野幹事長の任命に見られるように、菅内閣の目玉政策は、消費税増税とTPPへの参加だけだからです。これで4月の統一地方選挙を戦えるのかと言えば、否でしょう。それは昨年の参院選結果、そしてその後の諸選挙結果を見れば明らかです。
 小沢排除に対するマスコミの全面世論誘導を受けて、あまりものを考えたがらない有権者菅内閣の方針を支持し、だからと言って自民時代に戻りたくない同じ有権者は、消費税増税を飲まざるをえない。
 そして、与謝野入閣で、公明や自民党への連携の可能性を持った民主党は、いやいやながらなの消費税税増税路線を有権者に飲ませる体制ができたのだと思います。これらはすべてリンクした問題です。
 ここには、菅の追い込まれ辞任の可能性が残りますが、小沢派の復活がない限り、仙石体制は続くと見るべきでしょう。
 こうした悪循環を断ち切るには、小沢無罪の確定が必要なのですが、アメリカ・官僚とつるんだ検察は、政治生命を断つまでその攻撃をやめない。司法も、こうした動きに敏感に連動します。なぜなら、どんな微罪でも有罪判決さえ出せば、小沢を政治的に葬り去ることは可能だからです。
 日本政府からできる限りの金を引き出したい米国政府も、自民党時代に築いた利権構造を維持したい高級官僚も、新聞社と系列化してマスコミを支配し、なおかつ低額な電波利用料を維持したいTV局も、雪崩を打って、これらの諸悪を改革しようとした小沢一郎を葬ろうとする。マスコミに洗脳された有権者は、そうしたマスコミの姿勢を支持する。そして、既得権益を守ろうとうする勢力に敵対する政治家はいなくなるわけです。これこそが民主党2009マニュフェストに対する、最大の裏切りと呼ぶべき事態だと思います。
 こうして官僚組織の無駄、米国への隷属に伴う財政的無駄と倫理的歪みを維持したまま、日本政治は未来へと進むことになる。
 みんなの党ですら、八場ダム推進派の議員がいることに象徴されるように、一枚看板の官僚組織改革という政策に疑問符が付きます。たぶん、このまま日本は、庶民に多大な犠牲を強いながら、疲弊していくのでしょう。
 ただひとつ、懸念していた日中関係の悪化は起きないように思います。なぜなら、日本人は限りなく、強い者に弱いからです。
 日本のGNPを超すだろうという中国ですが、現在ですら1人当たりのGNPは日本の十分の一です。だから、その人口動態を見たとしても、まだまだ成長余力がある。そのとき中国はアメリカと匹敵する経済大国となるでしょう。そして、そうなった中国に対して日本人は、ショックの時期を過ぎて、すり寄ることになる。現在のアメリカに対する奴隷根性は、中国に対する奴隷根性にさしかえられるわけです。だから、対中関係は必ず好転します。
 そして、じつは米中関係は、現在も日中関係以上に緊密なのだから、現在の日本政府の親米は、そのまま親中国を意味するようになるのは理の当然です。
 米国が日本政府からの上がりを維持したいがために対中国恐怖論を煽ったとしても、彼ら自身が裏で手をつないでいるのだから、その効果は限定的にならざるをえない。ここで、尖閣で船長を解放させたのは、ほかならぬ米国政府であったことを思い出すべきでしょう。アメリカと手を組んだマスコミに踊らされながら日本の国民生活が疲弊すると同時に、日中関係は好転するというのが、皮肉なように見えても、必ず来る日本の未来なのだと思います。

帰結
 こうした予測が、ペシミスティックなリアルロボ系の未来だとしたら、僕らに求められるのは、真の敵がどこにいるのかを見分ける目なのだと思います。政治の動きが、マスコミからの洗脳と連動して進むとしても、民主党による2009マニュフェストの裏切りという厳然たる事実は残ります。なぜこうした裏切りが機能してしまうのかを考えれば、答えはもう出ているはずです。
 小沢と小沢派を生き残らせて未来の改革への芽を残すこと、改革を官僚や大企業、アメリカの利益だけをもたらすものでなく、日本の有権者の手に真に取り戻すことが、いま何より必要なことです。現実とは、意外とシンプルなものです。