お笑い菅政権の最後

 この期に及んで菅は仙谷を切ろうかどうしようか迷っているらしいと『日刊ゲンダイ』は伝えています。でも、これは、結局、どちらでも大差ない問題です。
 なぜなら、菅あるいは菅=仙石は、どちらもすでに自らの政権の延命のために、アメリカ・官僚・財界の3者に全面的に服従することを決定しているからです。
 その結果が自民党以上の対米従属、天下り天下り先の公益法人の温存、そして法人税の5%カット、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加、消費税増税路線でした。菅首相が年頭会見で、TPPを称して「平成の開国」と言うに及んでは、思わず恥ずかしくて穴を掘って、菅を突き落として埋めたくなるようなブラック・ジョークでした。
 アサヒ・ニュースターの『ニュースにだまされるな!』で、金子慶應義塾大学教授は法人税減税は現在の日本経済の好転に何の効果もなく、雇用を増やしたいならむしろ法人税増税をすべきだと主張していました。つまり、税金が減っても不透明な経済情勢を見れば企業が内部留保するに決まっているし、このくらい減税されても海外に行く企業は変わらないだろうという予測です。また、5%ぐらい減税しても、結局、外国企業は日本には来ない。むしろ法人税を増やした方が、税金で取られるくらいならと、企業は従業員に給与を払うから、消費の底上げになるだろうという論旨でした。僕も、まったく同感です。
 同番組では、多国間の包括的かつ全面的な関税撤廃を目指すTPPを選ぶのと、二国間で個別に関税条件を吟味して結ばれるFTA(自由貿易協定)を選ぶのとでは、まったく違う結末になることを指摘しています。完全に関税障壁をなくし、農業を壊滅させるのみならず、民間企業ですら、今後、外国政府から多大な干渉を受けるTPPを、なぜ財界が歓迎するのか解せないという論旨でした。たぶん、多国籍企業化した大企業にとっては、それでもメリットがあるのでしょう。新聞等のマスメディアはこうした負の側面をまったく報道せず、二国間のFTAとはまったく異なる結果をもたらすことを、まったく伝えていない、というのが金子教授の結論でした。
 前原外務大臣は、起こった時が北朝鮮政府の最後であるがゆえに、絶対に起こり得ない朝鮮有事を想定して、クリントン国務長官に対して、だらしのない忠犬のように、日米間を駆け回っています。その姿はまるで舌を出しながら相好を崩した、頭のいかれた病気の犬のようです。
 そして、こうした姿こそ、菅に見切りをつけた仙谷が次の首相として前原を据えようとするための入れ知恵ではないか、と勘繰りたくなります。仙谷の「入れ知恵」だとしたら、飛んだ浅知恵に見えるのは僕だけでしょうか?
 この勘ぐりが正しいか否かは別として、とりあえず前原は、現政権同様、アメリカの犬になることによって、来たるべき自らの政権を維持すべく腹を決めているのでしょう。まったく愚かな選択としか言いようがありません。
 アメリカの犬となること、官僚・財界を全面的にサポートすること、これが鳩山=小沢政権の崩壊から、唯一、菅=仙谷=前原=枝野といった連中が学んだことだとしたら、まったく情けない低能ぶりだと言うしかありません。そういえば、中国進出企業を批判した枝野の姿勢も、アメリカへの忠犬ぶりをいかんなく発揮したものでした。だって、アメリカ企業はどんどん中国に進出しているからです。つまり、日本企業に恫喝をかければ、日本の経済の身を切ることによってアメリカへの忠誠を示すことができるからです。こんな露骨な理屈さえ、分析して批判できないマスメディアの愚かさが知れます。もっとも、マスコミも国民を裏切るという点では、前原に引けを取らないし、むしろそれを主導しているという意味で上回っているのかもしれません。いや、上回っていると言うべきです。
 ともかくそんな対米従属、大企業・官僚優遇の自民党の姿に愛想を尽かしたからこそ、民主党は2009年夏に政権を取ったのです。その時のスローガンは、まさに文字通りの「国民の生活が第一」でした。
 その政権獲得理由を自ら掘り崩しているのが、こうした米・菅・財への全面服従であり、2009マニュフェストの否定なのだから、彼らは愚かと呼ばれなければならないわけです。これこそが、菅政権の発足以来、立て続けに選挙で負け続けている民主党の本当の理由です。
 そんなことは誰もが知っていることなのだと思います。だって選挙結果や、投票者に対する投票理由のアンケート結果が如実に示しているからです。
 民主党議員は、この真実を恐れているけれど、アメリカや財界、あるいは、マスコミが一番怖いあまり、何もできないのかもしれません。この姿は政争に勝つために軍部と手を結び、結局、政党政治を崩壊させた戦前の腐敗した一部政治家とまったく同じものです。そして、現在の軍部とは、まにマスコミです(東大・御厨教授の指摘)。マスコミは、政治家を操って自分たちの既得権益を維持しようとするのですが、その結果である経済低迷の責任はまったく取ろうとしない。まるで日中、太平洋戦争に突入した当時の軍部の姿を、丸ごと引きうつしているかのようです。遠い将来の結果を誰も見越さないし、責任を取ろうともしないこの姿は、現在の広告収入の減少の真の原因が自らにあることをまったく自覚しないマスコミだけでなく、官僚にも、多国籍企業化した大企業にも共通するものです。
 だからこそ、来たる1月12日の民主党議員総会と13日の民主党党大会には、将来を見ることのできる中央と地方民主党議員による菅退陣への決起が要請されるのだと思います。
 小沢首班を立て、2009マニュフェストへの回帰をめざすしか、民主党の劣勢を挽回する手段はないと思います。事実、9月の代表選で菅と政権を争ったのは、ほかならぬ小沢氏だったし、菅の意味不明な政策構想に対して、明確で有効性のある政策構想を演説したのも、ほかならぬ小沢氏だったからです。
 ともかく、小沢首班実現のために、菅への退陣要求が絶対に必要です。菅は就任以降の選挙敗北の責任を取って退陣すべきだし、民主党員は、それを明確に要求すべきです。
 なぜなら、現在のマスコミファシズムを恐れて、菅続投を許したら、次に来るのは、民主党の地方選挙での全面敗北であり、それを受けての、国政選挙での壊滅的な敗北しかありえないからです。
 国民に向けた約束を破り、なおかつ、その責任を取ろうとしない菅政権、長妻が約束した平成24年度上程予定だった年金一元化の実現と後期高齢者医療制度廃止の法案ですら撤回しようとする民主党政権に対する有権者の怒りは、菅のもとでは絶対に解決できないことは目に見えている。それは、街頭に立てば、必ず罵声を浴びせられる地方議員が一番よく知っていることです。そして、そうした地方議員の声は、民主党国会議員も、必ず聞いているはずです。
 小沢氏サイドにすれば、もう少し様子を見て、菅や後継の前原政権が弱るのを待つ作戦なのかもしれません。しかし、そんな悠長なことを言っている時間もないような気が、いま僕はしています。
 日本国民の財産は、いまもこうした一部腐敗政治家によって、食いつぶされようとしています。小沢氏にやらせること、そしてもしそれでもダメなら、次は、共産党にやらせればいいのだと思います。結局、政治とは、結果責任なのです。
 ポール・ケネディがその著書『大国の興亡』で指摘した、日本の優位がここまでは保たれるであろう期限、2010年は、昨年終わりました。1987年に刊行されたこの本は、当時の情勢から、日本の国力は、どんなに国内政治が悪くても、このくらいは持つことだろうことを示したものでした。でも、それも終わってしまった。
 苦境に立つ日本国民は選ぶべき方向を見失ったがゆえに、かつて小泉にだまされ、昨年9月にも菅を選ぶという決定的な誤りを犯しました。そうした方向に誘導したのが、第二次世界大戦の結果に対してまったく反省しなかった大新聞だった。自らのファシズム報道ゆえに、国民をだまし続け、崩壊直前まで日本をもたらした責任を、一言も自己批判しなかったのが、こいつらマスコミでした。
 だから、朝日新聞の早野という記者は「首相が簡単に変わるのはおかしい。このまま菅政権が続くべきだ」と、時事通信社の記者の「菅は責任を取って辞めるべき」という発言に反論するわけです(BS11の年末番組での発言)。こうした姿勢は、すぐ後に続いた、日刊ゲンダイ、日刊スポーツ、週刊朝日記者による、マスコミ検証番組と好対照をなしていました。どちらが正しいのかは、一目瞭然でした。
 ここにも、系列局や新聞社を持たないBS11のメディアとしての真の姿を視聴者に気付かせる点があります。おかげで、朝日新聞のTV欄にBS11とBS12は、無料で見れるにもかかわらず、番組表がのらないという露骨な排除につながるのかもしれません。週刊新潮週刊文春の広告は載せても、BS11の番組表を載せないのは、朝日新聞の腐ったファシスト共の本当の敵がどこにいるかを示すものなのかもしれません。週刊誌にしても朝日新聞にしても小沢排除では統一戦線を張ってファシズム報道で連携しているのですから、自然な成り行きです。
 ともかく、そう、BS11での早野の発言は、菅が続いて、民主党が負け続けて、そして、かつての自民党時代のような政府との蜜月関係に戻れたら万々歳だという腹の底が見え見えの発言でした。これが、かつて自民党に対決する野党寄りと呼ばれた新聞の、現在の悲惨な姿です。腐り切っています。あるいは、大新聞の寡占状態が作り出されたのは大政翼賛会の時代だったのだから、そのファシストの恩を忘ない正直な姿なのかもしれません。でも、だとしたら、ジャーナリズム・報道などと自らを言わず、自ら「ファシストです」と正直に言うべきでしょう。
 これも責任を決して取らないマスメディアの姿だし、その責任を問わない情けない国民ゆえにありうる腐ったマスコミの姿に見えます。
 このことはマスコミだけじゃなくて、こうしたマスコミに迎合して、中立をもくろむ頭の悪いブログやネット論壇にも言えることです。
 誰も責任を取ろうとしない。日本型ファシズムとは、結局そういったものなのかもしれません。ツケを負わされるのは、結局、国民なのです。ドイツで、ヒトラーは、国民を悲惨の渦に巻き込みながら、最後には自殺した。でも東条は、結局、自殺に失敗し、自らが国民に厳禁した「生きて虜囚の辱めを受ける」結果になった。こいつらの言うことを聞いて死んだ兵士はどう思うのだろうか。
 結局、戦争は、自分が前線に立たない人間によって立案され、最下層の兵士のみが死ぬものでした。65年前に日本人が痛感したこの事実を、今の日本の有権者が忘れるのなら、もう一度、本当に負けるべきなのかもしれません。自らの死をもって、自らの不明を恥じるべきなのでしょう。