尖閣ビデオと公安情報の流出問題・再論

 尖閣ビデオ流出は国民の知る権利を保障したものであり、憲法に保障された国民の知る権利を保障する内部告発であり、無罪であると考えられます。先日の日記で明確に書かなかったこの点を、まず確認しておきます。
 日中関係を配慮して非公開にした政府方針は、そもそも船長を逮捕した時点で日中関係の悪化を予測できていなかったのだから、問われるのは逮捕した行為そのものであると考えます。
 つまりは、この侵犯行為は、勝g小平との合意とこれまでの慣行に反する行為である点を外交ルートを通じて、まずはマスコミに公開せずに中国政府に伝え、今後の慣行通りの漁船の操業を要請すべき問題であったと思います。なぜなら、本当の意図が、現在の中国政府の指示なのか、現在の中国政府に反対する勢力の作戦なのか、謎だったからです。その後は、中国政府の出方によって、日中間で非公開で外交調整すればいい問題でした。そうしていれば、現実に起こってしまった中国からのリアクションも、ロシアの北方領土訪問という行動も、アメリカのドル安誘導といった行動も防ぐことができたのではないかと考えられます。日中両国民への公開はすべてが終わった後にすればいいし、また、しなければならない問題でした。
 ただ、日本政府が中国漁船を逮捕するという日本の国益に反した行動を取ったのなら、次に考えられるのは、政府の責任において日中関係を考慮して即時釈放すべきであった、それをせずに日中関係に影響なしとして公判手続きに進んだのは、明らかに日本政府の情勢分析不足であった。だから、アメリカの圧力に屈してという形であったとしても、船長を釈放したことは、その時点で最善の方策でした。
 ただ、釈放の責任を外交責任を全く持たない検察に負わせたのは、まったくの判断ミスです。もし検察がその責任を負うのであれば、検事総長にその越権責任が問われる必要があります。しかしそれはまだ問われていません。これは重大な責任です。また本来外交権限や責任を持たない検察にそれを許した政府の責任もあります。こちらも重大な問題です。菅総理大臣の罷免が必要になる問題です。
 また、この問題の前後に前原や枝野がぐちゃぐちゃ言ったのは、彼らが政府要職にあることの不適格さを示すものです。彼らはそれぞれの職を辞任して責任を取るのが正しいあり方です。
 そもそも、逮捕時点の海上保安庁を指揮していたのは現外務大臣である前原です。枝野の「中国に進出した日本企業の将来に対する責任を政府はとらない」という発言も、まったくバカ丸出しのもので、政権与党の要職にある資格はありません。
 つまり、ここで私が再度この問題を取り上げたのは、政府内部の統制に関する責任と、国民の知る権利に関する問題は別に考える必要があるということに気づいたからでした。
 公安外事3課のテロ情報に関しても、この流出で、外国からのテロ情報が入手困難になる可能性がある点は大きな問題ですが、同時に、この流失によって公安外事3課の無駄で不法な捜査内容が明らかになった点も同じくらい重要です。公安の内部統制でこうした不法で無駄な捜査が正せない以上、国民に公開され、マスコミによって問題点が検討される必要があったというべきでしょう。ですから、この公安情報の流出も、国民の知る権利によって守られなければならない側面があることは、強調してしすぎることはありません。
 マスコミはこうした点を中心に流出内容を再検討すべきです。
 まず尖閣ビデオに関しては、まったく問題がない。懸念された日中間の外交トラブルも起きていません。むしろ日本側から体当たりしてきたという中国政府の主張は覆され、中国国民に正しいメッセージを送れました。
 公安情報に関しては、国内のモスクに対して200人の公安職員を張り付けるといった、無駄で不法な捜査内容が含まれたいたことが、すでに報道されています。こうした内容に関してより正確に検討されるべきでしょう。そしてその検討の機会を与えた流出に関しては、憲法に則して正しい流失であり、正当に評価されるべきものです。
 情報の公開(流出、内部告発)に関しては、得られる利益と失う損失の両方を秤にかける必要があります。しかし、尖閣ビデオは失う損失は全くなかった。公安情報は失うものがあまりに大きいとは言えますが、得るものもあったというべきだと思います。
 国民は真実を知らされなければ政策が正しいのか間違っているのか判断することができません。だから、知る権利は極力保護されなければならない。
 尖閣衝突問題に関して、秘密裏に外交交渉すべきとした上の問題にしても、外交交渉が決着した時点で、国民にその内容を公開すべき筋のものです。
 日本政府にも、アメリカ政府同様の、政府文書の厳正な保管と、しかるべき時間を経たのちの公開(これは情報公開法の適用を逃れたすべての文書に関するものですが)が必要です。そのための法律が必要です。
 政府が国民のものだとするのならば、政府資料の完全公開こそ政府の誠実な対応が求められる問題です。そして、それができないのであれば、現在進行している菅内閣の支持率の低下はもっと進んで、そののちの民主党の敗北をもたらすのだと思います。
 ダメな政府を替えることに戸惑う国民はありません。
 こうした点を問題にできないのも、野党のやる気の無さの証明です。目を覆うばかりの政治全体の質の低下ですが、国民の監視のある限り政治はいずれ好転すると信じるほかないし、指摘することをためらうことは民主主義の放棄にほかなりません。