夏目漱石「三四郎」「草枕」

 『デュラント世界の歴史』を読み終わったので、集英社の『日本文学全集』を寝る前に読んでいます。最初に手に取ったのは、任天堂DSや青空文庫で読み始めたものの、最後まで読み切らなかった「三四郎」でした。
 一番印象に残ったのは、この部分です。小川三四郎の尊敬する広田萇(ちょう)先生は独身なのですが、ある日、自分が見た夢を話します。(引用はシナリオ風に書き換えてみました)

 子供のころの夢を見た。森の中を歩きながら何かむずかしいこと考えている。
(すべての宇宙の法則は変わらないが、法則に支配されるすべての宇宙のものは必ず変わる。するとその法則は、例外に存在していなければならない――)
 その時、かつて見知った、十二三歳の少女と会った。
少年「あなたは少しも変わらない」
少女「たいへん年をおとりなすった」
現在の男「どうして、そう変わらずにいられるのか」
少女「この顔の年、この服装(なり)の年、この髪の年が一番好きだから」
男 「それはいつのことか」
少女「二十年前、あなたにお目にかかった時」
男 (それなら僕はなぜこう年を取ったんだろう)
少女「あなたには、そのときよりも、もっと美しいもののほうへほうへとお移りなさりたがるから」
男 「あなたは画(え)だ」
少女「あなたは詩」
――「三四郎」『夏目漱石集(一)』日本文学全集15[20版]所収(集英社・1971)351頁

 広田先生とは、こんな人です。下の引用は、三四郎が東京に向かう列車の中で、初めて広田先生と同席した時の会話です。
 広田先生は車窓から外国人を見て言います。「どうも西洋人は美しいですね」「はあ」と言って笑うほかなかった三四郎に、先生は「お互いは憐(あわ)れだなあ」と言いだした。「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。」建物を見ても庭園を見ても、いずれも顔相応であると話したあと、先生は「富士山は立派だが我々が拵(こしら)えたものじゃない」と断じます。それに対して三四郎は、

「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、
「亡(ほろ)びるね」と言った。」
――同203頁

 このあとに有名な「日本より頭の中のほうがひろいでしょう」……「囚(とら)われちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓(ひいき)の引倒(ひきたおし)なるばかりだ」という言葉に続きます。
 これを聞いて三四郎は真実に熊本を出た心持がして、同時に熊本にいた時の自分は非常に卑怯であったと思うのでした。
 広田先生とは不思議な人物です。第一高等学校の英語教師なのですが、外国に詳しいけれどその知識はすべて本と写真によるもので、実際に行ったことはありません。まるで、「おフランスでは」と言いながら、じつはフランスに行ったことのない「おそ松くん」のイヤミみたいな存在です。でも、イヤミと違って、自分のあり方に自足安定している。まるで欲がない。結婚もしていません。
 そんな広田先生がとわず語りに自分の見た夢を三四郎に話した内容が最初に引用した場面でした。
 この小説はWikiペディアにも紹介されているように、田舎を出たての三四郎が、東京で里見美禰子という女性に出合って、恋心を抱きながら、翻弄されるという話です。
 ちょうど自分が、世の中のいろいろなことに煩わされていたときだったので、久しぶりに小説を読んで、つまり「三四郎」を読みなおして、なんか安心するところがありました。つまり、世間的な評価と自分自身の満足とは必ずしも両立する必要がないというふうに思えたことが収穫でした。それには、広田先生のあり方が強く影響しています。
 しかし、こうした仙人のような人にあっても、彼が得たものと失ったものの比較がよく出ているのが、引用した夢の文章だったと思い、強く印象付けられたのでした。
 彼は正しいこと美しいことを求めて生きて来た。そしてそのことを後悔していはいない。しかし、確実に失ったものがあること、人生の光と陰で言えば影の部分が詩的に表現されているように思ったわけです。
 そして「三四郎」を単独で読んだ時に気づかなかったことが、「草枕」を読んで気づいた気がしました。

随縁放曠  かかわりの生じた出来事にこだわらず、自由に振舞うという意。禅語。
――「草枕」同、小田切進「注解」411頁

 「随縁放曠」とは、「草枕」に出てくる言葉です。
 この小説は「山路を登りながら、こう考えた。知に働けば角が立つ。情に棹せば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」という有名な文句で始まる小説ですが、初めて読みました。
 この出だしは「住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画(え)ができる。」と引き継がれます。
 この出だしのとおり、漱石は、主人公の画工を通じて、世の中の美しいもの、風雅なものを次々と書き連ねます。それこそが小説家の使命であるというがごとくです。
 「草枕」の背景は、この画工が山里のひなびた温泉に逗留するあいだの出来事です。ここにも美しい女性、那美が登場します。彼女は教養と謎めいた言葉で画工を翻弄するのですが、小説の最後に、弟が満州に出征するシーンで、「哀れみ」の表情を見せる。画工は、この表情を初めて見て、自分はこの女性を絵にすることができると考えます。
 西洋と東洋あるいは日本の美とを比較しながら、綺羅星のごとく美しいものを書き連ねたのがこの小説なのですが、最後のシーンを出征を見送る列車にしたのには、僕には意味があるように思えました。
 それは、浮世を忘れるための美はたしかに存在し必要なものでもあるけれど、それだけでは解決できないこともあるという認識であるように僕には思えました。だから通説として言われる夏目漱石の最後の理想理念、「則天去私」という自然に即して自分を去るという思想とは違った、現実世界に対する問題意識、こだわりをいかに小説として、美を追求するのとは違った形で、かたちにすることが漱石の明確な問題意識として生まれたように思います。それは、この本の解説にあった、漱石の手紙にも書かれていたことでした。
 僕が読み、そしてこの日記に引用した順番は、作品発表の順序と逆になっています。つまり、そんなところから「三四郎」も生まれたし、漱石と同じように自分も問題意識をもっていきたいと思いました。
 この集英社版日本文学全集の『夏目漱石集(一)』には、ほかに「坊ちゃん」「倫敦塔」「薤露行」などが収録されています。「坊ちゃん」を除いて他の小説も読みました。でも、印象に残ったのは、感想を書いた上記2作品です。
 『夏目漱石集(二)』には「それから」「こころ」「夢十夜」「硝子戸の中」が収録されています。こちらは順番に読むつもりです。