尖閣諸島における中国漁船拿捕事件と村木厚子事件の黒幕

 今日のCS『愛川欣也パックインジャーナル』(http://asahi-newstar.com/web/01_packin_journal/?cat=18)は元検察の郷原信郎弁護士を、田岡俊次さんと二木啓孝さんが囲む布陣で、内容のあるものでした。ほかにも内田誠さん、荻原博子さんがバックアップしていて、いつもの横尾和博さんというメンバーでした。
 今回は尖閣諸島事件をめぐる日中外交と、村木事件をめぐる検察不祥事の問題などが取り上げられました。ほかにも、土地価格下落の問題、北朝鮮後継問題、菅の国連訪問などが話題になっていましたが、すべての問題が背後でリンクするという日本の現状をよく映しているように思いました(北朝鮮後継問題は取りあえず除きますが、これすら対北朝鮮外交という問題で日本の内政にリンクします)。
 これらの問題はすべて、現在の日本政治の黒幕たる仙谷官房長官の、本来必要とされる「政治」ではなく、自己の権力を維持する為の「謀略」しかしないという姿に集約されるように、僕には思えます。
 番組で司会の愛川欣也さんが「こうなったら取調の可視化をするしかない」とまとめていましたが、それができない事情や、もしそれをするとしたら、どのように与党や官僚や検察や司法官僚が動くのかといった国内政治力学のこれからの動きすら考えさせられた内容でした。

尖閣諸島での中国漁船拿捕
 尖閣諸島で拿捕された中国漁船問題に関して、この番組で僕が一番印象に残った議論とは、マスコミが騒ぐ早期解放ではなく、外交を管轄しない検察がなぜ「日中関係に考慮して保釈した」と記者会見をしたかという話です。これは明らかに職務権限を逸脱した行為です。そして記者会見した沖縄の検察官は、本部と相談のうえでそうした判断をしたと明言しています。
 本来、こうした釈放は超法規的なもので、それを決断しうるのは外交・政治的判断をしうる官邸だけです。であるのなら当然、官邸の最高実力者・仙谷の指示によるはずであると僕は考えました。そうすると、自分に批判が集中する仙谷が、検察に泥をかぶせた行為であると推測しました。しかもその方法は、法的責任関係を無視した、つまり「日本は法治国家ではない」という誤ったメッセージを海外に送る稚拙な形態を取った判断でした。これは、検察に泥をかぶせるのではなく、「日中関係の重要性にかんがみ」と、一言、仙谷が言っていれば済む問題です。しかしそれをしませんでした。
 現在の日本経済は、そのほとんどが中国経済の牽引力によって支えられています。韓国が自由貿易協定を中国と結ぶ交渉をしている現段階において、中国は日本なしで将来の経済の成長が可能です。しかし、日本は中国なしに経済が成立しない。このことは、レアアース禁輸問題(この問題はWTOに提訴することが可能ですが、実際には、レアアース処理に必要な化学物質の環境汚染問題から減産を図っている中国の意図を止めることはWTOでは不可能です)ひとつとっても、日本経済に壊滅的打撃を与えることが可能なほど重要な問題です。
 ですから「日本領土が侵犯されてけしからん!」みたいな、イケイケどんどん政策を日本政府が取れないことは、合理的な頭脳と判断力をもった人間であれば、当然の結論となります。
 つまり、朝日新聞以外の社説執筆記者は合理的な判断ができないか、できてもデマゴーグで民衆を煽るためにわざとそうしていると考えられるわけです。その方が部数が伸びると考えているとしたら、戦前なみの亡国報道です。
 実際、島嶼防衛に関しては、日米安保条約でも自衛隊の役割となっています。穏便に済ませることのできない現政府の無能ぶりを見ながら、僕が一番心配していたのは、自衛隊員の無駄な血が流される事態でした。しかし、ともかくとりあえず、それだけは当面回避されたといえそうです。
 本来、このような問題は、自民党政府のもとの方が、はるかに効率的に処理してきました。しかし、それが今回はできなかった。その背後には『日刊ゲンダイ』の言うように、民間中国大使に反発した外務省職員が職務をボイコットしたとか、中国政府がここまで強硬な反応に出ることはないと予測した外務省の誤った判断、無能な前原外務大臣、権力維持のための「謀略」はできても本来の「政治」は全くオンチな仙谷官房長官の姿が散見されます。
 そして、菅総理といえば、自己の政権維持期間の長期化しか頭になく、そのために本当に必要な正しい政策が欠如している(これ自体、非常にアンビバレントで病的な状態です。だって、正しい政策がなければ長期政権など望めないのですから)。そのために官僚依存となり、結果、全面的に外務省の官僚頼りになるという姿しか見えません。
 しかしこれらはすべて、民主党代表選で菅を選ぶか小沢を選ぶかを考えた時に予測できた状況でした。
 ともかく、後手後手に終わった仙谷は、検察に泥をかぶせる最悪の選択をした。権力ボケもここに極まるといったていたらくです。ベストの解決策は、証拠ビデオでもなんでも開示して、海上保安庁と中国漁船のどちらに非があるのかを明示したうえで、拘留延長などをせず、さっさと強制送還することでした。小泉自民党は同様の事態に2日で強制送還しています。
 しかし、上にあげた諸制約のなかで、バカ前原外務大臣は「粛々と法を執行する」、「中国政府のデモ取り締まりに感謝する」と発言するだけでした。前者は外務省官僚の判断ミスによるものだし、これだけでも致命的ですが、後者は、こんなこと言われたら「中国政府が日本の味方をするのか?」という中国内反日市民の火に油を注ぐ発言です。結局そうしたリアクションになりました。
 前原は言わんでいいことを言うと、僕はニュースを見て思っていました。いま思えばこれらの発言だけで罷免に値する失策です。

村木事件との関連
 表題に掲げた村木厚子事件との関連で言えば、この問題は単に、逮捕された前田検察官だけの問題ではなく、こうした事前のシナリオに沿った捜査を行う検察自体の体質の問題です。そして、前田の犯行を黙認した検察上層部の責任が問われる、共犯が成立する問題となります。
 コメンテイターの二木さんの指摘では、この問題の責任とをらざるをえない検事総長の罷免に合わせて、それならむしろ中国漁船問題で責任を取らせようとする姑息な意図が政府にあるのではないか、ということでした。
 まさに姑息にして稚拙な行為です。これは、民主党代表選挙における菅の「おごり」と同様の、仙谷の「おごり」と評価されるべきものでしょう。そのうえ、おごりというよりも、自らの政治手腕を見せるのではなく、謀略で片づけようとする姿勢は、むしろ自らの政治的無能さを証明する結果ともなります。
 そして、前田検事が関わった2つの事件、西の石井一民主党議員つぶしと東の小沢一郎民主党議員つぶしの「策謀」が、どちらも「検察の捜査としては疑わしい」という印象を有権者に与えざるをえないものです。
 どちらの事件も、昨年の政権交代をもたらした参院議員選挙前の事件です。ですから、裏でGOサインを出したのは当時の麻生首相をはじめとした自民党政府となります。しかし、それが奇妙な形で仙谷民主党政権に引き継がれているということが重要だと思います。
 結局、民主党代表選挙で決定打となったのが、検察による小沢事件であり、それを根拠としたマスコミの「政治と金」キャンペーンでした。
 西の石井一事件は木村厚子の無罪で決着がつきました。しかし、東の小沢事件は、不起訴になったにもかかわらず、検察審査会に政治介入し、あるいはマスコミを使って圧力をかけるという方法で、いまだその主導権を仙谷が握っています。これが、自民党政権から官僚・マスコミの後ろ盾を全面的に引き継いだ仙谷スターリン体制の継承の実態のように僕には思えます。

政治のダイナミクス(力学)
 こうした状況を見た時、政治のアクターとして登場するのは、以下の人々と組織です。スターリン仙谷、国家官僚、検察、司法官僚、マスコミ、そして有権者の6者です。
 僕は独裁者が現われた時、裁判所が最後に抵抗する姿が、これまでうまく理解できませんでした。しかし、それもありなのかなと思えたのが、今日のニュースをめぐる動きです。以下で説明します。
 国家官僚に関しては、僕らは城山三郎原作のドラマ『官僚たちの夏』で、その生態についての非常にいいサンプルを見ることができました。
 これは、日本の高度成長を支えた通産官僚の姿をドキュメンタリータッチで描いた小説とそれをTVで映像化したドラマです。小説を読んでいないのでTVドラマに沿って書きますと、ここで行われていた国内産業育成派と国際協調派の権力闘争とは、非常に興味深いものです。国内派は日本産業の成長のために自動車、コンピュータ産業を独自に育成しようとする。国際派はそんな製品はアメリカから買えばいいという主張でした。この二派の官僚が産業行政をつかさどる通産省で戦う話です。それに政治家がからみ、当時の重要な日米外交案件をめぐって妥協や強硬策を取り、そのたびに両派の主導権が移り変わるといった話でした。もし日本に自動車産業やコンピュータ産業がなかったら、つまり国際派の言うように輸入に頼っていたら、現在の日本の経済的地位はなかったといえると思います。
 つまり、そうした重要政策を左右したのは官僚と政治家だったということです。もちろん、官僚サイドで言えば、敗戦によって上級官僚のジジイ共の公職追放が行なわれ、若手の有能な官僚が働くことが可能な環境だったというという事実もあります。しかし、それよりも、日本の将来を見据えた正しい政策判断が、当時の政治家には、紆余曲折があったにしても、おおむねできたということが重要です。そしてそれは政治家(具体的には、このドラマの中では池田隼人、佐藤栄作)の正しい判断抜きにはありえなかったという事実です。
 いまの日本政治においては、与党民主党の仙谷官房長官がすべてを取り仕切っている。前原という阿呆を外務大臣に据えたのも仙谷の意向です。任命権者の菅首相は、自らの無能力ぶりをさらけ出し、政治の重要性より小沢に対する恐怖が上回るがゆえに、陰謀しかできない仙谷に頼ることしかできていません。それゆえの、完全なる仙谷依存状態です。つまり、菅から異論が出る余地はない。
 これが与党において最強にして唯一のアクターが仙谷だけであると言いうるゆえんです。
 国家官僚は、仙谷が政策的に無能であるがゆえに、政策を丸投げされています。そしてこうした組織にとって政治家というリーダーシップが欠如すれば、天下り、自らの権限の強化などの組織利益の擁護が最優先されます。
 外務省を例にとれば、本来日本の国益のために、対米のみならず対中国といったすべての国に対する政策が徹底的に議論される必要があります。しかし、現在の外務省では親米派が独占的権力を握り、実際の日本経済において一番重要ともいえる中国に対する政策を提言する職員はパージされる状況にあるといいます(パックインジャーナル、二木さん情報)。つまり『官僚たちの夏』における、国内産業育成派がパージされているのと同様の状況が現状なのです。
 そして、それに仙谷は異を唱えられない。なぜなら、仙谷の頭は、最大の強敵である小沢氏排除という謀略で占められている。そんな仙谷には、対米政策ですら、自らの政権を維持し、菅の次に自分が総理大臣になるという夢(総理になって何かしたいという政策ビジョンはない。つまり最高権力を取ること自体が唯一の目的であり結果であり、すべてであるという恐ろしい考えです)を実現するための要件ぐらいにしか考えられていません。これは外務省親米派にとって、絶好の環境です。
 そして、仙谷の思惑に従えば、検察特捜は党内のみならず、野党に対しても直接牙をむけることのできる重要な政治警察となります。これも手放すことはできない。
 冒頭の愛川欣也さんの「検察の可視化が必要だ」という発言を阻止する最大の理由が、ここにあります。かつて野党時代に苦しめられた政治警察たる検察は、すでに自分のもとにある。だから、これを使うことはあっても、その力をそぐことは絶対にしない。ましてや小沢の力をそぐためにも使える、対自民党としても使えるという按配です。
 このスケールの小ささは、「政権交代可能な社会をつくる。そのために野党であっても与党であっても同じ情報にアクセスできる平等の競争環境を作る」として、「取調過程の可視化」を目指した小沢氏とは、雲泥の差です。しかし悲しいかな仙谷の頭にはこれしかないように思われます。
 ここで仙谷が取るのは、検察の犯罪を前田検事の単独犯として防ぐ。それで防ぎきれない場合は検事総長の首を挿げ替えて、新しい検事総長を決めると言う方策であろうと思われます。もちろん「可視化」には触れない。
 しかし、これで検察審査会やマスコミが収まるかというと微妙なところです。なぜなら、この仙谷の対処は検察腐敗という問題の抜本的解決策ではないからです。
 仙谷がこうした検察特捜の対症療法を続けるのなら、そして、その結果、官僚依存が進み、特別会計の見直しがお粗末な結果に終わるなら、問題は消費税引き上げへと継続します。今後起こるであろう経済問題、外交問題での懸案処理も、今回のように不手際に終わる可能性が高い。特に不況の深刻化は致命傷になりえます。
 そこで登場するのが、最高裁判所事務総局といった司法官僚です。彼らは、泥船の仙谷に味方するのは危険だと判断する可能性が高い。むしろ政治的中立を保った方が、自らの将来の組織利益になると判断します。
 村木厚子氏が無罪にならなければ露見することもなかった前田検事事件ですが、それを指摘された時、司法も無視することはできない。その意味での中立性です。
 事ここに至れば、10月中旬に予定される検察審査会の判断も、仙谷の思惑通りになるとは言いきれません。もともと法的には、小沢氏の強制起訴は非常に可能性の低いものでした。もしそれが可能となるのなら、それはマスコミと仙谷の力が万全に発揮された場合のみです。
 この検察審査会の判断が当面の日本のポリティカル・ダイナミクス(政治力学)の判断材料になると思います。
 アクターたちはそれぞれの思惑で行動する。しかし、その思惑にかかわらず舞台の流れは変わります。舞台の評判もです。最後に登場するアクターたる有権者という民衆の判断によって、マスコミは動かざるをえません。
 その時にやっと、仙谷スターリン体制という、政治というには余りにもお粗末な亡国状態も、終焉を迎える可能性が出てくるのだと思います。