もう菅首相を語る必要はない

 なぜなら、小沢首相以外に日本の現状を救う政治家はいないからです。小沢が勝つ以上、菅の将来を語る必要はありません。
 菅直人首相が今日まで為替に全く介入できていないのは、「アメリカとヨーロッパが共同で仕掛ける日本経済叩きを拒否できないから」と見るのが相当です。これは菅の、在日米軍基地問題への対策でも示された、対米従属姿勢から明らかです。
 高級国家官僚とその背後にいるアメリカという存在、これは、戦前の何かというと天皇の権威を持ち出して自己正当化しかしなかった軍部と天皇の関係に、いまの私にはダブって見えます。そして、高級国家官僚の広報部と化した大マスコミの姿勢も、かつて天皇の意思を持ち出した時のように、アメリカ様の意思を無視したら大変なことになるという、国民のための報道から逆立ちした姿です。
 その意味で、普天間基地辺野古への移転問題を無視している菅の姿勢は象徴的です。逆に、小沢氏の姿勢は、まだ沖縄住民の権利を見ています。菅の政策が続いたら、辺野古への強制代執行による米軍基地の移転しか政策として残されないことは、誰の目にも明らかではないでしょうか。
 天皇の意思を体現すると言い張った軍部が日本をどのような結末に導いたかは歴史が教えるところです。いまアメリカの意思を体現する高級国家官僚・大マスコミが日本をどこに導こうとしているかも、この歴史の教訓から明らかではないでしょうか。
 アメリカを意識して、日本経済の利益に反する形で、為替介入をしない。財務省官僚の意見を優先して緊縮財政と消費税アップを狙って、アメリカの経済学者クルーグマンにも批判される(『日刊ゲンダイ』2010年9月14日号2面)大不況突入政策を続ける菅直人首相。彼に日本の政治を任せることができないのは誰の目にも明らかといえます。
 そのため、政界において菅を支持するのは、政権への返り咲きを目指す自民党だけという有様になります。
 明日昼から大々的に放送される民主党代表選挙で、もし大マスコミ・高級官僚・アメリカが押す菅直人民主党代表に選ばれるなら、それは押している人々の利益にはなっても、日本に住む住民の利益にはならないことは明白です。それは、この選挙戦を通して見えて来た対立図式からも明らかです。
 そしてそれは、ここが重要ですが、菅直人を押す民主党議員・サポーターの利益にもならないこともまた明白です。なぜなら、これらの敵のめざすものは、民主党政権の弱体化であり、事実、菅の指導力では民主党は秋に予算をめぐって自民党との妥協を行い、来年春には民主党自体の命運が尽きると予測できるからです。その時、菅を支持した民主党議員はどのような顔をするのでしょうか? 「だってマスコミが菅を支持しろって言うから」と言い訳でもするのでしょうか? だとしたら、政治家としての責任能力が疑われます。
 今回の代表選で問われているのは、昨年夏の民主党マニュフェストで支持された小沢一郎なのか、春に民主党マニュフェストを裏切って負けた菅直人なのか、という明白な選択です。大マスコミは「民意は菅にあり」と報道しますが、選挙結果は、全く逆を示しています。どちらの言い分が正しいのかは明らかです。
 そして日本の運命は明日決する。そして、小沢一郎氏が勝つのは、以上書いた理由から当然のことだと思います。
 小沢氏が勝っても、大マスコミ・検察審査会があり、その後の法廷闘争があるから短命に終わるという予想があります。それは厳しい戦いになるのだろうと私も予測します。
 しかし、外交とは武器を使わない戦争です。政治も、最後は数の力を頼む、武器をもたない戦争だと言えます。この武器をもたないというところが重要です。リアルな戦争ではないからです。しかし、自己の利益のために、政策の本来の目的たる日本に住む住民の利益を放棄するのなら、最初からそうした政治家には「戦う権利はない」と、私たちは言うべきなのだと思います。だって、そうした人々は敵のために戦うのですから。
 誰のために戦っているのかが本質的に重要な問題です。日本人を捨てる棄民政策の菅なのか、少なくとも日本に住む住民の利益のために政策を打とうとする小沢かを比較するのなら、小沢が勝つことしか、私は価値を見出すことはできません。
 軍部を生き残らせるための延命策としての神風・回天といった自殺攻撃は、日本の棄民政策の表れでしかなかった。ソ連の対日参戦を遅らせるための近衛内閣の、労働力として日本人を差し出すというソ連への交渉も棄民政策でしかなかった。いままた、日本経済を犠牲にして自己の権力の延命のみを求める菅直人の姿勢も、こうした日本の悪しき伝統たる「棄民政策」にすぎません。それは、民主主義に対する恐るべきデマゴーグであり、民衆を裏切る行為に私には見えます。
 そんなわけで、明日を見守りたいと思います。