民主党党首選挙立候補者記者会見

 本日、9月1日午後4時から5時にかけて1時間NHKで生中継された民主党党首選挙の立候補者記者会見は、非常に見ごたえあるものであった。
 今後TVニュースや新聞などで、この内容が要約され、その過程で菅を応援するかたちに内容が書き換えられるだろう。それは当然なのだ。総務省と一体化して既得権益を守ろうとするマスコミは、当然、菅を応援するからだ。だから、そんなファシズム「報道」を見たときは、ぜひ、動画サイトに登録されるであろう今日の生中継自体を見てほしい、と切に願う。
 僕にとって、今日の記者会見で面白かったのは、財政状況を考えて消費税を含む議論を進めたいとする菅首相に対して、小沢氏が、まだ改善されていない財政の無駄遣いを具体例をあげ説明した場面だった。こうすれば財政の無駄削減は可能であり、その意味で昨年参院選挙でのマニュフェストで約束したとおり、まずすべきは、財政の無駄の削減であると言い切ったことである。
 そのためには、省益のために地方自治体に無駄な補助金の使い道を強制することをやめさせ、使い道自由な補助金を与える。このことによって8割から5割の補助金削減ができることを、小沢氏が明言した点にある。
 だからこそ、国家官僚主導ではなく、政治主導が必要であると説明したのである。これは官僚の説明をうのみにして、予算作成でも一律カットしか指示できず、その結果、有効な経済対策すら、財務省官僚の金がないという説明で打てない、菅首相と一線を画すものであった。
 「政治と金」の問題を質問した朝日新聞記者に対して、小沢氏は、この2年間の執拗な検察の捜査によって、またマスコミの追及によって、自分は本来、政治資金規正法で公開する必要のない細かな領収書まで政治資金のすべてを公開し、その結果、起訴する必要がないという結果を得た。もしこれからも「政治と金」の問題をマスコミが追及するのであれば、それは、自分以外の国会議員に対しておなじ程度の公開を要求するのが筋なのでないか、というものであった。理路整然とした答えである。それに対して、「クリーンな民主党」と菅が繰り返しても、それは本当に抽象的・情緒的な発言に見えたし、菅の知能レベルさえ疑われる発言に、僕には見えた。
 この言葉の空虚さは「全員参加の開かれた民主党」という菅の言葉に当てはまった。まず問題なのは、菅=仙谷ラインの小沢外しであったことを、厚顔無恥にも、みんな知らないこととしてだまし通そうとする菅の発言である。選挙後の挙党体制に関しても、これまで「小沢外し」をしてきた菅が、選挙で勝ったあと、その姿勢を変えることはありえない。そして、素人政治家らしく、民主党を支持した有権者の期待を裏切る政策を続けるだろうことが明らかになった瞬間だった。
 菅首相が「小沢氏が予算委員会で与党側の席に座って答弁する姿が想像できない」と失礼にもいい放ったのに対して、小沢氏は、「自分はずっと与党時代に席に座って応えてました」と言った場面を見て、僕は、菅は本当に恥の上塗りをする奴だと苦笑させられたのであった。
 普天間問題でも、「幹事長時代に解決できなかったじゃないか」という菅の発言に対して、小沢は「自分は幹事長として鳩山内閣の政策に介入していない」し、自分が代表になったら「普天間問題は沖縄住民の反対で現案では解決できないのだから、新たな合意策を探る」と明言した。辺野古移転を既成事実化している菅の対米従属姿勢とは一線を画したものである。菅は「そんなことしたら日米間に重大な影響が出て、それは日本人の利益を損なうことになる」と反論するのみで、沖縄のみに負担を押し付ける最大の問題の解決を放棄した姿勢しか示せなかった。つまり、菅は、小沢氏の主張する「日米双方が納得できる解決策」を最初から放棄していることが明確になったのである。
 新聞・TVというマスコミの既得権益を守ろうとするデマゴーグ、これをブログ「世に倦む日日」の著者は「ファシズム選挙」と呼び、小泉郵政選挙から日本の選挙はこれであったと指摘している。それを阻止するのは、こうした政治家の生の発言のみであるということが、今回の記者会見で明らかになった、というのが僕の印象である。
 だから、政治に関心のある者なら、ぜひこの記者会見の生放送を見てほしいと思う。
 「代表選があるとしても総理大臣としての職務をおろそかにしない」と発言したのは菅首相だったが、その菅自身が、国民の待ち望む政策とは全く関係のない、マスコミに姿をさらすためだけの視察という、民主党代表選に向けてのパフォーマンスに血道をあげているのだから噴飯ものである。自分の行動が、自分自身の言葉を裏切っていることに全く気がつかない。これは、マスコミ全面支援を受けて、マスコミ・官僚の既得権益確保が有権者をだましても行える、と考える菅のおごりとしか言えないものである。
 新聞・TVのマスコミは、今日も、菅を応援する街頭インタビューのみを流し続けている。まるで、これだけみると日本人は完全に馬鹿になってしまったかのようである。
 でも、このファシズム「報道」の背後には、TV・新聞から排除された大勢の小沢支持者の発言があることを、日本に住む住民は銘記すべきだろう。この報道姿勢こそ、ファシズムと呼ぶべきものである。そして、それを変えられるのは、小沢政権しかないと確信するものである。
 政策本位の民主党代表選は、こうして我々の眼前に現れた。マスコミは、まだ、これからも「これは国民に関係のない権力闘争である」と言い続けるつもりなのだろうか? そこまで、我々は馬鹿にされて黙っているのだろうか? 否である。