日本の民主主義は最大の分水嶺を迎えた

 8月30日である本日、鳩山元首相は菅・小沢会談を設定すべく動き出した。この会談は日本の戦後民主主義を生かすか殺すかの最大の分水嶺となるだろう。
 もし小沢氏が菅の脅しに屈するなら、官僚・マスコミを抱き込んだ、あるいは操られた、菅=仙石の官僚ファシズム体制に、主権在民という戦後民主主義が屈服することを意味するからだ。
 なぜなら、仙谷の発言として伝えられる「検察を使ってでも小沢を阻止する」という反民主主義的ファシズム政策に、昨年の衆院議員選挙における、官僚主権から国民主権への転換という大多数の有権者の期待が屈服させられることを意味するからである。
 今春の参院選の戦い方を巡って評価が分かれた、私とブログ「世に倦む日日」の著者とは、今回、小沢氏の民主党代表選立候補に関して、完全に意見の一致をみた。菅=新自由主義者、昨年参議院選のマニュフェストを守るという意味での、小沢=社会民主主義者という位置づけで僕らは共通するのだから、これは当然だ。
 総務省の官僚と結託し、自らの利権を守ることに必死になっている大手新聞社とTV局は、第二次世界大戦下の日本の報道と同じく、反小沢という1点でファシスト報道を徹底している。それは、小沢氏の立候補を論外とすることで、すべての新聞・TVで統一した論陣を張っているからである。
 検察特捜は、自民党の候補者は絶対に捜査すらしないにもかかわらず、証拠の上がらない小沢氏がダーティであるとのリーク情報を流し、その小沢氏の秘書を、自民党議員なら絶対に見逃すような重箱の隅をつつく執拗な追及によって追いつめた。マスコミ各社は、そうした、あからさまに政治的な検察特捜の捜査の側面を見逃しながら、こうした自らの反民主主義的な、読者・視聴者を裏切る不公平な報道を正当化するために、まさにウソにウソを重ねるような反小沢キャンペーンへと奔走しているからである。
 これは、第二次世界大戦下の大政翼賛会ファシズム報道と同質のものだ。ブログ「世に倦む日日」では、この間のマスコミの動きを「ゲッペルス星浩与良正男 - 放送法の逸脱と世論調査への懐疑」(8月28日、書き込みの当日無料、その後一部有料、http://critic6.blog63.fc2.com/blog-entry-365.html)として伝えている。
 「ウソも百度言えば本当になる」というゲッペルスの言葉に代表されるファシズム報道は、反論を唱える半数のマスコミがあれば阻止できる。自公政権下において、たとえ野党寄りの論調があっても、『サンケイ』『読売』『新潮』『文春』といった右翼新聞、右翼週刊誌が、自公政権寄りの論陣を張っていた。しかし、現在、これらの新聞・雑誌はもとより、『朝日』といった新聞、『週刊ポスト』『週刊現代』といった週刊誌までもが、一斉に反小沢一色の論陣を張っているのである。雑誌『世界』という、戦後民主主義の拠点であった雑誌ですら、このファシズム化の動きを無視している。これに抗しているのは『日刊ゲンダイ』『AERA』『週刊朝日』くらいしか見当たらない。
 こうした反小沢マスコミは、それによって世論を誘導し、菅支持が高い世論調査を作り出し、自らの反小沢というファシズム報道を正当化しようとしている。
 ここには、参院選での民主党を見た有権者の、「菅は官僚に抱き込まれたのではないか?」「何故民主党マニュフェストが後退するのか?」「検察は政治的公平性を保っているのか?」「小泉・新自由主義路線は、昨年の衆院選挙で否定されたのではないか?」「日本の財政は本当にギリシャと同じなのか?」といった疑問は、一切無視される。
 あるのは、国家高級官僚の利益を守るために政治警察化した検察特捜に対する絶対服従であり、アメリカの利益のためなら日本人の生命・財産も差し出すといった奴隷の報道姿勢のみである。「一生懸命やっても所詮特別会計には切り込めないだろう」という、国家高級官僚なら泣いて喜ぶような報道だけなのである。
 日本に住む住民が、現在の不況で汲々としながらも税金・社会保障費を支払い、なおかつ、こうしたマスコミ各社の報道を素朴に信じるなら、嘘の報道に踊らされて国家存亡の危機に終わった第二次世界大戦当時と同じ結末しか待っていないと断言できる。
 政治は国民のためのものなのか、それとも高級官僚とその利益にぶら下がる寄生虫のためのものなのか、それが、今回の民主党代表選で問われている最大の課題なのだ。だから「国民は民主党の内紛にうんざり」という言葉は、マスコミが世論をそこに誘導し、陰で自らの既得権益を守るための言葉であっても、絶対に国民の実感でもなければ、国民ための言葉ではない。マスコミが自らのためにするウソなのだ。僕らはこのウソを見抜かなければならない。
 「幼さを脱却せよ、友よ目を覚ませ」(ジャン=ジャック・ルソー『新エロイーズ』)の言葉は、いまこそ、日本に住む住民に向けて、唱えられなければならない。
 人は自ら生き、他者をも生かすために、いまこそ理性に従って行動しなければならない。
 その選択肢は、反菅であり、小沢支持である。