『9〜9番目の奇妙な人形〜』に見るナウシカの血脈

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 昨日、映画『9<ナイン>〜9番目の奇妙な人形〜』を見ました。
 朝、テレビをつけたら、ブランチでシェーン・アッカー監督のインタビューをやっていて、同時に、映画の紹介もしていました。この番組を見て、急遽、その日の土曜日に見に行くことにたのでした。
 インタビューによると、監督は子供のころはアメリカン・コミックを読んでいた。でも少し成長すると、日本の漫画やアニメを見るようになって、結末の明確でない日本的物語の奥深さに興味を持つようになったと語っていました。
 同時に、宮崎アニメにも強く影響を受けていて、この映画にでてくる7<セブン>−女戦士的性格の人形には、ナウシカもののけ姫の主人公・サンがそのまま投影されていると語っていました。
 アカデミー賞短編アニメーション部門にノミネートされたこの作品の原作の長編映画化を強く勧めた、プロデューサーのティム・バートンは『ナイトメアー・ビフォー・クリスマス』の主人公の顔がドクロで目の演技がないのに対して、この『9』は目の表情にこそ魅力があると紹介していました。
 そして、映画ポスターにあった「人類の滅亡後に目覚めた9つの人形は、なぜ作られたのか?」というコピーに魅かれて、僕は見に行くことにしたのでした。

 見終わった後にまず感じたのは、この映画の最大の魅力は、「人間以上に人間らしい」とティム・バートン監督に語らしめた、9体の人形の造形と演出にあるという点です。それは、単にかわいいとか魅力的と言うだけでなく、つくられた理由自体に大きな謎がある点で、この物語を見る観客の興味を最後までけん引する力となっています。

 映画の魅力を考えるうえで、パンフレットに掲載された2つの文章、映画ライター・渡辺麻紀さんによるREVIEWと、映画評論家・黒田邦夫さんによるCOLUMN「終末世界の〈生きもの〉たち」が参考になりました。

 じつは、映画自体の結末は、ストーリーだけ追えば、主人公9が目覚めさせたモンスターを、同じ主人公が亡ぼして終わりとも見れるわけです。だとしたら、とんだマッチポンプな話なわけで、すっきりしなかったわけです。

 しかし黒田さんのCOLUMNを読んで、その意見を参考に僕流にストーリーを再解釈すれば、人形たちは、人間が生き残って機械兵器と戦っている時に作られ始めた。そして、その目的は、戦争に利用するために作られた思考する機械=兵器に、逆に反逆され滅亡しかかっている人間に幻滅した、その機械の発明者である科学者が、その思考する機械を破壊することであった。しかし9が動き出すまで、人形たちはその任務を果たすことができていなかった。そして、目覚めた9はあやまって大元になった機械を目覚めさせしまい、そのために仲間が死ぬけれど、最後に、それを破壊することに成功する。
 人形たちが、ストレートに機械を破壊できないのは、科学者が魔術によって封じ込めたまさに人間性ゆえであって、その1体1体が科学者の個性やこころの一部を反映しているがゆえに意見がまとまらず、最後にまでもつれこむという重層的な構造になっているわけでした。つまり、戦争のためにつくられた「合理的な機械」を破壊する目的をもった人形は、同じ合理的機械であってはならず、人間性を持っていなければ意味がないという監督の思いが込められていたことに気づきました。
 黒田さんは、映画の中で流されるレコードの音楽、『虹の彼方に』が映画『オズの魔法使い』の主題歌である点に注目し、ブリキ人形、かかし、ライオンが失っている、心、頭脳、勇気つまり、〈愛と知恵と勇気〉を吹き込まれた人形たちが、人間に代わって思考する機械=兵器を破壊する物語と説明しています。それゆえに、最後に、人類の滅亡した世界に残された人形たちが、人間性を引き継ぐ存在であることが強調されるわけです。

 また渡辺さんはREVIEWのなかで、ティム・バートンの「フランケンシュタインに対する偏愛」つまり差別されるものとしての異形の存在に対する愛と詩情とは全く別の、シェーン・アッカー監督のアクション描写と人形でこそ人間性を表現する演出を強調します。これがアッカー監督の成功を導いたという意味です。それが、人形=異形ではなく、人形=人間性そのものとして、温かく描くことを可能とし、同時に人類自体生き残っていないのだから、差別されることはない。むしろ希望ですらあることを可能としていると言います。

 最後に自分の感想を書くと、この影を持った人形の造形や映画の世界設定は非常に魅力的なものでした。そして、その人形たちが人類なき後の人間性の代弁者であるがゆえに、7<セブン>の存在が際立ちました。
 ナウシカやサンに影響されて造形した7は、戦闘以外のシーンでのふとした表情とかが非常に魅力的でした。9<ナイン>は7のためだけ戦うわけではなく、むしろ仲間を見捨てられないために戦うのですが、同じ気持ちを持つ7は9に魅かれていく。そして、そうした行動は、9を支えるものともなっていく。
 古代ギリシアの伝説的な詩人ホメーロスによってつくられた古代詩『オデュッセイア』において、船が難破し浜辺に打ち上げられて気を失っていたオデュッセウスを助けるの、パイアーケス人の王アルキノオスの王女ナウシカでした。そして、その心やさしき少女という意匠は、現代になって宮崎アニメ『風の谷のナウシカ』の主人公に引き継がれる。ここで加わった戦う少女のイメージが、主人公を救う心の優しさと共に、この映画の7に引き継がれるたわけです。だから7の登場シーンは、本当にカッコよかった!
 人類滅亡後の世界を描くのは、この映画の監督が人間の腐敗を目をそらさずに見つめている証拠となります。しかし、それでも(それだからこそ)人間性の持つ希望に賭けたいという監督の気持ちは、観客にも伝わっていくのではないかと、僕も小さな希望を持ちました。
 そんなわけで、お勧めの映画です。