昨日、下北沢の本多劇場で、阿佐ヶ谷スパイダースの『アンチクロックワイズワンダーランド』という劇を見た。作家や演出家がシナリオを描く時、その人にとって何が一番、その時に重要なのかということが見えるのだと思う。長塚圭史さんの劇を初めて見たのが『少女とガソリン』で、そのあと『日本の女』をVRTを見て、『はたらくおとこ』のシナリオを読んでファンになった自分には、ちょっとなあって感じの劇だった。
 たしかに舞台美術はきれいだし、俳優の演技は素晴らしく、演出もシャープだし、悪夢を表現したという点で、よくできた芝居だと思う。つまらない普通の芝居と比べれば、その優位性は揺るがない。でも、先にあげた3部作と比べると、僕には何か燃えるものがなくて、残念な感じだった。けっきょく、これは、今の作者にとって何が一番重要かという問い返しの中で生み出された作品なのだと思う。いくら(僕にとって)面白い劇でも、それが今の作者にとってよそよそしいものであれば、やはり「作者のリアル」とはなりえないのだろう。
 僕にとって『少女とガソリン』の差別問題、『はたらくおとこ』の環境問題、『にほんのおんな』のフェミニズムは、すごいものだった。日常生活で目をそらしていれば、直接飛び込んでくる問題ではないだけに、触れないで済むことなのかもしれない。しかし、それでも僕らの生活はこうした背景ある重大問題と無関係で存在しているわけではない。だから、卓越した演出とストーリーで、こうした問題を語った長塚さんの手腕に驚嘆したわけでる。
 ということなので、長塚さんにとってのリアルが、今回の劇のようなものだとしたら、こうした劇を上演することも理解できる。だから、今後もいい芝居を見せてもらえたらと思う。
 この劇はRからの、バレンタインのおごりだった。

 劇の後、下北沢で大学時代の友人と会った。サークルのかわいい後輩なのだが、あいかわらずバリバリやっていて、実践活動にふまじめな(ひよった)僕には真似できないところがある。でも、刺激を受けて、自分も頑張らねばと思ったりもした。

 今日は、録画しておいた『24』と『パックインジャーナル』を見た。CSのアサヒニュースターの『パックインジャーナル』は、ドラクエ9の今週末の追加クエストをしながら見ていたのだが、普天間基地移転問題が言及されていて、あらためて感想をもったので書いておきたい。
 何か「何かしていますよ」というアリバイ的に、グアムとかいろんなところに与党政治家が行っているが、これは、全く税金の無駄遣いだ。だって移転が問題となっている800人の海兵隊は、この番組で何回も説明されているように、東アジア地域に住むアメリカ人を救出するための緊急展開部隊であり、その部隊を運ぶ船は佐世保にいる。だから、沖縄ですら遠いのにグアムなんて問題外だからだ。そんな経緯で、当初のグアム移転計画から、この部隊だけ残すことになったわけである。だから、本当に在日米軍基地問題を考えるつもりなら、800人の海兵隊以外の在日米軍をグアムなどに移転する話をすべきなのである。
 そして、この点において、「日本が必要とする在日米軍は第7艦隊ぐらいでしょ」という民主党・小沢の発言は、正確な把握になるのである。だって、その他の在日米軍、その大部分である空軍は、アフガンに爆撃に出撃するくらいしか仕事をしていないし、そんな仕事は日本にいなくても十分に可能だからである。そんなわけで、この800人の海兵隊佐世保の揚陸艇とそのスタッフは佐世保近辺において、それ以外の在日米軍はすべて日本国外に移転すべきなのである。
 横須賀の第七艦隊は、核兵器も搭載していないことだし、自衛隊の基地を貸して補給すればいいだろう。日本が必要とするアメリカの抑止力は、実際問題としてこんなものである。そして800人の海兵隊すら、以上書いたように、これは米国の都合で置いているだけなので、日本の防衛にかかわる抑止力ではないのである。
 政治をするのなら政治家にはこれくらいの常識は持ってほしいし、有権者も軍事問題はイデオロギー問題ではなく、リアルな問題なのだから、常識的な軍事知識くらいは持ってほしいと思う。

 閑話休題。2月8日の朝日新聞夕刊に、久々にしびれる言葉があったので、メモっておく。時事的な報道でなく、特集記事である一面での連載「神と国家の間」第8回である。「愛国心の跋扈は許さじ」というタイトルの今回は、1901(明治34)年刊行の幸徳秋水の『帝国主義』が紹介されていた。レーニンの「帝国主義論」に先立つ16年前である。

 秋水は説く。自分を愛して他人を憎む、同郷人を愛して他郷人を憎む。それが本当の愛か。自己のために他国を侵すのが「愛国心」ならば、それは「野獣的天性、迷信、狂熱、虚誇、好戦の心」である。秋水は嗤う。「国民の膏血を絞りて軍備を拡大、国家のためなりと。愛国心発揚は頼もしきかな」
−−早野透朝日新聞・2010年2月8日夕刊1面)

 愛国心が愛でないことの証左である。「国益」という言葉が好まれなかったのも、この方向での反省からだと思った。国益ではなく「互恵」であるべきだ。そして過去において、「国益」という言葉でどれだけの暴虐が正当化されてきたのかを考えるべきなのだろうと思う。
 愛国心が愛でないとしたら、それは恐怖からくるものだと思う。ユーゴスラビア内戦のルポを読んだ時、民兵同士が戦い、それを止めに入った警察官が「撃退された」あと、自分の身を守る為にできるのは、民族同士固まって、お互い殺しあう事だけだった。そこにあったのは、愛でも勇気でもなく恐怖や憎しみだけであったように思う。だから僕らは、常に幸徳秋水の言葉に立ち返らなけれならないのだと思う。

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 最後に、録画してあったクリント・イーストウッド監督作品『父親たちの星条旗』を見た。以前『硫黄島からの手紙』を見て、非常によくできた映画だと思ったのだが、この戦いをアメリカ側から描いた映画も、出色の出来だった。『硫黄島』がファシズムの中で戦場に赴いた普通の日本人を描いたように、『父親たち』もなんでもない普通のアメリカ人の戦いを描いている点が、よかった。

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 それと、久しぶりにクリント・イーストッド主演、ドン・シーゲル監督作品『ダーティハリー』を見た。もはや神話となっている映画なのだけれど、ホットドッグを食べながらの銃撃戦や、44マグナム等も登場するのだけれど、記憶と比べて、意外に物語はシンプルで地味だったのに驚いた。終わり方も、シリーズ化を意識していなくて、いい感じだった。