投票日の朝はビートルズで祝おう!

 衆院議員選挙に行ってきました。小選挙区有田芳生比例区社会民主党に投票し、最高裁裁判官は、那須と涌井を否認しました。
 東京の空は午後1時半くらいからぽつぽつと小雨で、この天気が投票率にどう影響するか気になるところです。
 同居人のRが24時間テレビの深夜枠を見てよふかしして起きてこなかったので、待つ間ケーブルテレビのシネフィル・イマジカで『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』(英・米合作・1964)を見ていました。
 まだ若いビートルズの4人組が、モノクロの懐かしいイギリスの街を駆け回っていた。「お前らのような無作法な若者を守るために、第2次大戦を戦ったわけじゃない」と、偉そうな金持ちの年配者に言われたりしながら、それでもお茶目にふるまっているビートルズのメンバーが楽しかった。
 選挙が終わった後、民主党がどれだけ勝つのか、とか、自民党がどれだけ負けるのかとか気になって、ちょっと鬱だったのですが、初期ビートルズの音楽を聴いていたら少し気が晴れました。
 映画には、当時のイギリスに旧体制がしっかりと存在し、対する若者のカウンターカルチャーが力を持ち始めている風景が鋭く描写されていました。それにひきかえいまの日本は、閉塞感ばかりが目立ち、なんとも鬱な感じです。
 振り返ってみれば、韓国が民主化を勝ち取ったとき、日本の左翼は「こんなんじゃ、韓国に未来があっても、日本には未来はないのではないか」と自問する声がありました。でも、少なくとも、今回の選挙にはそうした声を逆転する可能性があるように思います。
 なぜなら、東アジアにおいてGNPで中国が日本を追い抜く現代にあって、日本が他のアジア諸国に対して範を示せるとしたら、それは「民主主義と福祉」だけだと思うからです。
 それは、各人の人権がどれだけ守られているか、意欲のある人々がまともな生活をすることができるか、そして、その意欲をくじかない環境を作れるか、などの問いに答えることでもあります。
 欧米の植民地化に抗して独立を勝ち取り、産業的に豊かな社会を作った。それは日本人にとって、いまでも大きな誇りではあるけれど、いまそれだけを言っていても仕方ない。日本に住む人々にとって住みよく自由で民主的な社会を作ってこそ、ひとりひとりが、世界に対しても誇りを持てるのだと思います。
 少なくとも民主党はその方向に舵を切ろうとしている。僕らは、その姿を見つめ、監視するしか、投票後には残されていないのだと思います。
 自民は180議席を確保すれば、旧態依然たる支配体制を維持しながら、次の選挙を狙うことができる(これは、過去の細川政権の時代の野党自民党の姿です)。しかし、100を割ったら解体するしかないといわれます。しかしこの100以下においても、森をはじめとするサメの脳みそレベルの旧政治家が淘汰され、本当に優秀な人材だけが残れば自民党は少数精鋭のいい党になるんじゃないかともいわれます。
 選挙後の予測は、以前の日記に書いたので、そうなることを僕は望むのですが、それでも、あえて、ひとりひとりの人権(生存権も含めて)が尊重される社会になることを強く望むことを付言したいと思います。

 今回の選挙について、少しつけたすと、公明党は、いつまでも自民のしりぬぐいばかりしていないで本来の「福祉と平和の党」に戻るべきだと思います。「常に民衆とともに語り、戦う党」に戻るべきだと思います。雑誌『世界』の今月号には、自公敗北を見越した、そうした公明党の変化とその可能性が描かれていました。これは開票してみないとわからないことですが、負ければそうなりますね。そうなったときは、ほんとうに「平和と福祉」の党に戻って、民主党タカ派(軍事的、国際的情勢を読めないため、僕はバカ派と呼んでいますが)に対する抑止力となることが可能です。
 高速道路の無料化に関しては、朝日新聞を見ても、無料の肩代わりを国民がするのはおかしいとか、半額くらいが正解ではないかみたいなインタビューの意見が載っていました。でも、これは、大きな間違いだと思います。
 無料化と半額は大きく違う。半額なら、これまでの料金徴収システムを維持する必要があるけれど、無料になって一般道と同じなれば、それはすべて不要になります。もちろん首都圏では料金を取るだろうから、それは残るとしても、ETCをはじめとした料金徴収システムこそ、民主党が廃止縮小しようとしている無駄な税金の配分先、天下り先にほからないからです。そして、産業の地方分散化にとって、無料化は重要なテコになると期待できるからです。
 教育委員会の問題に関しては、民主党にはむしろ廃止して、地方首長が責任を持つシステムに改めるべきではないかという意見があるといいます。これについても、僕は全く反対です。教育は、政党の支持によって偏るべきでなく、独立した行政委員会である教育委員会が直接国民に対して責任を持つべきだと考えるからです。ですから、改革するなら、教育委員の公選制こそ、復活すべきだと考えます。教科書の採択も、かつてそうであったように、学校ごとに決めるべきだと思います。大学ではそうです。同じことが小中高でも可能だと思うし、それでこそ、親や子供に責任をもった教育が可能となるのではないかと思います。
 現在の教育委員会は、有権者の半分以下の支持しか受けていない首長によって大きくゆがめられている現状があります。それは、議会の同意によって、多数決で教育長が任命されている現状からみれば自然なことです。そうではなく、国民すべての層の代表者によって選ばれた教育委員の合議によって、本当に子供のための教育がおこなわれるべきだと思います。そして、それを実現するには、公選制しか、いまの僕には思い当たりません。
 最後に、民主党政権では、うちのように子がいなくて、夫婦の片方しか働いていない世帯は税金が上がる結果になるとの試算がありました(300万円の年収で1.数パーセント上がる)。それでも、僕は、民主党政権に期待して投票しました。
 だって、子供は何よりもの宝と言いますが、その子供を育てるために子供のいる家庭が不利益を受けるとしたら、それは間違っていると考えるからです。そして、そんな些細な税負担より、将来の年金が保証されることの方がはるかに僕にとってはメリットが大きいことだからです。
 選挙について集中的に書く時期は今日までで、明日からは新しい政治体制について書く時期になるのでしょう。いろいろ新体制について不安があるにしても、「生活第一」の方針を踏み外さない限り、民主党民主党を中心とした政権が大きく道を踏み外すことはないだろうと確信します。
 麻生は本当にひどかった。だから、今度の選挙は「異常から正常へ」と喩えるのが一番適切だと思います。
 そして肝心なのは、自公の旧体制では、麻生の首をすげ替えても、結局同じような人しか首相に選びえないという事実が知れ渡ってしまったことだと思います。
 その意味で、僕は自民党の大負けと、それによる再生をも祈ってもいるわけです。そのときの自民党は、これまでの自民党とは大きく違う姿にならざるをえないでしょう。であれば、期待できますよね。
 さて、あとは選挙結果を見るだけです。