戦いは、すでに始まっている――衆院議員選挙

 近所の公園には、すでに都議会議員選挙用のポスター掲示板が立てられ、その横のもっと目に付く場所には衆院議員選挙用の掲示板スペースが空けられています。
 鳩の問題は、次の選挙を象徴するような気がします。次の衆院議員選挙は政官財(政=中央政府与党政治家、官=中央官僚、財=一流企業経営者といわれる連中のことです)対民主党や野党を支持する有権者の戦いである、と僕は位置付けています。政=政治家とは、自民党公明党の連立与党のことです。
 まず公明党について、最近思いついた事を書こうと思います。
 公明党はきわめて独特の政党で、通常有権者が支える諸政党の中にあって、公明党は唯一池田大作のみがその有権者に相当するのだと思い当たりました。だって、彼の言うことを、公明党に投票する創価学会会員はそのまま信じるのですから。一種の王国的存在で、主権在民ではなく主権在君の政治形態です。君主たる池田とその機関の人間は、この池田というカリスマを維持するために全力をあげて行動する。だから、よく言っても、有権者たる創価学会員の支持を取り付けることによって創価学会は維持されるし、公明党も維持されるといったあんばいです。宗教って、教義自体を理解することより、その信仰を励むことが尊重される世界ですから。理性の埒外にあるというべきでしょう。
 公明党のこだわった定額給付金も、創価学会が吸い上げてそのまま選挙資金とするといった説も流れていたくらいです。こう考えれば、公明党定額給付金以後に選挙を行うといったこだわりも、すっきり納得できます。
 そして、自民党です。彼らは選挙で勝って、その総理大臣から市町村議員まで貫く政治支配体制を維持するためには、何でもすると考えるべきでしょう。最近、社説で自民党への援護射撃を続ける朝日新聞も含めて、大マスコミはこうした政治支配の利益構造に組み込まれているという日刊ゲンダイの指摘は、うなずけるものだと思えます。
 このように自民党のまわりには最初に書いた3極以外にも、大マスコミ、およびアメリカが、脆弱な自公政権を維持するために躍起になっているような構図が見えます。それは利益を第一に考えれば自然な流れです。
 アメリカから距離をとり全方位外交を志向する鳩山より、地獄の底までアメリカに付き合おうとする、頼まれればそれ以上の額の金を貢ぐ自民党のほうが、アメリカ好みであることは明白です。アメリカの好きな「国益」に合うといってもいいでしょう。それゆえ、アメリカの情報機関の入手している日本の政治家の弱点は、すべて自公に有利なように使われることになるのだと思います。
 ほかにも、検察をはじめとする司法界も、三権分立であったとしても、他の二権を支配する自民公明の影響力から無縁ではありえない。
 小泉時代の立川テント村のビラポスティング事件最高裁判決は、その象徴的な出来事だと言えます。小沢秘書逮捕もそうだし、立川同様の、右翼活動家のポスティング逮捕も同様の構造です。むしろ、右翼のポスティング逮捕は、「どうです、右も逮捕したから平等でしょう」といった、小学生並みの理屈で、へそが茶をわかす有様です。だって、毎日3から5件以上の宅配業者がポスティングするポストに政治ビラ入れたとしても、まさか逮捕されたり家宅捜査されたり、70日以上も拘留されたりするなんて、だれも考えませんから。それは左右は関係ない問題です。
 立川の場合、地裁は「政治的ビラは商業的ビラより保護されなければならない」という表現の自由上当たり前の判断で、無罪が言い渡されました。そにもかかわらず、高裁、最高裁はこの憲法判断に全く触れることなく(この触れないこと自体、判例の常識からして異常なことです)、警察の判断を是として有罪を言い渡した。そして、いまだ、商業的ポスティングは続いている。
 これを、家宅侵入罪に名を借りた政治弾圧と考えるのは、小学生でもわかる道理だと思います。それを一部のブログは、犯罪の構成要件を満たしているからといった、木を見て森を見ない、不合理であるけれど現支配者には好都合の判断をする、法学生らしい主催者の意見を伝えていたりします。何という奴隷根性なのか、というか憲法を知らないのかしら、と学識と人間性を疑います。
 いま与党が「写真集『サンタフェ』でさえ(撮影当時18歳未満だったから)持っていたら逮捕します」と明言した児童ポルノ法案も、これが成立したら、児童ポルノ法に名を借りた政治弾圧がおこなわれることは必至だと思います。だって、すでに公安はそれに類したことを行ってきたのですから。
 政治弾圧と言えば仰々しいけれど、自衛隊イラク派兵反対といった自由な意思表明に対する弾圧のような、市民的自由の行使に対して行われる検察の介入のことです。これじゃ野党や、それを支持する有権者なんて存在しえません。
 民主主義とは、多様な意見が折り合えるような結論を出すために、議会が議論する政治です。だから結論が出されるにしても、敗者の基本的人権が極力配慮されなければならない。それは、右翼に対しても左翼に対しても同様です。だって、意見の違いがなければ民主主義とは呼べないのですから。それが危機に立っている。民主党の警察による取調過程の可視化(=ビデオ録取の義務化)は、この民主主義的手続を保障しようとするもので、それゆえに政治警察化した検察が最も嫌悪するものでもあります。
 鳩の問題に関しては、こうした与党による政治的取り上げ方に屈せず、企業献金の即時全廃と政治資金規正法の厳格化をマニフェストとして戦えばいいだけだと思います。結局、有権者は、与党政治家には絶対罪の追及が及ばない検察の姿勢を見ているわけで、これは、一言でいえば、戦後の自民党政治で作られた検察の政治警察化と、それを透明化しようとする民主党をはじめとした野党との間の戦いだからです。
 小沢秘書逮捕のとき、わが友トロスキーさんに対して切れてしまったのも、こうした民主主義的な改革が可能である状態を維持したいという僕の切実な思いにほかなりません。だって、民主主義が不可能になれば、レーニン型の革命しか残されないからです。レーニン型の革命は、ある意味有効なのですが、フランス革命におけるテルミドール(恐怖政治)や、ソ連スターリン独裁といった危険が訪れる可能性が残ると考えます。それしかなくなれば、全体主義的政治を覆す権利は、当然市民にはあるんですけどね。
 いまはまだ、僕はグラムシ型の構造改革(議会を通じた革命、改革)に希望を託したと思っているのでした。革命後も自由で民主的な手続きに基づいた民意によって支えられるような政体です。
 かつて、哲学のBBSにいたころ、ある別の友人は「日本に市民社会なんてあったの?」と僕に聞きました。たしかに、市民を自立したブルジョアジーと考えても、いまの日本に本当にいるのか、と自問せざるをえません。だってトップ企業って、みんな政商ばかりじゃないですか。それとも植民地にありがちな買弁資本家といってもいいかもしれません。あの批判の多い田中派(=経世会)の時代であったなら、まだ民族資本と呼べる連中が残っていたけれど、森派(=清和会)の時代になって、それは過去のものになった気がします。
 だからこそ、このアメリカ隷属の時代に取り残された中小企業家や農民、漁民、はぶられた労働者の力を結集することが必要だと思います。ここに、日本の民主主義の未来がかかっていると僕はマジに思っているからです。
 自民と民主の政策の違いを平たく言えば、現在の官僚優遇の天下りし放題の政治を維持したまま、税を上げてその費用を賄うという自民公明に対して、行政改革をして無駄を省いてからそののちを考えるといった民主党の政策という違いになるのだと思います。僕は民主党の主張する行革が、まず実現されるのなら、そののちに福祉社会を実現するための増税を行うのも賛成できるのです。この思いは、きっと、現在の自公政権に不信感を持っている有権者に共通するものだと思います。
 10月18日まで引き延ばせる衆院議員選挙と比べて、都議会議員選挙は目前の7月12日です。もしこれで都議会野党が勝てば、公明党は自動的に国政においても野党側に傾くはずです。だって、あれは王国だし、王様が一番気にしているのは、教団本部の監督権のある東京都だからです。国政よりもです。そういえば、革新都政時代、公明は社会・共産と組んでたんですよね。そうなれば国政の与野党逆転は不動のものとなるでしょう。そうなったら公明党は無視していい。都議会選挙の結果が重要となるゆえんです。
 都議選には、もう一つの大きな問題があります。築地移転中止と新銀行東京廃行です。
 汚染された土地への築地市場移転は、都が責任と大金(=税金)をもって汚染除去を行うと与党は言っていますが、それはあてにならない。ここには都民の生活を無視した石原都知事の土建行政しかありません。そして移転後は、この見積もりを超えた汚染除去の費用増大と、それでもなお不安視される新市場での魚の汚染問題が残ることになるだろうと、僕は思っています。
 新東京銀行は、つい昨年も、石原の罪を暴くと自分たちが不利になるという都議会与党議員の判断で、いっぱつで夕張の赤字が解消されるだけの金がつぎ込まれました。それで、問題が解決するのであればまだましだけれど、そうではなく、石原と都職員・与党都議会議員の指示を隠ぺいするために、銀行員を犠牲にして裁判を起こすといった体たらくです。だから早く清算するに越したことはないと僕は思います。
 国の批准した国際人権規約によって否定された「差別の流布を目的とした発言」を繰り返す石原は、罰則はないけれど犯罪者(批准された条約は国内法と同等に扱うといった考えに基づきます)であり、こうしたすべての諸悪を一掃する最後のチャンスが、次の都議会議員選挙であると、僕は考えます。板橋区は定員が多いので、共産党議員に投票する予定なのですが、ぜひ野党に投票を、と呼び掛けたいと思います。
 ただし、先日も学校の性教育に不当介入して賠償金を裁判所に請求された土屋某民主党都議は落としていいです。あいつは、どうしょうもない、式典に日の丸を掲げて君が代を歌えばすべて良くなるみたいな右翼ですから。起立しない高校生をビデオ撮影する人権侵害を平気で行う人権侵害者だからです。
 最後に改憲論について、ちょっと触れたいと思います。
 仕事で、憲法学者の現在の所属を調べるためネットにつなぐと、9条改憲論者のブログにつながることがあります。そんなときちょっと読んでしまったりするのですが、ファナティックなものであれば無視するのですが、一見真面目そうな人が書いていたりします。そんな人はよく本も読んでいて、いわゆる9条護憲派憲法学者の意見なども批判されていたりします。
 でも、これってしかたない気がします。だって、憲法学者はしょせん法解釈が専門で、そんな説を読んでも、軍隊=善、もっといえばスパイ防止法=善、軍法会議=善と考える人を説得することはできない気がするからです。さすがに、後2者を真顔で主張する人は少ないのですが、軍隊=善と考えると、当然、国民に対して国防の義務がついてくるわけで、本当は善ではない行動をするかもしれない軍隊(それは、政府の政策を実現するために軍は動くのであって、その政策が間違っていれば、そうなる可能性は当然あります)に我々は従わされる可能性がある。米軍のイラク侵略、光州事件などを見れば、軍が国民を守るだけの存在ではないことは明白です。それなら、僕は自衛隊のままの方がいいと思います。そして、むしろ、将来的に自衛隊国境警備隊に再編し、隊員の一般市民として当然の民主的権利を守る方がいいと思います。
 なんか改憲論者の意見を見ていると、9条を改憲すれば、自動的に自衛隊が軍隊になって自分たちを守ってくれるように見えて仕方ありません。彼らは自分が前線に立つことを全く考えていない。昔の人は、左翼は自衛隊を軽蔑している、とよく言いますが、それは本当に昔の意見です。自分の政治的利益のためなら自衛隊員の命などいくらくてれやってもいいと考える右翼の方が、むしろ現在は目立つのではないでしょうか? 自衛隊員だって僕らと同じ人間だし、それが危険にさらされなければその方がいいと考えるべきなのではないでしょうか? そのためには専守防衛が一番だと思います。だから現在の左翼は、右翼よりむしろ自衛隊員のことを考えていると考える方が正確だと思います。
 最後にもうひとこと。本当に現在の政治は、国政も都政もまるで漫画のようです。通常の、普通の人の常識が通用する理性的な政治を取り戻すことが、何より重要だと思います。そしてそのチャンスは、これから3か月とちょっと以内に、次々と訪れることに、僕は注意を喚起したいと思います。