奥田英朗『空中ブランコ』『ララピポ』

 友人から小説を2冊借りました。感想を書きます。

空中ブランコ

空中ブランコ

 『空中ブランコ』は、巨体で奇行の精神科医が、神経症にかかったさまざまな患者の問題を解決する物語です。表題作は、阿部寛、堺正人主演でTVドラマ化されていて、僕も以前見たことがあります。
 神経症とは、過剰なエネルギーが通常の出口を失って空回りするような状態ですが、この物語の主人公である精神科医は一見的外れな行動を処方しながら、最終的につじつまが合ってしまうというおもしろいつくりでした。単に症状をなくすだけでなく、その症状の出現する構造自体をも変えることをこの医師はじさないところが、おもしろく読めました。
ララピポ

ララピポ

 『ララピポ』はちょっと扱いがむずかしい作品です。僕にとって読んで気持ちよかった作品ではなかったので、「おすすめか」と問われれれば、「おすすめとは言えない」と答えざるをえません。ただ、それだけで片付けると、たんに好きか嫌いかで済んでしまうので、少し分析しながら考えてみました。
 この作品は犯罪すれすれ行動をとる登場人物たちが、都会の孤独の中で犯罪へと至る姿を、リアルに描いています。
 表紙を見るとわかるのですが、鍵穴から中をのぞく、しかもエロティックなものをのぞき見るデザインになっています。物語もそうしたものから始まり、それに興味を持って購入すると、最後に、こうして興味本位でうごめく有象無象はみんな社会の最底辺の人々であり、最底辺の人々による一大パーティだと、決めつけられてしまう。だから非常に読後感が悪いわけです。
 僕もその毒気にあてられた一人で、自分は違うと突き放せないような説得力を、奥田さん特有の説得力のある都会の人々の生活描写で目の前に展開させられるわけです。
 実際、神経症気味で、金銭的にもひっ迫し、他者との感情的交流が切断された都会の住人たちが、自らをその窮状から脱出させることは非常にむずかしい。そして、より困難な状況に自らを追い込んでしまいます。
 認知症になったとしとった親の介護の問題も出てくるし、官能小説で売れてはいるけれど、過去の純文学を志向していた自分を忘れられない作家とか、気が弱くて訪問販売をみんな買ってしまう若者とか、崩壊している家庭の父や母や娘の話も出てきます。金持ちの女性も出てくるけれど、ペットの犬の鳴き声が近隣に迷惑をかけていることに気付かないような鈍感さを持っていたりと、踏んだりけったりの物語です。この金持ちの女性も、何か描かれていない問題が背後にあるのかもしれません。
 最後に「それでもみんな生きていかなければいけない」と一応の結末を迎えるわけですが、奥田さんは努めて余計な事を言わずに、クールに描いているため、放り出され感を味わう結果になりました。
 ただ、本当の物語はこの物語が終わったところから始まるのかもしれないと、いま思いました。「それでもみんな生きていかなければいけない」。この物語の登場人物たちは、この崩壊という一大イベントを経た後に、もう一度同じことを繰り返すのかもしれないし、新しい生き方を見つけるかもしない。神のみぞ知るといったところですが。
 そんなわけで、自分の生活も、一歩間違えればこの小説の登場人物と同じように転落してしまう可能性をリアルに感じさせられたことが、自分を落ち込ませ、読んだあと最初に感じたのは「地獄めぐり」といった印象だったわけです。
 黒澤の映画に『どん底』(マキシム・ゴーリキー原作)という作品がありますが、奥田流『どん底』といった趣もあります。黒澤の映画は、どうしょうもない貧困に落とされた人々の生活が描かれていたのですが、こちらは、魂の切断された都会の人々がいかに犯罪に走るかを描いたもので、その行動力がよけい哀れさを誘います。そこがリアルで興味深く、そして悲劇的に感じられた点でした。
 僕は、こうした状況に政治は何ができるか、も考えさせられました。できることはあると思います。