9条改悪問題

いまNHK『クローズアップ現代』で、9条改憲の問題を取り上げています(今はもうこの番組は終わったけど、伊藤真小林節の議論は面白かったですね。あと、若者と話す元右翼のロックンローラーの意見とかも参考になりました)。それを見ながら思うのだけれど、9条改憲を主張する連中は、みんな絶対に前線に立たない人たちばかりじゃないか、ということです。
実は、僕は中学生の頃、右翼だったんですよね。ヨーロッパではプラハの春ハンガリー動乱でのソ連軍の介入などがあったし、そんな場合に戦うことは自然なことだと思っていました。それでも優等生的な学生生活を送っていたので、昼休みなんかに教師とよく平和的に議論したものです。教師に「戦争になったら君は戦場に行くのか、俺はやだね。」と言われれば、「自分は戦場に行く」と赤くなりながら応え、「いくら福祉があったって、攻められたらそれで終わりじゃないか!」と反論したものでした。
で、何でそれを今ひるがえしたかというと、そんな議論は不毛だろうと気づいたからでした。非武装中立は横に置いて、専守防衛でいいのではないかと考えています。
そして、できるだけ自衛隊国境警備隊に近づけるのがいいのではないかと思います。実質的な抑止力を保持したまま、国境防衛に限定した役割を与える。国連中心のPKFはもちろん禁止です。
なぜそう思うかというと、警察ですらそうなのですが、閉鎖的組織は必ず組織内で不都合な事件を隠ぺいしようとする。少し前にあった自衛隊員の不審死に対して、自衛隊の独自調査で問題なしとして、遺族がけんもほろろにあしらわれた事件などを指します。
話を僕の中学生時代に戻すと、教師との議論で、真っ赤になりながら、交わした言葉、それは9条に反対する以上当然の態度だったわけです。
でも、いま9条改憲を主張する人たちの誰が自分が戦場に行くことを予想しているのでしょうか? たぶん誰もいないと思う。日本が攻められるのなら、それは行くとか行かないという問題じゃないですよね。だって戦場は日本なのですから。
そうじゃなくて、現在の憲法で禁止されている、国際問題を海外で武力で解決するために9条改憲派は運動している。自民党改憲試案はそうした内容になっています。
そして出征する予定の日本人は、自衛隊以外に職を求められない食い詰めた若者ということです。改憲派の爺どもは絶対に戦場には行きません。だから安心して9条改憲を主張できるというわけです。格差固定を暗黙で支持する人々とも、9条改憲派は重なっています。よく考えれば、これはセットなんですね。
僕なんかからしたら「なんて恥知らずな態度だろう」と思います。だって、自分たちの若いころは平和憲法でぬくぬくと守られておきながら、歳とってから、若者を戦場に送り出す準備をするのですから。
「日本の防衛のため」という言葉にも騙されてはいけないと思います。だって、あの満州侵略、太平洋戦争ですら、日本の防衛のためという大義で闘われたのですから。そして日本は壊滅の淵にまで追い込まれた。
自民党が考える「日本の防衛」とは、アメリカにつき従って、海外で戦うことにほかなりません。ほかの可能性は、現在の国際情勢をみれば考えにくい。
そして、そのアメリカのイラク侵略が生み出したのは、外国の侵略軍と戦うイスラム国家としてのイラクの誕生でした。現在は、もうアメリカは勝てない、撤退が遅れれば遅れるほど、その傷は深くなり、より立ち直れなくなるといわれています。つまり、ベトナム戦争直後のように内向きになるアメリカの未来が高い確率で予想され、日本サイドでは、そうした国際情勢の中での将来の日本を考えるまでになっています。
こんな馬鹿げた9条改憲に賛成するのは、十数パーセントの有権者にすぎません。だから自民党公明党は、投票者総数が、有権者の中で占めるパーセンテージ(たとえば6割とか8割といった国民の総意を意味する数字)を設けない欠陥の改憲にかかわる国民投票法案を準備しようとしているわけです。十数パーセントの支持でも、自民党の意図する改憲を実現するためです。
ばらかしいと思いませんか? 仕事なら、どんなに苦しくてもとりあえず辞めることで逃げることができます。でも、軍隊なら銃殺です。自民党改憲案には、ご丁寧にも、それを可能とする軍法会議の設置も書いてあるそうです(朝日ニュースターパックインジャーナル』情報)。そうですよね。普通裁判所で争ったら、逃げた方が勝っちゃうかもしれないのですから。
ここで、小説『バトルロワイヤル』のリアルな予言が生きてくるわけです。「本当に殺すべきなのは敵兵ではなく、殺し合いをさせる上官である」ということ。そんなわけで、僕は日本国憲法9条が国民を守る上で、これまでに果たしてきた役割の大きさに、がくぜんとします。
中学から高校を経て大学生となったとき、自分が左翼になったのは、こうした経緯でした。
戦争戦争と騒ぐのは、本当は、すごく情緒的なものです(裏であおっている連中は、もう少し兵器産業の利益や、ナショナリズムがどれだけ選挙運動に利用できるかなどを考えているでしょう。そしてそれが企業経営者であれば、もっと冷酷に労働者を低い賃金で働かせること、企業への忠誠心を生み出せることなどを冷静に考えているかもしれません。アメリカにしてみれば、自国の兵士が死ぬ危険性を減らせると冷静に考えているでしょう。だって、そのために現実に、61年前、原爆・水爆を日本に落としたのですから)。
冷静に国際情勢を見れば、日本のあるべき防衛の姿は明白です。僕はそうした分析や総合安保という考えにより興味を引かれるようになったのが軍縮派に転じた理由です。
それに僕自身そんなに軍隊を信頼していないっていうのもあります。無条件の信頼は、政府に対しても、軍隊に対しても危険なものだと思った方が、よりリアルでしょう。その方が相手のためにもなるのです。だって批判しないで勝手に相手がいいことしてくれるなんて、考える方がおかしいですから。
もちろん、僕は「国=政府」と考えているので、よくいる右翼の人のように「政府は裏切るけど、国は裏切らない」みたいな考えはしません。