気が狂った安倍晋三

今朝(9月12日)の朝日新聞朝刊に安倍の発言が載っていた。曰く。「日中戦争の原因を軍国主義指導者にあると考え、一般の日本人も中国人も同じ被害者と考えるのは誤りである」。であるのなら安部は何が真の原因と考えるのだろうか? 欧米が植民地侵略をしていたのだから、日本もそれをして当然とでも考えているのだろうか? そして、日米戦争を欧米列強による経済封鎖が原因で日本は悪くないと言うのだろうか? だとしたら、こんな持って回った言い方をせず、「ヤルタ=ポツダム体制打破、再軍備実現が自分の政権公約の根幹である」と言うべきだろう(ヤルタ=ポツダム体制とは、第二次世界大戦末期のヤルタ宣言、ポツダム宣言が目指した世界体制を指す)。これは、僕が学生のころ反憲学連という右翼団体がよく貼っていたポスターの主張だ。
中国政府は日中国交回復の際、「日本軍国主義こそ日中人民の共同の敵」として、日本軍によって甚大なる被害を受けた中国人民を説得した。つまり軍国主義者によって誤った道を取らされた一般日本人は悪くないという説明だ。先日見た小林正樹東京裁判』でも、NHK『その時歴史が動いた』の吉田茂の講和外交でも、こうした考えに立って、日本は寛大な講和条件を他国、特にアジア諸国に飲ませることに成功した。そしてそのアジア諸国の講和の際の信頼に答える形で、日本は自国の復興後、経済援助をし、アジア諸国の復興を助けた。
そして今、安倍晋三はこうした過去のアジア諸国の信頼をすべて踏みにじる形で、自分の祖父である岸信介A級戦犯を擁護しようとする。「ヤルタ=ポツダム体制打倒」と明確に言わないのは、岸が頼みにしたように、安倍も米国の支持を自分の政権維持の頼みにしているからにすぎない。そして、そのアメリカはブッシュ政権の下、国際法を無視して、まさに、「ヤルタ=ポツダム体制打倒」的な行動をしている。その意味で、もし安倍のもとで日本がアメリカの軍門にくだり、アメリカの代わりに自衛隊が世界で戦うとしたら、安倍の目的もいわずもがなに実現することになる目論見である。
こんな安倍を選挙の顔としてかつごうとする自民党員は、実はとんでもないものを背負い込む羽目になるだろう。そして、日本に住むすべての人間もである。

小泉はもう死に体だから評論する必要はないのだが、終わりを前に、ひとまず総括しておきたい。
彼は確かに旧来の自民党の政策決定過程を変えることに成功した。諮問機関を政策発信源として、他の自民党議員を抑えることに成功した。そして、それが評価されてもいる。しかし本当に大切なのは、そのように権力を掌握した小泉が目指した政策の内容であるはずだ。彼はさまざまな政策を行ったが、すべて国民の富を金融機関、大企業に移転することによって経済危機、金融危機を乗り切ったに過ぎない。一般国民の負担は増え、権利は侵害され続けた。それを如実にあらわすのは、決して減少しない自殺者数である。そして小泉自身、香田さんの命を、自分の政権維持に不可欠なアメリカの支持を取り付けるために奪った。自衛隊イラクから撤退する約束さえすれば救えた命であったにもかかわらずである。自衛隊イラク派遣がもし、本当に人道援助なら、犯罪者につかまった人を助けない理由にはならないだろう。だから小泉政権は「人殺し政権」というべきだと思う。そしてそれを引き継ぐ安倍政権は、それ以上の悪い政権になることは、上に書いたとおり必然だろう。
小泉の功績として拉致被害者5人の救出があげられる。しかし、これは日本側当事者さえ気づいていなかったペテン的外交の成果である。援助を約束しておいて、5人の帰国後、高まった拉致問題への憤りによって、外交交渉が停滞してしまった。それゆえ、小泉の意図に反する結果となった。だから、小泉の意図すら上回る情勢の展開によって、金正日もだまされたのである。だますなら、だます側もその意図を知らないことが一番効果的だからだ。
そして、このペテン外交は2度は通じない。ペテンだからだ。
北朝鮮問題は、統一ドイツ誕生の場面を思い出せば理解しやすい。金正日政権の崩壊は時間の問題である。だとすれば、それをどのように早め、軟着陸させるかが問われなければならない。そのために必要なのは、中国にゴルバチョフを生み、韓国による北朝鮮の吸収合併を可能とする国際環境作りだろう。中国にゴルバチョフ的役割をする政治家を生み出すためには、日本と中国の信頼関係が絶対に必要である。そして、日本と韓国の協力による脱北者の積極的受け入れも必要である。つまり、これらの政策のまったく反対を行おうとしているが安倍晋三である。だから、安倍は拉致被害者の会の味方ではない。拉致被害者の会の目的に最も反する行動をとるのが安倍の政策と言うべきだろう。
その意味で、谷垣しか、まともな自民党総裁候補者はいないと考えられる。これも、消去法による消極的理由に過ぎないのだが。
これと比較すると、民主党の小沢ビジョンははるかにまっとうなのだ。

以上の意味で、今後の安倍政権を見るうえで、今日読んだ『世界』10月号の山口二郎の以下の指摘は示唆的である(71頁)。

 自民党は、小泉という異質な政治家を消費することで、とりあえず五年間政権の地位を守った。衆議院で圧倒的多数を持ち、政権基盤は磐石に見える。しかし、小泉は自民党の再生をもたらしたわけではない。小泉というシンボル、雰囲気を吸引することでつかの間、自民党は元気になるという錯覚を得た。その意味では、小泉は薬物のようなものである。この薬物の効果が切れたとき、自民党は禁断症状を起こすに違いない。安倍に父親殺しができないならば、より過激な言説をはくことによる人気取りというもっとも安易で、日本にとってはもっとも有害なやり方を取るか、中身のあることは一切語らず、官僚依存で政策の弥縫を続けるか、どちらかしかないであろう。まさに日本の民主政治の正念場である。