先日、都教委の君が代・日の丸指導について疑問点を書いたら、「職務なのだからと教委に従うのは当然」というコメントがついた。思わずあきれてしまったのだが、ここではなぜ僕があきれたか、改めてわかりやすく説明する必要があるのではないかと思いなおした。再度記述したい。

■事実関係
①都教委はその教育職員に、日の丸・君が代の趣旨を説明する業務命令を出した。②卒業式などの行事において、生徒に起立、斉唱などの行為をさせるようにうながすという業務命令を教育職員に出した。③生徒がそうした行動をしない場合、職員の教育の不徹底を理由に、都教委は担当教職員を現在処罰している。

■法的側面からの検討
これはおかしいのではないか。賛成論者は業務命令だから仕方ないという。しかし、日の丸・君が代法案成立時の政府の法案説明では「この法律は個人の良心に立ち入り強制するものではない」というものであった。であるならば、①においてこの政府の説明を踏まえて職員が正しく日の丸・君が代を教える限り、生徒が起立したり斉唱したりしない結果になっても、全く問題ないはずである。であるならば、③の都教委による、生徒の起立、斉唱といった成果がなければ、担当教職員を罰するという行為は理屈が通らないことになる。
もちろんこれは君が代・日の丸大好き派の人にはいやな結論だろう。でも、もし都教委が意図する成果が達成されないからといって職員を懲戒するとしたら、政府説明の趣旨からして違法行為となる。
これは単純な論理的な問題である。
もちろん、教職員にも起立や斉唱を強制できるものではない。それは政府の法案趣旨説明からして明らかである。
こうした視点は、NHKクローズアップ現代』において、キャスターが政府見解に沿って都教委を、映像が通じる状態で追求した際に、都教委委員が返答に困り、番組終了後、文章でNHKに抗議するという事件さえ引き起こした。
つまり、たとえ、日の丸・君が代大好き派であっても、このような法におけるロジックを無視していいことにはならないだろうというこである。

■民主制的側面からの検討
たとえば、彼らの嫌いな共産主義諸国の国旗、国歌を強制されたら、日の丸、君が代大好き派はどう反応するだろうか? もちろん反発するだろう。つまり、日本には、僕も含めて、日の丸・君が代を、大好き派にとっての共産主義諸国の旗同様に嫌悪する人たちもいるという事実である。また、そうでなくても、僕のように、強制されるなら絶対に起立して斉唱はしないと考える人もいる。だから、こうした見解が分かれる問題に強制はそぐわないと考えるべきである。
それは、先に述べた法のロジック以外にも、民主主義の基本として、多様な意見が共存することを可能とすることを第一に考えるという原則があるからだ。
自分たちだけを正統として、他者を排除する思想は、民主主義ではなくファシズムの思想に近いといえるだろう。
そして付言すれば、都教委の意図するように君が代や日の丸を全員が支持しなくても、「日本という国のかたち」が崩れる心配はない。そこには、基本的人権を重視するという正しい日本の姿、大好き派が嫌う共産圏とは全く違う美しい姿があるからだ。