壊れていた会社のパソコンからデータを救い出せた。一安心といったところだ。
 最近思うのは、「権力者は特攻隊がお好き」ということ。
 石原東京都知事の、空襲で死んだ人間より、特攻攻撃で死んだ兵士の方が尊いとか、小泉首相の「特攻隊兵士の意気込みで政策を行う」とか、こいつら何を考えているのかといった、無反省振りである。
 集団的安全保障を可能にする改憲とか、民主党の国連主導のものとで海外での自衛隊の戦闘を可能とする法案提出に熱心な議員を見ると、本当に恥知らずだと思う。
 なぜなら、こう主張する彼ら国会議員たちは、自分たちが若いうちは憲法9条と前文によってヌクヌクと自らの命を守られてながら、自分たちが絶対に戦場に行かない年齢、立場になったとたんに、「政策としての戦争もあり」といったことを言い出しているからだ。
 そりゃ自分が戦争に行く可能性がなければ、好きなことを言えるだろう。でも、それを普通の人は、恥知らずというのではないだろうか? 問題なのは、彼らだけでなく、そうした主張によく考えもせず同調してしまう人々がいるということだろう。戦争は特攻攻撃と違って、必ず攻撃する当事者が死ぬとは限らない。しかし、攻撃対象にされた人は、その攻撃が成功すれば確実に死ぬし、無実の市民でも巻き込まれれば殺されることは、米軍のイラン侵略戦争を見れば明らかだろう。そして、攻撃側も、これは確率の問題というだけで必ず死傷者は出る。だから戦争を政策の一つとせず、対話によって問題を解決しようとする9条の精神が重要になる。
 日本領土が戦場になるのなら、それは僕らとも無関係ではない。しかし、国外での戦争を肯定し、それに自衛隊員を送り出すとしたら、それは自衛隊員だけの問題ではなく、必ず、権力者、金持ち以外の一般市民の問題になる。つまり、僕らも戦場で死ぬことが義務付けられる結果になるのは、正常な判断力を持つ人なら、たやすく想像できる結果なのである。破廉恥は慎むべきだろう。