ゴールデンウイークの旅行に向けた旅行ガイドブックをほぼ読み終えたので、今は雑誌『世界』3月号を読んでいる。今月号の特集は「現代日本の“気分”−どこに向かうのか」という政治文化領域のもので、「気分」と書くと言葉としては軽く聞こえるが、じつはこうした文化的背景が有権者の投票行動に反映し、ひいては議会における多数派を形成し、日本の法体系を時に急激に変えるものであるだけに、非常に重要なテーマといえるだろう。そして、読者にとっては、漠然とした「右っぽい」という不安を、言葉として具体的に対象化することによって得られる安心感もあるし、対処の方策を立てるといった対応も可能となる。
 この特集中の一論文「開花する「Jナショナリズム」『嫌韓流』というテクストが映し出すもの」(中西新太郎著)で「嫌韓厨」という言葉が出てきた。この2チャンネル用語は、一般言語に訳せば「中学生レベルの知的道徳的判断力しかない韓国を嫌悪する人々」という意味だから、「厨房(中学生坊主)帰れ!」という罵声だけで片付いてしまいそうな問題のように、最初は思えた。
 でも、じつはそれだけですまないという理由は、『嫌韓流』という本が、内容としては、『東スポ』といった実際にはありえない記事を掲載したり、『ムー』のようにエセ科学に立脚してありえない記事を面白おかしく書いたりするトンデモ本の類であるにもかかわらず、その内容を丸ごと信じてしまう若者を急増させているといった事態があるからだと思う。
 たとえば、漫画家小林よしのりの個人的意見をゴーマンに主張するといったコンセプトである『ゴーマニズム宣言』が、読者に読まれるうちに、歴史学者などの意見を完全に無視するかたちで一人歩きし、ひいては、歴史教科書を作る集まりに参加し、小泉といった極右派政権によって、文部省認定のお墨付きをもらうといった事態は、実際にこれまでもあったことである。
 この特集によると、『嫌韓流』は小林の本を一歩進めて、あたかも好き嫌いといった感情的な問題としてではなく、(歴史)科学的な裏づけがあるかのように韓国を嫌悪する理論を展開している点に新しい特徴があるということだ。
 そしてその背景には、日本産のマンガやアニメーションが世界で大量に受け入れられているといった「文化的優位」意識の共有があるという。それをもって「クール・ジャパン」と自称しているらしいのだが、これは一般的に言われる「頭がいい」という意味ではなく、彼らが自称しているのは、「冷たい、冷酷な」という意味の方のクールじゃないかと思った。
 ま、こんな本で喜んでクール・ジャパンなどとおべんちゃらを言われて喜ぶ読者は、むしろ「低脳」というほうがふさわしいと僕は思う。なぜかというと、これまで海外で受け入れられた日本アニメ、マンガがテーマにしていた「正義」の概念が、『嫌韓流』にまつわる人々には、すっぽり抜け落ちているように思えるからだ。
 仲間を大切にする。国籍や人種が違っても、常に正しい人々のために尽くす、どちらが正しいかわからないときは、たとえ孤独になっても、それを探し続ける。こういった理想こそ日本アニメやマンガのヒーロー、ヒロイン像だったはずである。
 そうした日本アニメ、マンガがこれまでテーマにしてきた他者に対する対話と理解、そして感情移入を徹底的に排除することによって、科学を装った偽の歴史によって未熟な自己の主張を正当化するといった態度は、読者の側から見れば、一見サブカルチャーをバックボーンとしながら、その精神を全く理解しない極めて稚拙かつ誤ったなものだし、一方提供者側から見れば、非常に政治的かつに巧妙で悪質な姿というべきであろう。
 情報化社会においては、真贋を見極める目こそ必要とされるといういい例といえるだろうと思う。
 一見政府批判をしているように見えて、その実、小泉極右政権や軍事産業の政策的お先棒担ぎ、露払いをしている『SAPIO』や『正論』『諸君!』などと比べて、アカデミズムやリベラリズムに立脚する『世界』ははるかにとんがった雑誌だと、現状の日本では認めざるをえない、といった感じである。