今日の朝日新聞朝刊

 昼休みはいつも、1人で食事をしながらその日の朝日新聞朝刊を読んでいる。今日の朝日朝刊には3つの興味深い記事があった。
 ひとつめは、第一面のトップ記事、「在外選挙権 制限は違憲」「最高裁判決 選挙区投票認める 慰謝料国に命令 立法の怠慢指摘」というものだった。慰謝料が5千円というのは、裁判ひっようも出ないのではと思わせるのだが、第一審、第二審で慰謝料が認められなかったのに比べれば前進といえるだろう。一番興味深かったのは、在外投票の法を準備しなかった内閣の不作為責任(必要なことをしない責任)を認めて違憲判決を出した点だった。この判例は、今後の最高裁違憲審査において、重要な意味を持つのじゃないかと思った。
 そして、担当した最高裁判事の裏側の話も面白かった。判決自体は至極まともなのだが、最近はまともな判決すら出ない状態が続いていて、僕は遊猟していたのだが、判事は、三権分立の意味をしっかり受け止めて、それに対する答えとしてこの判決を出した、ということである。
 第4権力たるマスメディアが、今回の衆議院議員選挙において層倒れ状態、翼賛状態に陥ったのと対比的に、最高裁は最後に適切な判断を下した。少数者の人権を守るという、当然の民主的機能を果たしたように思え、評価したい。
 残りの2つは、選挙関連だが、そのひとつめは15面の「改革を”お守り”に大勝利」「「時流自論」筆者・ウォルフレン氏の見た総選挙」という特集記事だった。「危機はらむ郵政「民営化」」「民主主義の弱まりの兆候」「保身に走る官僚許すな」という3つの小見出しがついたコラムである。
 今回の選挙について、他の先進国との比較を織り交ぜながら、冷静にその特異性を分析している。好感を持てるのは、その冷静さもさることながら、分析の深さが特筆できるだろう。
 僕の言葉で内容を要約すれば、今回の選挙では公務員に対する庶民の怒りを小泉は「改革」という言葉で利用した。しかし、過去において一番官僚をも守ってきたのも小泉だった。それゆえ、小泉の残り1年間は、自分の見方たる国家官僚を天下りの容認や、権限の確保といった方向で守りつつ、官僚の利益に反しない自己の政策の実現を目指すものとなる。
 しかし本来国のあるべき姿とは、国民に責任を持つ政治家が官僚を指導して政策を実現するというものだ。そして、その政治の内容について国民に信を問う。それゆえ国民も、政治に対して、注意深く監視する必要がある。それが今出来るのは、野党だけである。
 3つめの面白かった記事は、天野さんの「CM天気予報」。彼はヒットラーの『わが闘争』から、文字の文化は終わった。これからは言葉のみが力を持つという内容を紹介していた。小泉がこの選挙で野党に勝っていたのは、この自分の言葉で語るという点にあると、分析している。そのほかの政党は、いいこといっても、書かれた文章を暗記しているようで、有権者に届きにくいというものだ。小泉は「破壊」とは言わず、「ぶっ壊す」と言う。これが有権者に届いたのが、今回の結果というわけだ。
 有権者に届けば、その内容は嘘でもかまわない。僕に言わせれば、郵政民営化法案によって、国民の財産である340兆円が、むざむざどぶに捨てられたと思う。むしろ、先のウォルフレン氏によれば、財政投融資の財源を失った日本は、建設業の生き残りが困難になり、経済危機に陥る可能性さえあるという意見もある。
 そして、もう一つ僕が、いろいろ考えて、得た結論は、小泉は郵政民営化を主張することによって、公務員は仕事も楽そうだし、会社がつぶれることもない。給料もたくさんもらっていそうだ。通勤地獄もないんじゃないか?といった、民間で働く労働者が、普段恥ずかしくて言えない言葉を表出する、大義名分を与えたことに最大の特徴があるように思える。もうひとつ、俺達都会人の暮らしが苦しいいのは、政府が田舎に無駄な税金を使っているからだ、それを俺達に回せば、俺達はもっと楽に暮らせるはず。俺達が楽に暮らせないのなら、せめて、公務員や田舎人をもっと苦しめてやれという、それこそ理屈にならない負の感情を、表出するのに手を貸した。それが、郵政民営課題賛成の勢いを生み出した。
 「弱い者が弱い者を叩く」Rが僕に言った言葉だが、まさに今回の選挙を後味悪くさせた最大の要因が、これだった。長年かけて積み上げたみんなの富を破壊するのは、爽快感のあるものだ。ドミノでもトランプの城でもいい。しかし、ゲームと違って、現実の政治では、その爽快感の去った後、われわれは、何も残らない廃墟の中に置かれるのだ。今回の選挙結果がもたらすものとは、そういったものだと思う。
 小泉が、本当に国民のために何かするのであれば、それもいいだろう。しかし、それがすべて嘘だとしたら、僕らはどうしたたらいいのだろうか? そのときはまた、より弱い者を叩いて憂さ晴らしをするのだろうか?
 これは理想論ではなくて、強い者は弱い者を守る。弱い者はお互いに助け合う。こうした基本方針がなければ、世の中は、本当にひどい世界になる。こうした原則を守れず、自分だけ助かればいいと思っているのが、今回小泉の周りに集まった人々といえるだろう。
 75年から60年前に、軍部に群れ集った連中と同じ人々だ。