日本の未来:エマニュエル・トッド『帝国以後』に寄せて

■日中経済蜜月の中で踊るピエロ=差別主義者小泉・石原

 エマニュエル・トッドの『帝国以後−アメリカ・システムの崩壊』を先日読み終えて、その解説として適当な『環−歴史・環境・文明』(藤原書店、2004年夏号)を今読んでいるのだが、その中に興味深い一文があった。日中の経済関係は最大の蜜月を迎えており、中台関係も同様である。その状況を踏まえれば、中台紛争は起き得ないこと。そして、以前新聞で読んだことがあるのだが、資本家を迎え入れた中国共産党は、権威主義的なかつてのスターリニスト政党ではなく、むしろ、日本の商工会議所みたいなものになりつつあるという話である。

 民主的に選ばれた政党ではなく、商工会議所であることはそれ自体問題だが、かつての姿よりもはるかに、害が少ないものになりつつあることは事実だろう。

 そしてで、ある。そうした状況「だからこそ」、小泉は、大手を振って靖国参拝ができる。石原東京都都知事は平気で国連人権規約Bに違反する民族差別的発言を繰り返すことができる。いくら政治・外交的にバカなことをしても、中国政府による穏健な非難しか引き起こさないからである。

 しかし、こうした状況は何か似ているものがないだろうか。そう、中小企業の差別的アホ経営者とその従業員の関係である。アホな経営者がアホな差別発言をしても、従業員は給料をもらっているから、文句も言わず愛想笑いをする。中国は主権国家だから、主張すべきところは主張するだろう。しかし、その反撃は、はるかに小さい。

 しかし、こんな経営者はいずれ従業員から愛想をつかされるのが落ちだ。大企業の経営者であれば社会的責任もあるから、こうした差別発言は穏当に回避するだろう。それを回避しないのが中小企業の経営者たるゆえんである。そして、そうした安全圏の中で、自らのマッチョ性を誇示しようとする。何たる小児病であろうか。

 石原が最も恐れるのは、有権者の離反である。だからこそ、記者会見で「何が悪い!」と大見得を切った例の三国人発言ですら、影で、民主党都議団に対して、「在日中国人、韓国人に不愉快な感情を与えたとしたら遺憾である」旨の詫び状を提出していた。彼のマッチョさとはこうした道化のたぐいでしかない。

 ま、すぐに過去のものとなる、小泉石原はいいとして、問題なのは、こうした有権者の負の感情に訴える石原の差別発言や、小泉の靖国神社参拝が、中国や韓国に与える影響である。いまはいいとして、このまま続けば、歴史を省みない、自ら心地いいことしか聞けない、愚かな日本人として、現在の経済交流がもたらすプラスを、中国民族主義の高揚というマイナスで打ち消しかねないという懸念である。そして、いつまでも、韓国、中国は日本を追いかける立場であるはずもない。必ず肩を並べる日が来る。その時中国共産党はなくなっているだろうけれど、中国人民は依然として存在するはずだ。その時の日本に対する中国人民の態度を私は懸念する。

 文頭にも書いたように、現在の日本政府にはアメリカしか友人がいない。アジア、とくに東アジアの中で自ら外交的孤立を選んでいるのだ。

 そして、新しいパートナーを持てないあげくが、ブッシュに入れ込んで、泥沼のイラク戦争に引きずり込まれるという有様なのである。


■新しいパートナーとは

 ロシアもしくはヨーロッパを選ぶべきだ。ロシアなら、北方領土問題が解決するかもしれない。もっとも、EU的な将来を考えれば、国境問題はそんなに重要ではないのだが、小笠原や沖縄は日米安保の中で返還されたことも事実だ。ヨーロッパはアメリカよりまともだ。

 韓国でもいいし、台湾でもいいし、ASEANでもいい。ともかく、アメリカより理性的で、対等の関係を持てる国を選ぶべきである。核を持っているという意味では、インドやパキスタンでもいいかもしれない。

 アジアをパートナーとして選ぶさいには、第二次世界大戦での負の遺産を、できるだけ早く清算する必要がある。つまり、ドイツがすでに行っているような個人に対する戦後賠償を行うことである。

 日本は未来に対する外交オプションをできるだけ早くたくさん整えるべきだ。そのために必要なのが、犠牲者が生存するうちに行うべきこうした戦後賠償だと思う。

 選択肢ともいえない、アメリカだけという一肢選択は、日本の将来の外交の幅を狭め、日本自体の生存を危うくする、本当に真剣に考えなければならない重大問題であると考える。

 日本製品の一大消費国であるアメリカを失っても、ほかに市場はたくさんあるし、ドル機軸を維持する必要がなくなるだけ、日本国民に還元される富は、多大なものとなると考えるのだがいかがなものだろうか?

核兵器オプションについて

 トッドの『帝国以後』を語ると、必ずこの問題に言及する必要があるようだが、日本の核武装はそのメリットより、他国の核武装を助長するデメリットのほうが大きいと思う。核戦争が、相手の所在のわからないテロ以外に、現実味がない現在、こんなことを心配する必要はないように思う。むしろ、オーストリアみたいに永世中立を唱えたほうが、世界に対して具体的なアピールができるだろう。

 そして、この点でより具体的に踏み込んで私が主張したのは、自衛隊国境警備隊化である。これで9条問題は一気に片がつく。海外派兵もなしである。だって、軍隊じゃないんだから当たり前だ。

 逆に、9条改憲論は、一部政治家とそのスポンサーの軍需産業しか喜ばないオプションだと思う。結局戦場に立たされるのは、アメリカ同様、社会から差別され、職業として軍隊しか選べない貧しい民衆である。本当に戦うのなら、最小限必要な場に限るべきである。国家の実権を握る政治家により難しい課題を与え、それをクリアさせるための憲法なのに、彼らのこれ以上自由に安易な方向に走らせてやる必要は、全くない、というべきだろう。それでなくても、奴らは好きにやっているのだから