ゲシュタポのようなアメリカ、特高のような日本

「われわれが力を行使しなければならないのは、われわれがまさにアメリカだからだ! われわれは不可欠な国家なのだ。われわれは頭を高く掲げており、よりはるかな未来を見渡せるのだ」ロバート・ケーガンNBC, "Today" show,
1998年2月19日より(『来るべき<民主主義>−反グローバリズムの政治哲学』藤原書店・2003)69頁、増田和夫「正義のポリティックス−帝国・全体主義脱構築」からの孫引

 イラクにおける米軍の捕虜虐待ニュースが伝えられてから、ブッシュが謝ったり、ラムズフェルド国防長官の辞任が米議会から要求されたりと、いろいろありました。しかし、ブッシュに謝る権利があるのでしょうか? なぜなら、ブッシュは、ジュネーブ条約といった国際法や、米国国内法に基づかないアフガニスタンゲリラの収監を、現在もキューバの米軍基地で続けているのですから。国際法にも国内法にも基づかない収監が何を意味するのかは明白です。つまり、収監当局が必要と考えれば、拷問も含めたあらゆる尋問手段が可能となる。イラクで直接敵と接する米兵が、親分であるブッシュの範に従おうとするのは当然のなりゆきといわねばなりません。
 ここで連想するのは、第二次世界大戦時に、自国の軍に対して「死して虜囚の辱めを受けず」と教育し、捕虜となった敵兵に対してあらゆるジュネーブ条約違反の虐待を行った旧日本軍の行動です。勝っているうちはそれでもいいのかもしれませんが、いったん負けたらその結果生じることは非常に悲惨なものとなります。同じことを敵にされる可能性があるのですから。あのアメリカの陰惨な東京大空襲は、かつて日本軍が中国の重慶で行ったことでもあったわけです。そしてその事態は、今、アメリカ人自身が経験しつつあることになるのでしょう。
 第二次世界大戦時に、バスに乗り遅れるなとばかりに当時の軍事大国ナチスドイツに付き従い、日独伊同盟を選択した日本の姿も、今のアメリカ追従の小泉内閣の姿に重なって見えます。
 冒頭で引用したローバート・ケーガンはブッシュ政権を陰で支えるネオコンの理論家だそうです。この発言は、「アメリカ」を「ナチスドイツ」に置き換えると非常によく理解できます。アメリカ人の命は、他の世界の人間の命より、何万倍も尊い。なぜなら、それはアメリカ人の命だからだ、といった理屈にならない理屈です。「特攻攻撃で死んだ兵士の命は、空襲で死んだ同じ日本人の市民の命より尊い」とかつて発言した石原慎太郎東京都知事なら、あるいは理解できる考え方かもしれません。野坂昭如は「こうした考えは絶対に支持できない」とかつて発言したといいます。
 改憲論者ならここで、憲法を改正して日本が独自の軍を持てば、アメリカ追従の姿勢を示す必要はなくなる、と言うかもしれません。しかし、本当にそうでしょうか? 小泉内閣やその流れを汲む自民党内閣のもとで自衛隊もしくは日本軍が戦争することが可能となったとします。そのとき日本はアメリカの手先として戦争をすることはないのでしょうか? この可能性は、今の英国軍、オーストラリア軍のやる気のない占領行為を日本軍がする以上に、高いように思えます。

 そして、5月7日の朝刊には、反戦ビラを自衛隊員宿舎にポスティングした「立川自衛隊監視テント村」の平和活動家の公判開始記事が掲載されていました。ここでも民衆理性を働かせるべきでしょう。ピザ屋やそのほかのポスティングがかつて一度も逮捕されず、なぜ彼らが逮捕されるのか? その理由は明白です。彼らが自衛隊イラク派遣に反対していたからです。賛成のビラなら絶対に逮捕されなかったでしょう。そして、それが本当の理由だとしたら、憲法の保障する「法の下の平等」と「表現の自由」に対する重大な侵犯です。逮捕状や家宅捜査令状を出した裁判所の神経もさることながら、ここで、有罪を宣告する裁判官がいるとしたら、日本の司法は、かつての特高警察なみになった言わざるをえないでしょう。
 国際協力という名でアメリカを支持する小泉。でもこのアメリカは、アメリカ国内にイラク戦争反対派がいるのだから、本当はブッシュ政権への協力に他なりません。ブッシュの毒にやられた小泉は、日本の司法を特高警察時代に逆戻りさせようとしているように思えます。これは、左翼だけの問題ではないと思うのですが、いかがでしょうか。

 そういえば、先日、うそつきのどこかの国の官房長官が辞任しました。それを報道する夕刊を妻に見せると、「そんなことより、小泉辞めろ」と言いました。さもありなんって感じです。