自己責任について+「テロに屈するな」理論の誤り

 なんか新聞でも、ホームページでも、自己責任という言葉が頻繁に使われているけれども、イラク渡航者の自己責任を問うのなら、この戦争を「イラク大量破壊兵器を隠している」「見つからないのは隠している証拠だ」と言って始めたブッシュとブレアの自己責任はどうなのでしょうか? 彼らは責任を取ったのでしょうか? イラク渡航する日本人の自己責任を問い正す与野党議員がいるそうだけれども、ブッシュの開戦理由を支持して、世界を敵に回して開戦した小泉の自己責任はどうなるのだろうか? 小泉は国会でこう発言していました。「フセインが見つからないからといって、ブセインがいないことにはならない。大量破壊兵器が見つからないからといって、大量破壊兵器がないことにはならない。」この理屈だと、日本にも、いちゃもんさえつければ、大量破壊兵器があることになります。こんな、酔っ払いみたいな答弁をしている小泉の自己責任能力こそ問われなければならないと思います。そして小泉を選挙目当てで支持している与党議員の責任も問われるのだと思います。
 3人の人質が帰国すれば、彼らをめぐって、またもや陰湿なネガティブキャンペーンが繰り返されるでしょう。週刊新潮は露骨に、すでに始めていました。彼ら人質を攻撃していれば、少なくとも、自衛隊の派遣を容認し、アメリカの植民地支配化を目論む占領統治に対して日本政府が協力していること、そしてそのおこぼれをもらおうとしていることを支持している自分自身の「自己責任」の呵責からは逃れられるのかもしれません。でも、そんなんで本当にいいのでしょうか?
 昔ダウンタウンが、若手芸人をいじめることを新しい芸風にして、視聴者の支持が得られると考えた時期がありました。でも、結果として、それは多くの人が被害者として経験している学生時代や職場でのいじめの記憶を呼び覚ますだけで、結局、大半の視聴者には支持されなかったように思います。
 今僕らは、いじめられている人々に共感を示すことによって、自分自身がいじめられることを恐れて、黙っていていいのだろうか、と思います。
 自己責任ついでに言えば、国民の大半の反対を押し切ってアメリカの侵略戦争を支持し、今また自衛隊を使って、アメリカ軍の兵士を輸送している対米協力の小泉首相の自己責任を追及して、彼にこれまでにかかった費用の全額を支払ってもらうのが一番いいような気がします。あるいは、自衛隊派遣を支持した国会議員で分担してもいいでしょう。なにやら、人質3人に、救出にかかった費用を出させるべきだみたいな発言もあるようだけれど、この費用も、こうしたイラク国民との敵対状況を作り出した政府と国会議員が支払うべきものです。それこそ自己責任というべきだろうと思います。
 局外中立という国際社会でのメリットを捨て、自衛隊の自由に使える軍隊化を目指す自己の政策と合致したがゆえに、自衛隊を派遣した小泉首相の口車に、愚かしくも乗る必要は、まったくないと言い切っていいと、僕は思っています。
 自己責任について書いたけれど、人が死んだら、その責任は誰が取るのでしょうか? そしてそれは取れるものなのだろうか? 死はその人の未来をすべて奪う行為です。小泉にもその責任は取れないのではないかと思います。
 あと、今回の戦争は、あのイラククウェートを侵略した湾岸戦争とは明らかに違うのですから、むしろアメリカがイラクを占領したケースなのだから、もし政府が、金だけしか出せなかったとあせってそれを挽回しようとするのなら、アメリカを攻撃すべきでしょう。そして、それが平和憲法でできないのなら、アメリカの占領行為を、かつて僕らがイラクにしたように、非難すべきだと思います。アメリカに対する経済制裁も、かつてイラクにしていたように、OKだと思います。
 こんなことは現実にはできないとみんな思うかもしれませんが、それなら、少なくとも、悪に加担しないことは可能だと思います。ヤクザが通行人に暴力を振るっているのを見た人は、止めに入れないにしても、警察に電話したり、少なくともヤクザに加勢したりはしないものです。電話すべき警察がないこの国際社会の現状では、少なくともアメリカに加勢することだけはやめた方がいいと思います。


 最後に、「テロに屈するな」という理屈について再び書きます。アメリカのイラク占領は、国家による、犯罪的な「テロ」ではなかったのか。だとしたら「テロリスト」を非難して、アメリカを非難しないのは、ひどく公平性に欠ける姿勢なのではないかということです。
 9.11はたしかに悲劇でした。しかし、その数十年前の同じ日、そのアメリカのCIAがチリの民主的政権を軍事クーデターで転覆し、罪のない人々を3万人くらい(ちょっと記憶があいまいです)虐殺させていたことも忘れるべきではないでしょう。9.11の記念映画で参加した監督の1人ケン・ローチが描いていました。アルカイダフセインも、育てたのはアメリカでした。日本は、こうした暴力の連鎖から逃れるために憲法9条の平和主義を、合理的選択として選んできたことを忘れるべきではないと思います。