最悪のシナリオ

 以下は、昨年の衆院議員選挙の前に書いた空想政治小説です。こうならなければいいなと思って書いたのですが、事態はこの方向で動いているようです。
 この選挙の焦点は、僕はイラク派兵問題だと思っていたのですが、万が一の可能性として、平和に米英両軍の占領統治が成功する可能性も、100万分の1%くらいはあったので、焦点にならなかった。それ以外の争点でも、民主党のマニュフェストのほうが、自民党のマニュフェストより各段に優れていたと僕は思っていたのですが、そうした意見も有権者には届かなかったようです。あの選挙で民主党が勝っていれば、少なくとも現在のような、人質の生命を心配する事態は来なかったことは事実なのです。
 それと、僕にはこの未来は、身の毛もよだつ社会なのだけれど、『SAPIO』や『週刊新潮』『正論』『読売新聞』『サンケイ新聞』の編集部と読者には、これこそ待ち望んでいた社会と受け取られるのかな、なんて思います。これらの雑誌、新聞の論調を見ているとそう思わせますね。


「最悪のシナリオ:2006年、日本」
2003年の衆院選挙は、戦後日本政治の分水嶺となった。小泉=安倍の改憲準備内閣は、これまでの3年間同様、財政改革、経済改革に反対する多数派自民党議員の力によって、構造改革に関しては政策的に何も成果を残さず、2005年を迎えた。しかし、この間、北朝鮮の核実験を受けて、軍事体制の確立に向けた法整備は着々と進められた。そして今年ついに、日本国憲法第9条を中心とした改憲国民投票過半数を超えて可決。
2003年末からのイラク派兵で多数の死傷者を出している自衛隊は志願者が激減、その欠員を補充するために徴兵制の法案を国会が可決、翌年元旦からの実施が確認された。徴兵制に抵抗感を持つ国民に対して、小泉首相は「国家を守るのは国民の義務である。そう憲法に書いてある。国を守る意志のない国民は、日本から出ていっていただいて結構。誰に守られてると思ってるんだ!」と発言した。こうした、北朝鮮、そしてイスラム原理主義テロリストに対して強硬姿勢を取る首相を国民は支持し、再び小泉内閣は70%に上る支持率を獲得した。この世論調査は集票作業が操作された疑いがあると一部報道機関が報じるが、すでに成立していた国益を損なう言論に関する統制委員会(首相直属)は、こうれら「国賊」的行為を行う言論機関に対して、言論団体からの締めだしを図り、実際に締めだされていた。マスコミ団体によって結成されたメディア自主規制委員会は、その後、与党に不利に働く報道を規制することを公式に決議し、一切の反政府的報道は国民の目に触れることがなくなる。インターネットを使った政治的発言は、すでに成立していた盗聴法によって、国家防衛委員会(首相直属)によって、規制されることになり、発見され次第作成者は逮捕、拘禁されるようになった。こうした反政府的見解を持つ市民は、対敵協力者として、国家反逆罪、内乱準備罪、およびスパイ罪に問われ、迅速に刑務所に送られた(すでに成立していた裁判迅速化法によって、逮捕から1回の公判を経て1週間以内に刑が確定する)。司法制度は、2003年の選挙で大勝した小泉自民党公明党、保守党による連立政権によって、総入れ替えして任命された小泉派最高裁判事によって、地方裁判所の末端判事まで、小泉の政策を支持する判事によって固められていた。こうして、議会、行政執行部、司法を統合した、非常に効率のいいシステムが2004年末までに完成したのだった。
小泉内閣は、この新制度を、近代の政治腐敗を排した、新しい効率的な制度として国民に宣伝した。「これこそモダンの腐敗を排したポストモダンな政治制度である。あの、マルクスも、パリコミューンを見て司法・行政・立法の有機的結合による政治システムこそ最良のものって言ってたでしょ。左翼にも受けがいいんじゃないですか? しかも国民はそのトップである私を信任している。これこそ至高の民主主義と言えますね」
その発言を聞く記者も、2年前とは9割がた入れ替わっていた。ほとんどが刑務所につながれていたのだ。
次の選挙からは、電子投票が予定されていた。選挙管理委員会は、中央政府が任命した都道府県知事が任命する。票はブラックボックスの中で数えられる。投票の無記名性は廃止され、誰が誰に投票したかはすぐに国家防衛委員会に通報されるシステムになっていた。しかも投票者に知らされず。住民は、反政府的言動をしていた住民が突然いなくなることから、恐怖に駆られ、最近ではますます政府与党を信任するようになっていた。電子投票の結果も、結果次第では(与党が過半数を割る結果になるなら)国防委員会が機密操作で変更することが可能だった。何しろ、与党が敗れることは利敵行為なのだから。
2006年2月11日紀元節(この祭日名もすでに古来の古式ゆかしい伝統的な名前に変更されていた)、元旦に召集された国防意識の高い徴兵兵士によって構成される自衛隊第一陣を小泉は赤坂の自衛隊本部で閲兵していた。
住民基本台帳に最近迅速にリンクされた健康保健医療カルテシステムによって、病気による徴兵拒否は不可能になっていた。一部金持ち、与党議員の関係者家族は医師を買収し、カルテを改ざんして徴兵を逃れていた。良心的徴兵拒否者はいったん刑務所に収監された後、防衛産業に懲罰的労働者として派遣された。製品にミスが出ると、その懲罰的作成者は対敵協力者として迅速に死刑を言い渡たされた。
首相の隣には安倍幹事長、神崎公明党代表、野田保守党幹事長などが並ぶ。「イヤー日本もやっとここまで来たね」と小泉。「北朝鮮に勝つためには、少なくとも対敵兵力の3倍は欲しいですね」と石破国防省大臣。「ポラリス原子力潜水艦と北海道、沖縄、九州、四国、山陰、長野、東北に配備された核ミサイルシステムは、元旦から稼動したし、もう日本は、アメリカすら恐れる必要はありませんね」と安倍幹事長。「2003年の総裁選の頃は、こんな光景は想像もできなかったね。たいしたもんだ」と小泉首相
イラク占領軍への自衛隊の協力も、もう少し強化した方がいいですね。何しろ、今や占領地域がパレスチナとイランまで広がってるんですから」と福田官房長官。「大丈夫でしょ。失業率は今や10%まで上がっているし、失業対策としては、徴兵制はうってつけですからね。国民の受けもいいし、ま、支持率と投票は国防委員会によって操作されているから、受けなんて本当は関係ない。むしろ政府を支持していない連中は、いつ公安警察に捕まるか、ビクビクしているくらいだからね。そろそろ、刑務所もいっぱいになってきたし、今度は死刑迅速化法を通さなきゃいけないね」と小泉。「そりゃ簡単ですよ。だって国会議員の9割は与党なんだから」と麻生国会対策委員長。「しかし、次の北朝鮮征伐戦争で北朝鮮が壊滅したら、日本は敵を失って戦時体制も終わってしまって困るのでは」と安倍幹事長。「次はあの独裁体制国家、中国があるでしょ」と石原慎太郎国家公安委員会委員長が発言した。
「今回の改憲では、いまいましい政教分離の原則がなくなり、むしろ国家の礎は国民の敬虔な信仰心にあると明記された。これで、創価学会神道の二本柱による神聖政治が確立されて結構なことです。何しろ皆こぞって、年末と年始には続けて国営のお寺と神社に行くんですからね」と神崎公明党代表。「いやほかの宗教団体も協力しますよ。なんたってうちの支持母体なんだから」と麻生国対委員長
「それにしても国家防衛の義務を明記した新9条は卓越でした。なにしろ、日本に反対する勢力は世界中に五万といる。世界中のどこの国にだって自衛隊を派遣できる。何しろ日本の防衛のためですからね。他国の国家主権なんて、勝てばいくらでも無視できます。まさに勝てば官軍、平成維新憲法の真髄ですね」と竹中金融、経済財政相。
「ま、絶対負けない選挙制度なんだから、一度これを経験すると金国防委員長の気持ちもわかりますな」との小泉の発言に、全員がにこやかに笑いあった。

そのとき、赤坂と、東京23区、埼玉、千葉、神奈川は閃光に包まれた。昨年の自衛隊によるイラクでのテロリスト掃討作戦で、犯人が逃げ込んだモスクをその信者1000名と共に虐殺したことに抗議するアラブテロリストによる核テロ攻撃だった(これは、2003年来続いてきた、国策ともいえるテロリストを殺すためには、いかなる犠牲も問わないという国家政策の仕上げともいえる事件だった。そのため、その報復を目指す者は、アラブテロリストだけではなかったので、本当の犯人はわからなかった。テロリストがいるらしいとうわさされるだけで、反撃できない高高度から住民もろとも爆撃される側には、テロしか反撃の手段がなかった)。
もちろん犯行声明はない。ABCミサイルによる攻撃を想定していた国防システムも、報復場所を見つけることはできなかった。


そのころ、2004年の大統領選挙で選任された初の女性合衆国大統領ヒラリー・クリントン上院議員を前に演説していた。「われわれは、ブッシュ前政権の取ってきたテロに武力を持って対決する姿勢を転換し、アラブ世界を始めとする貧窮地帯の民衆への無償の経済援助と自発的民主化を手助けする政策に転換することにしました。欧州諸国はすでに協力を申し出ています。道は遠く見える。しかし、これしか本当にテロを根絶する道はない。テロに対しては、今後は犯罪捜査として、こうして増加していくはずの民主的諸国に働きかけて行く計画です」


世界で3発目の核兵器は奇しくも、再び日本で使われた。しかし、それも偶然ではなかっただろう。ポストモダンというか、スーパーモダンともいわれた近代の超克路線は、日本特異の政治システムと潤沢な軍事予算、死を恐れない徴兵兵士(本当は恐れていたのだが、逃げても国家によって殺されるのなら、英雄として死んだ方がましとの雰囲気を兵士達は持っていた。しかも、逃げた兵士の家族は、対敵協力者家族として国家的に弾圧され投獄されるのだ)によって、敵国住民の犠牲を問わずテロリストを根絶することを目的としていた。自衛隊員に犠牲が出れば出るほど、その何十倍もの敵国市民が殺された。まさに、ナチスが占領国のレジスタンスに対抗して行った作戦だった。そうした作戦のなかで、イラクでも自衛隊によるモスク虐殺が行われたのだった。このときも小泉はこう演説した。「住民の犠牲は悲しむべきことだ。しかし、あの時テロリストを逃したら、それ以上の数の日本人が殺害されていた。ほかの世界の民主国家の市民も殺されていた。国民は今勝利に向かって邁進している。世界の捨石になる決意で、決してひるむべきではない」このような軍事作戦にもかかわらず、2006年2月11日まで奇跡的に国内のテロ被害はゼロであり、国民は世界に冠たる大日本国の栄光に酔いしれていたのだった。

この核爆弾テロ以降、中央政府の統制を逃れた道府県(都と中央政府は、もうなかった)は、大阪に置かれた臨時中央政府の指導(大阪にいた山崎自民党副総裁は、住民デモよって刑務所から解放された政治犯にリンチを受け、ムッソリーニのごとく淀川の橋に逆さ吊りにされていた)のもと、ふたたび住民による無記名の紙による秘密投票で、国民自らの代表を、知事と自治体議会議員を選び始めていた。再び長野県知事に住民によって選任された田中知事は、初の日本連邦共和国の(中央政府が臨時のため)臨時首相に道府県知事会によって任命された。知事は、早速、平成維新日本国憲法の停止を行い、敗戦の痛手のなか、旧日本国憲法から天皇条項をなくした新日本国憲法草案をまとめ、国民投票をする作業を始めた。生き残った皇族は、京都で市民権を付与され、江戸時代の地位に戻り、平和に暮らし始めた。
こうして、悪夢の2年と4ヶ月は幕を閉じたのだった。


 そして、核攻撃が起こらなかった場合のケースは、id:toni-tojadoさんが書いた、老眼鏡の乱になります。