9条改憲派を許せない理由

福島第一原発事故関係URL
武田邦彦(中部大学)ホームページ
http://takedanet.com/
実現させよう原発国民投票
http://kokumintohyo.com/
板橋区子どもを被曝から守る会
http://itabashi-kodomo.jimdo.com/
グリンピース
http://www.greenpeace.org/japan/ja/
都健康安全研究センター
都内の環境放射線測定結果 測定場所:東京都新宿区百人町
http://ftp.jaist.ac.jp/pub/emergency/monitoring.tokyo-eiken.go.jp/monitoring/
東京都ホームページ
http://www.metro.tokyo.jp/

 週末に大学時代のゼミの同窓会があって、箱根に行ってきました。おおむね楽しく過ごせたのですが、一点だけ非常に気になる出来事がありました。
 ある関西在住の先輩が「橋下大阪市長の評判は、大阪以外ではどうですか?」と遠慮気味に聞いてきた件です。「僕は評価しない。何故なら彼の人権感覚のなさは(政治家として)致命的だから」と応えました。
 しかし、その人は橋下支持で、そのあと教育問題に話題が変わったので、その晩はそこまでしか話せませんでした。
 翌朝、朝食の一対一の席で、「橋下の最大の問題は9条改憲と集団的安全保障論にあるのではないか?」と僕が質問すると、彼は「自分は9条改憲集団的自衛権も賛成である」との答えを得ました。「それでは、アメリカみたいに、国益のために世界中で戦争することも肯定するのですか?」と聞き返すと、「そうだ」との答えでした。
 僕は、このブログで何度も書いていますが、こうした考えを一番軽蔑します。
 なぜなら、自分が若いころは9条の平和主義に守られてヌクヌクと過ごしながら、年寄りになって自分が絶対に戦場に出ないことを確信したとたん、こうした意見を平気で言う神経が、全く信じられないからです。これは人間として非常に卑怯なあり方です。「自衛隊員は給料もらってるんだから、国益のために死んでこい」とでも言うのでしょうか? そして、方や自分はその背後で、これまで通りヌクヌクと生きていこうとでも言うのでしょうか? だとしたら、それは、全く信じられないくらい卑怯な立場であり、人間として最大限に軽蔑に値するものです。
 もし、百歩譲ってそれを言うなら、必ず「自分はこうした意見を持っている以上、一旦事あった時は、前線で真っ先に戦う」と宣言すべきなのです。それにしたって、外交問題を個人の思惑で起こされては、迷惑千万ではあるのですが。
 これまで日本に住む住民は「武力によって外交問題を解決しない」とする9条の平和主義のもと、その他のあらゆる手段を使って平和的に外交問題を処理してきた。処理しきれない問題は、その平和主義ゆえに、あえて甘受してきた。なぜなら、どんな結末が待ち受けていようとも、戦場で無垢な若者、自衛隊員を含めた無垢な若者を死なせるわけにはいかないという、終戦直後からの決意があったからです。
 僕の意見を言うと、僕は自衛隊員を含めた若者を死なせたくない。それは自分もそういった境遇に置かれたくないからというのが理由です。
 低所得層の若者を高額の費用がかかる大学に行かせる代わりに戦場に送り込むアメリカの軍隊制度に関しても、それは社会的平等をもたらすものではなく、命を金で買うことにほかならないと考えます。むしろ、目指すべきは、社会的出発点の平等を、戦場に行く行かないにかかわらず保障する政策の方向性だと思うわけです。
 こうした現実を、高々机上の空論によって、アメリカ的な国を目指すとしたら、その論者の無能さ、無責任さに虫唾が走ります。
 そして、これこそカール・マンハイムが『イデオロギーユートピア』の中で指摘した、第二次世界大戦直前のドイツにおけるファシストという名の社会集団のイデオロギーと(現実の社会で実現可能な、という意味で、彼らの志向する)ユートピアに他ならない気がします。
 日本においても第二次世界大戦の記憶が薄れるにつれ、戦場の現実に対するイマジネーションが欠如した人々が生まれるのは仕方ないことです。しかし、だからこそ僕らは常に過去と向き合わなければならないのだと思います。
 また、僕も、談合によって日本経済を破壊する消費税大増税や日本の国土を灰燼に帰す原発再稼働を実現してしまった自民・公明・民主の悪の連合に対して、第三極による打破を目指す点で、多分、件の先輩と意見の一致を見るかもしれません。
 しかし、そうした状況においても、第三極の主軸となるのは「国民の生活が一番」という党名で、自らの右翼性を封印した(つまり政策の優先順位の一番を「生活」にもってきた)小沢グループであるべきだと考えます。
 理由はここに書いたとおりで、日本の現状を打開するのは、新自由主義でもなければ、日本をアメリカ化する、そしてアメリカの走狗とする9条改憲・集団安保派でもなく、社会民主主義的な、低収入でもまともに暮らせる社会の実現であり、少なくともスタート地点での平等や結末における尊厳と文化的価値を享受できる社会をもたらすことができる政策です。
 自民党経世会には、かつてそうした発想があった。そこは、小泉や安倍が所属した、経済の利権を奪われたがゆえに、日本再軍備にしか政策のユニークさを打ち出せなかった福田派とは大きく違う点です。小沢はこうした経世会の出身者です。
 ともかく僕は、自分が死なないことを前提に、9条改憲や集団安保を志向する頭の腐った連中は否定するし、もし彼らの口車に有権者が載せられたとしたら、最初に首を絞められるのがその有権者自身であることを、ここに明記したいと思います。
 こうしたことが現実味を帯びているところが、現在の日本の政治状況の恐いところだと思うからです。