安倍はダース・ベーダー、石原はシスの暗黒卿

先日、安倍内閣の組閣人事を、地上波とCSのアサヒニュースターで見ていました。日本の近い将来の政治がどうなるか気になったからです。
で、思ったのですが、あの太り具合はダース・ベーダーの素顔に似てる! ってことは、石原都知事はさしずめシスの暗黒卿だよな、なんて思いました。差別発言も平気で言うし、福祉予算を削って、その金で大規模開発をする姿勢も、暗黒卿ならではといえるからです。
スター・ウォーズ エピソード3、6』を見ていない人に、別の言い方で説明すると、アメリカ戦後政治に登場するマッカーシー上院議員の役割を安倍は果たすのではないかと、僕は思っています。
マッカーシー上院議員といえば、あのヒトラームッソリーニの独裁、日本の天皇ファシズムと同列に紹介される赤狩りを行った政治家です。冷戦華やかななりしころ、マッカーシーは、どんどんリベラルな人、民主主義を信じる人をソ連の手先と呼んで排除していった。検挙された人には、生活を奪うぞという脅迫によって、あることないこと密告させる、友人を売らせるという恐怖政治が現実に行われたのでした。
いま、安倍は教育基本法改悪という手段を使って、それも現憲法の理念からし違憲とされる内容への改悪をもって、自分を支持しない人々を排除しようとしているように思えます。この手法は、現在、石原都知事が東京都教育委員会を使って君が代、日の丸を教員に強制し、その良心の自由を奪っている手法を踏襲するものだといえます。
ここで、なぜ君が代、日の丸を拒否する人々が続出するのかというとを説明すると、それはその日の丸を掲げた日本兵が、同じ日本人を殺しまくった沖縄戦を、拒否派は知っているからです。
そして、戦前、戦時中、治安維持法によって多くの反戦・反政府の民衆が検挙された事実を知っているからであると思います。治安維持法には国体を否定することを国家反逆罪としました。そして、当時の裁判の判決文に記されているように、「国体=天皇による統治、天皇主権」を意味するものでした。大日本帝国憲法統帥権によって、天皇にのみ責任を負う軍部は、この治安維持法を徹底的に活用して、自分たちに反対する人々を刑務所にぶち込み続けた。その結果、刑務所の外には戦争を支持する、もしくはつかまりたくないために沈黙する人々だけしか残らなかった。これが日本が日中戦争、太平洋戦争に突入する背景でした。だから、それを象徴する君が代の歌は、それを知る人には拒否するしかないものだからです。
こうした説明を見れば、彼らが拒否する理由は、まったく自然なものです。
ですから、国歌と国旗を法的に根拠付けた国歌国旗法案が国会に上程されたとき、政府は明確に「これは人々に強制するものではない」と趣旨説明したのでした。
それを意図的に忘れ、強制し始めたのが石原東京都知事だったわけです。安倍首相は、教育基本法改悪で、石原都知事と都教委の姿勢を根拠づけようとしています。ですから、いま東京にある異常事態が、この改悪の成立後は、日本国中に広がるわけです。
教育の再生が必要といわれます。しかし、それは、安倍や石原が主張するように、上からの統制によって実現されるものではないと思います。
なぜなら、教育荒廃の真の原因は、経済界の利益を最大化するための小泉経済改革によって崩壊した大衆の家計と、それゆえに教育に労力をさけなくなった家庭にあり、そして、上からの統制にがんじがらめになった教員が子供と過ごす時間をさけなくなった教育統制のふたつの理由にあると思われるからです。
ですからその解決は、上からの統制ではなく、むしろ、教員と児童・学生の保護者、地域住民の3者による密接な協議、教科書の採択を含めた学校ごとの教員の自主的運営権の確立、そして、公選によって選ばれた公平で民主的な教育委員会による各学校への学校運営上のアドバイス(強制とか可処分ではない)によるべきだし、それしなかないと僕は思います。
そして、これらを実現するためには、教育に割く時間を生存のために割かざるを得ず、それゆえに教育がおろそかになる家計に対する補助、教育に割く時間を確保するための余暇の確保が当然必要だと思います。
企業におもねり、こうした育児休暇とかさまざまな野党の積極的な政策を拒否し続けてきた自由民主党の伝統とも、安部の目指す教育改革とも、まったく反対の政策が必要であると思います。ですから、こうした本当の解決は安倍には絶対できない。それゆえ、安倍は「規律」を強調するしかないわけです。規律と統制ですね。
石原は、教員に対する日の丸・君が代の強制を違憲とした東京地裁判決を拒否し上告しました。そのとき石原が言った言葉をパロディにして言い返せば、「地裁判決を拒否するのは、頭のいかれた石原とその権力の威を借りる都教委メンバーだけである」と。だってそうでしょ。あのリベラルな天皇ですら「強制することのないように」と言ったのですから。
安倍は臨時国会教育基本法改悪の採決を強行するかもしれません。ですから、この3ヶ月がまず大きな決戦の場となるかもしれません。それゆえ、僕も教育基本法改悪反対リングに参加することにしました。
今日の日刊ゲンダイには、安倍政権の登場は政権後に予想される小泉内閣関係スキャンダル封じだと書かれていました。安倍はその機会を利用して、自分にとってだけ美しい国をつろうと画策しているのでしょう。小悪党のしそうなことです。たしかに、自分を守るために日本に住む人間がどんどん死んでくれるなら、恥を知らない人間にとっては「美しい国」といえるかもしれません。
愛国心」が明記されたあとの学校教育はどうなるのか、今から心配です。「私は国のため、自民党政府を守るため命を惜しみません」と書いたら5と評価されるのでしょうか? 「安倍将軍様万歳!」と書き足したら、はなまるがつくのかもしれません。「本当の愛国心は、国の悪い点を指摘すること」と書いたら、2がつくのでしょう。「戦争なんていや、俺は逃げる」と書いたら、1かもしれませんね。クレージーだけど、石原の考える愛国と安倍の考える愛国とはこうした内容のようです。
国を愛するということは、安倍や石原を守るということとは違います。でも、安倍や石原はそれを理解するでしょうか? 否でしょう。