週末の土曜日、Rと一緒に外出して、まず、九段の昭和館へ行った。終戦直後の昭和26年に来日したドイツ人紀行写真家の展覧会である。展示されている写真の説明文を読んでいるうちに、長い間疑問であったことのひとつがわかったような気がした。それは、日本人はなぜ悲しい出来事を話すとき笑うのか、ということだ。この写真展では、同様に笑いながら原爆のすさまじい破壊力を語る僧侶に対する、このドイツ人写真家の質問に対する通訳の説明として、その理由が語られる。「自分の悲しみで他人を悲しませないため」というのが、その説明だった。だとすれば、この写真家が見た、広島市民の明るさの理由のひとつは説明がつく気がした。そして、悲しみが深いほど日本人はあえてより明るく振舞おうとするのかもしれない。
 それと、もうひとつ思ったのは、あの狂気の15年戦争の時代、日本市民は最後の1人まで自らの死を賭けて、軍事政府の言う「アジアの大儀」に殉じて戦うことを、何の疑問もなく信じ込まされてきた。実際に疑問を持った左翼活動家、知識人たちはことごとく刑務所に収容され、あるいは獄死していた。だから、戦時下の世間に残された庶民にとって、戦争の終了とは、彼らに生きる権利を再び自覚させることを意味したのだろう。
 死を持って大儀に殉じることを強要した、東条英機などの軍事政府指導者は、ぶざまにも自殺をしくじり、米軍につかまるという醜態をさらすことで、日本市民の目を覚ます役割を演じたともいえる。そして、国体護持という戦争終盤の最高目的ですら、実態としては、その国体にぶら下がる軍部と官僚、財界人の自己保身以外の何者でもなかった。つまり、国体の中心である天皇が守られれば、その下にぶら下がっている自分たちの地位や生命も守られるといった理屈である。よく考えれば理屈にもなっていないのだが。
 しかし、こうした思考がまかり通るほど、日中戦争から太平洋戦争敗戦直前までの日本は、異様な空気に包まれていたということなのだろうと思う。
 話を戻すと、「悲しみに際しての微笑み」には、今でも残る日本人的美意識、倫理観がにじみ出ていることに気づかされた。それは単に弱い自我を示すものではないことが、現代を生きる僕には新鮮だったわけである。
 日曜日には、CATVのチャンネルnecoで篠田監督の映画『スパイ・ゾルゲ』を見た。映画のできはいまひとつだったけれども、日中戦争から太平洋戦争、そして終戦までの日本の風景とその時代の政治的趨勢と戦った人々の姿がよく描かれていたと思う。写真展の感想に書いた時代の流れは、この映画で気づかされた点である。
 そのほか、韓国映画僕の彼女を紹介します』とか、旅チャネルの温泉番組をいくつか見た。旅チャンネルの温泉番組は『美女と巡る温泉の旅』が最高である。
 今日は仕事で渋谷に来た。トイレに行きたくなったので喫茶店でお茶を飲んでいるところ。
 なんか最近は気持ちの余裕がなくて、今日はちょっと落ち込んだ。やはり宙ぶらりんな仕事の状態が諸悪の根源といった気がする。ゴールデンウィーク後は、まじで新しい仕事を探そうと思う。