ハリポタ6は352/607頁、18/30章まで読んだ。
 昨日は父親が来て泊まっていった。
 また、会社の帰りに諸星大二郎妖怪ハンターシリーズ新作を見つけて買った。

稗田のモノ語り 魔障ヶ岳 妖怪ハンター (KCデラックス)

稗田のモノ語り 魔障ヶ岳 妖怪ハンター (KCデラックス)

 やはりこのシリーズは面白い。諸星さんの薀蓄がちりばめられていて、怪奇観も納得がいく構造になっている。
 このシリーズを原作とした阿部寛主演映画の公開も楽しみだ。
 昨日の『ガンダム・シード』と『同ディスティニー』の再放送で、昨日はステラが死んでしまった。シンは本当に懲りないなと思う。ま、そこがこの物語の核心となる悲劇性でもあるのだが。
 これまでのガンダムシリーズと、この2作の違いをよく考えるのだが、やはりキラとアスランという2人の主人公(『ディスティニー』では、これに加えてシン)が偶然敵と見方に別れて戦うといった悲劇性が、その物語の特徴の中心になっているのだと思う。
 先日友人にも話したのだが、ガンダムシリーズの共通の課題として、まず、本来悲惨で、とてもかっこいいとはいえない戦闘シーンをかっこよく見せる工夫というものがあるという(以前見た初期スタッフのインタビューから引用)。このシリーズではこの問題は大きい。とくに、善悪をはっきりさせない展開において、この問題は大きくなるわけだ。
 初代ガンダムでは、背景にあったこうした問題を、『Z』では、エウーゴという反政府軍組織に託し、『ZZ』では物語自体の明るさでカバーした。『ラスト・リゾート』では、戦闘そのものを悲劇として描き、結果としての脱走を美しく描いていた。
 この新シリーズでは、あえて中立という姿勢を描くことによって、戦闘の正当性を確保する。この物語の重要なサブストーリーである、現代の日本をほうふつさせるオーブ連合首長国の存在やスカンジナビア王国の存在は、その主題のバリエーションとしての役割を担っているのだろう。
 以前、朝日新聞ローレライの作者福井氏が語っていたように、「中立であるという意味の本当の重さ」を、僕らはこの物語を通して、自然に考えさせられるわけである。
 ただここで、蛇足ながら書いておかなければならないのは、第1シリーズでオーブが壊滅するのは明らかに外交的失敗であった。あの場合、プラントにつくという選択肢を戦略的に利用し、戦闘抜きに中立を立つことが外交戦略として可能であったと思われる。ま、物語としては、壊滅した方が盛り上がるのではあるが。
 ともかく、このシリーズは、最新作だけあって、このような意欲的な点が多々見られる。