今日は年度末ということで、上がりもしなければ下がりもしないバイト用年度末ボーナスが出た。バイトなのだから出るだけましといわなければならないのだが、最近はやりの二極化が社内でもあるわけでちょっと考えてしまった。
 そんなわけで、昨日発売の『ランブルローズXX』を見るために秋葉原に出た。でも、Xboxと一緒だと攻略本込みで5万円弱もする。ちょっと迷って、とりあえあずミスドでお茶にした。ミスドは土日は禁煙で入れないのだが、今日は喫煙可である。
 プレステ3用を待つ方がいいのかななんて思うけど、ずっと先だしちょっと思案しどころである。
 最近いくつかマンガや雑誌を買った。浦沢直樹『プルート』3巻、

PLUTO (3) (ビッグコミック)

PLUTO (3) (ビッグコミック)

ベルセルク』30巻、
ベルセルク (30) (Jets comics (232))

ベルセルク (30) (Jets comics (232))

雑誌『世界』4月号などである。
 プルートは、知性や感情を持つロボットが登場するだけで、夢のような未来なのだが、それでもロボット差別という社会問題が生まれていたりして、いつまでたっても変わらない人間の業の深さを感じてしまう。でも、ウランの可愛さやエプシロンのかっこよさは特筆ものだろう。もちろん1巻末で登場するアトムや最初から登場する主人公ゲジヒトの造形も素晴らしい。
 人間とロボットの関係はすでにアイザック・アシモフが描いているのだが、手塚ワールドのロボットは少しアシモフとは違っている。それゆえ、新しい問題が生まれてくるわけで、今日の朝日新聞広告で解説していた荒又さん同様、浦沢さんがこの問題を描ききったら、エポックといえる新たなマンガ世界の金字塔が打ち立てられることになると思う。
 ベルセルクは、セルピコとの決闘を経て、ガッツチームは元に戻る。これからの展開が興味深い。
 『世界』4月号は、特集「沖縄−米軍再編「日米合意」は破綻する」以外を読んだところだ。面白かったのは、佐藤優「民族の罠」の連載最終回だった。「ライブドア事件ファシズムへの露払い」というタイトルである。
 この連載は、最初は今ひとつ納得できなかったのだが、最終回はよくわかった。つまり小泉の掲げる「新自由主義」はそれ自体ではファシズムにはなりえない。しかし、検察を使った資本主義抑圧に転じるとファシズムになる可能性がある。そして、その際に最も重要なのは、戦前の青年将校にも擬せられる検察官僚の存在であるという主張だ。だから、彼の定義によると、ファシズムは民衆だけでなく資本をも抑圧するといったものだから、ライブドア事件ファシズムの露払いとなる。
 ここで彼は、官僚制に対してマルクスが、あまり重視しなかったことを誤りとして、金=資本、官僚制=国家という近代資本主義が生み出す物神崇拝、疎外体と距離をとることこそ、ファシズムを避ける最大の方法と説明している。
 僕は、官僚制の研究はマックス・ウエーバーが行っているということと、ファシズムとは共産主義勢力に対する政治家と資本家の同盟関係という丸山真男の定義を思い出した。
 つまり経済的貧窮に際して、当然に労働者からの要求は高まるわけで、それを叩き潰すファシストと同盟を組んだほうが自己の利益を守れると判断した資本家が利益考量をするとき、ファシズムが生まれるということである。官僚制自体は、ウエーバーの定義のとおり、むしろ中立的で先例重視の保守的な集団だと思う。
 問題は、ファシズムの危機に際して、人民戦線型の人権擁護と経済的救済が可能なのか、それとも、ファシズム型に転じてしまうのかの境目であると思う。第二次大戦直前に、アメリカ、イギリス、フランスは前者になり、イタリア、ドイツ、日本、スペイン、ポルトガルソ連は後者になった。
 もっともソ連について言えば、1921年ソビエトの解体によって共産党独裁という軍隊的国家支配体制が確立していたので事情が違うかもしれない。ここでいうソビエトとは、帝政時代に確立した労働者農民による自主的議会組織であり、当時の帝政政府と分離した二重政府状態を作り出し、その後の革命を支えた民衆側の組織である。
 つまり、官僚の自主的行動によってファシズムが引き起こされるのではなく、政治的先導者によって国民の民族主義が鼓舞されることによって、政治的主導権を握る。そして、左派の民主的要求を徹底的に踏みにじることによってその支配体制を確立する状態をファシズムと呼ぶべきであろう。
 そう考えると、小泉は極めてファシズムに近い体制といえる。実態的には、国際協調派である資本家の利益がそれを抑える役割を果たすといえる。今の日本は、そうしたせめぎあいのなかで、単独主義に走るアメリカ帝国主義に対して追随する勢力が、そのほかの国々に対して考慮しようとするリベラル派経済人を押さえ込んでいる状態といえるだろう。第三勢力として存在する労働者民衆は、小泉のデマゴーグによってうまく丸め込まれている。しかし、官僚の利益を最大限守りながら対米追従を続ける小泉政権とその亜流政権が続く限り、日本人の所得の二分化か進むだろうし、そのとき、労働者の利益を守ろうとする勢力が台頭するか否かによって、日本の将来の進路は決まるといえるだろう。
 話はこの連載の評論からそれるが、日本の将来像は3種類しかないように思える。アメリカ型、欧州型、そして旧来の日本型への復帰の3つである。小泉路線が変わらず、民主党もそれに基本的に同調するなら、アメリカ型の極端な貧富の格差が生じる。そして、格差が拡大した後に膨大な数になる貧困層を支えようとすれば、英仏独といった欧州諸国のような社会保障に基盤を置く社会民主政権型の社会が作られるかもしれない。仮に、最高税率75%といった過去の日本のような徹底した所得再分配が実現すれば、第二の戦後のようにほとんどの人が同じスタートラインに立って国民の活力を再生することが可能かもしれない。
 経済危機に際してファシズム型の政治体制を作るとしても、対外的に侵略や帝国主義的植民地化が不可能な時代に突入する以上、日本の未来におけるファシズムのメリットは存在しないといえるだろう。あるとすれば、ウエーバーが予言した魂なき専門人の社会、官僚独裁の世界かもしれない。一部の高級官僚が、固定化された少数の富裕層と圧倒的多数の貧困層を、小額の社会福祉的給付でコントロールするっていうのはあるかもしれない。しかしそれって、ヨーロッパの状況をネグリ=ハートが『帝国』で批判した状況でもある。とすると、欧州モデルもあまりいいものではないのかもしれない。でも、こうして労働者意識が確立するのなら、アメリカや買弁資本家の支配する第三世界モデルよりはいいかもしれないとも思う、
 ちょっと支離滅裂になったので、この辺で終わりにして、時間があったら再考したい。
 あと付け加えておけば、佐藤氏の指摘する、天皇と内閣という権威と権力の分立によるバランスという日本政治の他国にない優位性というのは、ちょっと古い考えのように思える。なぜなら、今の若い国民は、天皇に何の権威も感じていないからだ。堀江氏の天皇制廃止論=大統領制が説得力を持つゆえんである。
 このほか、貞本版『新世紀エヴァンゲリオン』10巻
新世紀エヴァンゲリオン (10) (カドカワコミックスAエース)

新世紀エヴァンゲリオン (10) (カドカワコミックスAエース)

を買って、カオル君が弐号機を運転していてびっくりした。
 秋葉の帰りに、『あずみ』38巻
あずみ (38) (ビッグコミックス―Big comic superior)

あずみ (38) (ビッグコミックス―Big comic superior)

を買って、読みながら帰ると、前原辞任の記事を見つけて、『日刊ゲンダイ』を買う。もっと早く辞めろよ!と思う。